古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2013年3月31日日曜日

鉄道コレクション国鉄51系福塩線・仙石線

発売予告時から期待していた鉄道コレクションの旧形国電シリーズが三作同時に発売されました。
私も今回はしっかり予約して早速購入しました。
今回の鉄コレ、どのように料理するか応用可能性が高いのも魅力で、発売前からどういじるか色々な姿が頭の中を駆け回ってしまいました。
一回目は国鉄51系福塩線・仙石線です。

左から
クモハ54006、クモハ51043、クモハ54109
今回のラインナップ、飯田線・福塩線・仙石線です。
三種類とも其々前面の表情が異なっています。
どの車両も表現は良好ですね。

左から
クモハ54109、クモハ51043、クモハ54006
パンタ周りの配管も実車に合わせて作り分けられています。

クモハ51043
福塩線のクモハ51形。
オリジナルの半流クモハ51形がこの値段でしっかりしたプロポーションで入手できるのは涙ものですね。
関西型の特徴を良く再現しています。
新幹線のブルーと同色の福塩線独特のカラーもこんな感じでしょうか。

クハ68038
相棒のクハ68はオリジナルのクハ68形。
正面は両側がHゴム化されたクハ68038。
晩年は飯田線で余生を送りました。

クモハ54109
仙石線の快速用として大阪から転入したセミクロス車はその後73系に追われて再び各地に散らばりました。
福塩線がオリジナルの51系列であったのに対し、仙石線は41系列のセミクロス改造車がセレクトせれています。
このあたりは今後の汎用性を視野に入れた対応ではないでしょうか?
改造ネタとしても応用が効きそうです。

クハ68086
相方のクハ68もクハ55改造車ですが、こちらはあまり両数が居なかったリベット付き!
これは何か意図がありそうです。

千鳥配置の押し込み型通風器
特徴的な押し込み型ベンチレーターもしっかり作られています。
この仙石線タイプの市販パーツが欠品で、現在密かに自作していたものの上を行かれた感じです。

それでは改造妄想付き実車編です。


クモハ51043 77.7.18 府中
福塩線のクモハ51043は残念ながら後姿しか撮っていません。
言い訳がましいですが、製造時からのパイプ型縦樋やPS11型パンタグラフ等の省電の良さが伝わってくる角度でもあります。
この時は既に戦前型の末期で、徐々に阪和線から入線の始まっていた70系との混成編成になっていました。
因みにこの編成はクモハ51+モハ70+クハ68でした。

クモハ51035 77.7.18 福山
正面運転席上部の通風器は失われているものの、ほぼ同型のクモハ51035。
小振りなHゴム窓に関西型球形通風器装備は関西型電車の特徴的なディテールです。

クモハ51043 77.7.18 府中
宇野線から転属、ぶどう色のまま活躍していたクモハ51049。
これを見るとやはりぶどう色にも塗り替えたくなります。

クモハ51013 79.3.22 北松本
スカイブルーに塗り替えてこんな感じにもしたいです。
これ以外にも低屋根化して身延線・・・。
いくつもストックしたくなります。


クハ68038 78.1.3 豊橋
相方のクハ68038は福塩線から飯田線に転籍していました。
飯田線のクハ68では数少ない便所なしクハでした。

クモハ54109 81.7.26 梓橋
仙石線の2両は現地では見れませんでした。
こちらは大糸線に移動した後も特徴的な通風器はそのままで活躍を続けました。
写真はさよなら運転当日、梓橋に疎開回送されて休車中のクモハ54109。
関西~東北~信州と渡り歩いたこの電車の生涯が終わろうとしているところです。

クモハ54109 77.12.31 北松本
まだまだ現役の時代にパンタ側から見たクモハ54109。

クモハ54101 76.12.24 北松本
思い切ってシルヘッダーを削ってこんな車両にするのも手かもしれません。


クハ68080 77.7.18 福山
リベット付き半流クハ55改造のクハ68はそれほど多くはありませんでした。
こちらは福塩線で活躍していた同じ仲間のクハ68080。
・・・ということは真っ青に塗替えもできるわけですね。


