古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2022年2月26日土曜日

架線柱をもとめて その14 路面電車 東日本編

架線柱行脚、最終カテゴリーは路面電車です。

路面電車は多くが路上の電信柱からスパン線で支持しているので、意外と架線柱としては絞り使い部分もありますが、単独で建てられた路面電車もありました。そのような架線柱を中心に、時としては架線だけのご紹介の部分も出てきますが、広い心でご覧ください。

それでは、路面電車編。北から南へ何回かに分けてお送りします。

10.1.5 万世橋

と言いながら、まずは都電です。

都電は上へ向かってすぼむ形状の緑色の鉄柱が特徴でした。廃止後もその架線柱はかなりの場所で残っていました。これは万世橋袂に残っていたその架線柱です。



懐かしい看板も残っていましたが、現存しません。


08.7.23 新庚申塚

こちらは今も現役の都電タイプの架線柱です。

11.4.4 学習院下


学習院下付近には高速電車とそん色ない架線柱も見受けられます。

11.4.4 都電雑司ヶ谷

雑司ヶ谷電停付近は昔ながらの架線柱も健在。都電の雰囲気を残していました。

一気に北に行きます。


1969年の旭川電気軌道です。

郊外型電車が路面を走るユニークな鉄道でした。架線柱も線路風景も至って素朴な印象です。

サッポロはお電車写真しか見つからなかったので次は函館。

函館駅前を行く函館市電です。


右手に鉄製の架線柱が見えます。



仙台市営です。

お友達頂画像で、日時が不明ですがかなり昔物のですね。

木造単車の背後には立派な架線柱が並んでいます。


2022年2月24日木曜日

架線柱をもとめて その13 九州の地方私鉄編

 架線柱行脚の旅、今回はいよいよ地方私鉄編のアンカー・九州です。

18.4.23 戸畑


新日鉄のくろがね線です。

以前から行きたかったものの、行きそびれていて2018年にようやく訪問しました。

すでに単線となった後で、昔の活気は感じられませんでした。架線柱は製鉄改車らしくしっかりした鉄製の架線柱でした。

北熊本

熊本電鉄・北熊本構内の架線柱はびっくりしました。
機の角棒を継いだような簡素というか安普請というか、これでも良いのかと驚きました。

13.7.23 藤崎宮前

藤崎宮前から名物区間に入る場所にあった架線柱です。
基本的には北熊本と同じタイプですね。



こちらは上の写真の場所から振り向いた方向の様子です。
併用軌道区間の架線柱です。

13.7.23 北熊本

再び北熊本です。
素人細工みたいに見えてしまいます。



北熊本にはこんなけったいな架線点検用車両が存在していました。


こちらは途中の交換駅の様子です。
スパン線ビームに直架式の架線と、設備は路面電車並みですね。





最後は三井三池です。木製の素朴な架線柱の間に巨大な送電柱が建っているのが印象的でした。

2022年2月21日月曜日

抜海駅

  日本最北端ちょっと手前に列車から利尻が見える絶景区間があります。

03.10.11 抜海~南稚内

右手に見える海岸線の先に利尻が見えます。


全く何もない原野を走る列車は蒸気機関車時代からの有名な場所でした。



名前の響きに魅せられてその最寄り駅の抜海駅に行ってみました。
古い駅舎がまだ残っていて北海道を感じさせました。


駅前は見事なほどに何もありませんでした。

2022年2月19日土曜日

架線柱をもとめて その12 中国・四国の地方私鉄編

架線柱行脚、中国地方に移ります。

最初は下津井電鉄です。



東下津井駅です。
軽便鉄道ですが、電化時にはしっかりした架線柱が建植されています。
この架線柱はワールド工芸からも製品化されたことがありました。

21.11.2 児島

廃止されてから久しい下津井電鉄ですが、軌道敷は遊歩道として整備され架線柱がランドマーク的に残されています。


どこまで続いているのか深追いはしませんでしたが、児島から少なくと500mぐらいはずっと架線柱が残っていました。

70.7


玉野市営、架線が不要になってからの情景です。

続いて海を渡って琴電です。

06.5.26 今橋

志度線で見かけたシンプルな架線柱です。



琴電の次は伊予鉄です。

81.3.6 梅津寺

琴電よりも全体にきっちりした印象のある伊予鉄道。
架線柱もしっかりしていますね。

再び海を渡って広島電鉄宮島線です。

80.8.26 

今は完全に低床車の走る路面電車状態となりましたが、最初の訪問時は郊外電車型の方が多く走っていました。
架線柱だけを撮っていないのですが、電サhの背後の架線柱はシンプルな鉄製のものです。