2013年3月30日土曜日

その後の渋谷駅と下北沢駅 その2

その後の渋谷駅と下北沢駅、二回目は小田急線下北沢駅界隈です。
現役時代の下北沢駅はこちら(⇒小田急線下北沢駅)。

13.3.28 下北沢
切り替え前日まで人でごった返していた下北沢地上駅を旧踏切から見た風景。
既に撤去作業が始まっていました。

13.3.28 下北沢
開かずの踏切も過去のものとなりました。

13.3.22 下北沢
地下化直前の同じ場所。
下北沢を象徴する場所の一つでしょう。

13.3.28 下北沢
踏切反対側から見た風景です。
実にいろいろな人々がカメラを向けていました。
一眼レフで熱心に撮っている女性が複数いらしたのが印象的でした。

13.3.22 下北沢
こちらは開かずの踏切現役時代。

13.3.28 下北沢
周りの人が撮っているのと同じアングルで一枚。

13.3.28 下北沢
こちらは同じく現役時代。

13.3.28 下北沢
井の頭線との顔合わせは過去のものとなりました。

13.3.28 下北沢ー世田谷代田
駅の世田谷代田方にも行ってみました。
線路は既にうっすらと錆びていました。

13.3.28 下北沢ー世田谷代田
恐らく開業時以来活躍したであろう先細りの架線柱も御用納めです。

13.3.28 下北沢
再び駅に戻ってきました。
照明に照らされた誰もいないホームが寂しげです。

13.3.28 下北沢
この線路跡は道路になってしまうのでしょうか?

2013年3月29日金曜日

その後の渋谷駅と下北沢駅 その1

3月のダイヤ改正前後に登場した大都会の新たな廃線・廃駅スポット、東急渋谷駅と小田急下北沢駅のその後を見てきました。
どちらの工事も内容は違えど近年ではエポックメーキングな地下化工事でしたので、その後の去就はどうしても気になります。
一回目は東急渋谷駅です(現役渋谷駅最後の状況レポートはこちら⇒あと2日 東急渋谷駅)。
先週の東急主催の石拾いや鉄コレ販売の大行列には参加しませんでしたので(参加したおっちゃんのレポートはこちら⇒史上最低の鉄コレ販売会)、その後がなおさら気になります。

ユニクロ@エキアト
いきなり登場した画像はユニクロのチラシ・・・。
行ってビックリ、渋谷駅がユニクロにジャックされていました!
そうです、28日に駅舎跡地でオープンした期間限定、駅跡活用のイベント第一弾はユニクロのショップでありました。

13.3.28 渋谷
旧改札口脇にはekiatoイベントの案内看板が出ていました。

ユニクロにジャックされた渋谷駅
13.3.28 渋谷
なんと、線路の上にTシャツがぶら下げられていました。
試着して写真を撮って馬鹿面をモニター上に披露すると安くなるそうです・・・。

13.3.28 渋谷
駅の代官山方には試着室とレジが・・・。

13.3.28 渋谷

報道陣の取材も含めて色んな人々がこの光景にカメラを向けていました。

13.3.17 渋谷

こちらは付け替え二日後の同じ場所です。

13.2.21 渋谷
現役時代の渋谷地上駅。
先日「ガイヤの夜明け」でも取り上げられていましたが、これから数年間の渋谷の変化は想像以上のものがありそうです。




2013年3月28日木曜日

川越市に残っていた東武鉄道クハユ290

東武東上線川越市の構内にある川越工場には戦前の東武型電車がダルマさんで残っていました。
西新井工場にはロクサンの旧車体が何台も倉庫に使われていたのと同様に、3000系に更新して余剰になっていた車体を活用したものと思われます。

クハユ290 81.6.13 川越市
ダルマさんで残っていたのはクハユ290形で、オレンジベージュの塗装を身に纏ったままの姿で工場の詰所として使われていました。


クハユ290 81.6.13 川越市
荷物室側は非貫通正面。
ダルマさんながら何故か律儀に線路の上に乗っていました。

クハユ290 81.6.13 川越市
貫通扉側から見たサイドビュー。
クハユ290形の何番かはわかりません。

クハユ290 81.6.13 川越市
詰所の入口側。

 81.6.13 川越市
検査用仮台車が置かれていました。

2013年3月27日水曜日

国見山三重鉱山(3) 翌日のリベンジ

こうして国見山三重鉱山訪問は終わりました。
今日中には名古屋まで戻って新幹線で帰る予定です・・・が、どうしてもあの機関車が走るのを見たいという気がしてなりません。
場所が場所なのでもう一回というのは厳しそうです。
お互い会社は6日からでした。ちょっと躊躇もしたのですが・・・ということで相談が始まりました。
で、結局は近くの釣り宿に急遽泊まって翌日リベンジをすることとなりました。

宿泊した釣り宿は太公望が一杯夕食会場で明日の釣りの話で盛り上がっていました。
翌朝は暗い内からザワザワ状態に眠い目をこすりつつ食事に行った時には我々以外誰もおらず、もぬけの殻でした。
釣り客以外の客は基本、居ないのでした。

写真は全て  ED2
91.1.5 国見山鉱山ー吉津港
さて、リベンジに吉津港に向かいます。
場所は昨日バッチリロケハン済みですので、あとは貨物列車の動くのを待つばかりです。
港を出発した空車の貨物列車は非常にゆっくりとしたスピードで例の不気味な運転台付貨車を先頭に機関車に押されて山を上ってきました。
これは山に向かって推進運転する91年初列車です。



ヘロヘロな線路をゆっくりと推進してゆきます。


折り返しの列車が、冬の陽をいっぱいに浴びてやってきました。


併用軌道風の区間を下って来ました。


途中には鉄橋もあり、どこかの地方私鉄のような風景も展開します。


田んぼの脇も走ります。


そして吉津港の海岸のホッパーに到着。


機関車もバッチリ撮れました。

結論としてはもう一泊したことは正解でした。
大満足で吉津港を後にしました。
その後の経緯ですが、先ず貨車がボギー車に交換され、その後1993年には新日鉄から来たDLに交換されて非電化線に変更。その時に上部軌道はコンベア化されたそうです。
その後、この下部軌道も2001年にコンベア化されて姿を消したとのことです。


2013年3月26日火曜日

国見山三重鉱山(2) 上部軌道探検

貨物列車は走らないし、時間が余ってしまいました。
全長3キロ程度とのことなので、しょうがないので終点まで行ってみました。
そこにはホッパーがありましたが当然稼働していません。
ところが、上をよく見るとそこからは上部軌道がさらに奥まで伸びていました。

全て 91.1.4 国見山鉱山
この上部軌道に吸い込まれるように脚が向きました。
探検気分でちらっと見ます。
こちらが一番手前の部分です。


ちょっと奥へと進みます。


中はこんな感じです。


ちょっと右側から・・・


振り返るとこんな感じです。


探検心に火が付きました。
軌道を奥に進みます。


更に奥に進みます。
なかなかの良い風景が続きます。


更に進むとこんな風景に変わり、橋を渡ります。
この先も行ってみたかったのですが、帰る時間もあるしどこまでつながっているのか解らないということで引き返したのだと思います。
何せ、こんな上部軌道があることも知らなかったのですから、総延長もわかりませんのでやむを得ないところです。


最後に一番手前にあるワイヤーのプーリーを撮りました。
どちらにしてもこのトロッコ探検、大変興奮する出来事でした。
芥川龍之介の「トロッコ」を思い出しました。