こちらも背後に見える架線柱がなかなか良い感じです。

06.5.28 一畑口

最後は山陰の私鉄・一畑電車です。

06.5.28 美談

一畑電車の架線柱は直線的でシンプルな形状をしたオリジナルのもので、ほぼ全線統一されていました。

06.5.28 川跡

か細い架線柱で、この角度から見るとすぐに折れてしまいそうな風に見えますね。


2022年2月17日木曜日

架線柱をもとめて その11 関西の地方私鉄編

架線柱の旅、しつこくまだまだ続きます。

今回は関西エリアの地方私鉄です。

まずは近江鉄道から行きます。

08.11.14 鳥居本

近江鉄道の架線柱は木製のものが主流ですね。

22.2.8 水口松尾

先日訪問時も多くの木製架線柱が健在でした。

次は野垂れ死にに近い最期を遂げた野上電鉄です。

92.10.6 北山

架線の設備もプリミティブというか最低限の設備でした。新しい架線柱があちらこちらに横たわっていましたが、結局使わずじまい。この辺りの杜撰さも指摘されて欠損補助が停止されてしまったわけで、同電鉄の体質がここからも垣間見えます。

81.8.31 日方

日方駅構内です。
始発前に到着したら、電車のパンタグラフが上がっているのに電気がついていなくてお供しません。暫しするといきなりあちこちの電車から音がして電気が点きました。
要は終業時にパンタを降ろさず主電源を切ってしまっていたのですね。
これも驚きでした。

81.8.31 紀伊野上

魅力的な電車と沿線風景でしたが、経営的にはなんともでした。

叡電です。
08.11.1 元田中

複線区間が続く叡山線では、しっかりした架線柱が建植されています。

さすが、電灯会社ですね。


嵐電です。


今はどうかわかりませんが、以前は木製の架線柱が並んでいます。

次回は中国地方に移ります。

2022年2月14日月曜日

架線柱をもとめて その10 大井川鐡道の架線柱

今回の地方私鉄の架線柱行脚は、ちょっと番外編です。

番外編の鉄道線は大井川鐡道であります。

90.11.17 下泉

この独特のスタイルのビームの付く架線柱、個性的すぎます。
もちろん、大井川鐡道以外では見たことがありません(少し似たものが銚子電鉄でもありはしましたが)。

91.10.20 新金谷

新金谷から河原に向かって走る引き込み線は存在自体が怪しいですが、独特の架線柱が並ぶ風景も独特としか言いようがありません。

非常に簡易的な構造ですが、なんだか気になる架線柱です。


19.2.20 地名

でも、すべてがあのタその独特なタイプではありません。その上に最近はあまり見かけなくなった気がします。駅構内などはまあ、普通の架線柱であります。

19.12.20 下泉

でも、今どきで木製架線柱が続く鉄道は稀有な存在になりつつありますね。



例の金谷の引き込み線・近年の姿です。

18.1.6 抜里

以上、架線柱行脚番外編でした。

2022年2月12日土曜日

弊ブログ、ダイヤ改正のお知らせ


今年の3月のダイヤ改正はJR/民鉄ともども、コロナの影響を受けた減量ダイヤを中心とした内容で発表されていて寂しいものでした。その内容は様々ですが、減便・運転中止などが多く、新規列車の設定や増便などはあまり見られなかった気がします。

個人的には東武線の日光・鬼怒川方面エリアから会津方面の運転系統見直しが結構衝撃的でした。

22.1.28 会津荒海



そこで久しぶりに雪の会津に行ってきたりしました。


この6050系も野岩鉄道エリアに封印されるに近いダイヤに改正されることになっています。2扉の固定クロスシートというスタイルの電車も色々な観点から現代の時代要請にはマッチしなくなっているのですね。


さて、本題に戻ります。

数年前ぐらいからうすうす感じていたのですが、ブログという情報発信手段も同じく時代の要請というか需要とはかけ離れつつある気がしていました。

既にYahooブログ他、いくつのプロバイダが撤退をしていて、お友達が結構そのあおりを受けてブログ維持に苦戦しているのも見ていました。

そこで、弊ブログにつきましても3月からダイヤ改正を行い、減量ダイヤに変更いたします。これまで基本2日に一回更新を目標にしてきましたが・・・

*体力的に結構しんどい

*情報発信手段がほぼSNSに移行しており、ブログは時系列的にはそれの劣化版情報にならざるを得ない。

*お友達の多くはそちらのSNSで既に情報交換が済んでしまっている。

*何故か、PC以外から管理者画面に入れなくなって、リアルタイムの対応が今まで以上にできなくなって、頂いたコメントにレスポンスができないなど、ストレスを感じることが多くなった。

等の理由から、これまでの隔日更新は中止し、更新頻度を下げて差し支えないだろうと判断しました。

最初は休止も考えましたが、アーカイブ性などはやはりSNSよりもブログの方が優位性が残されていることから、存続・減量ダイヤとすることとしました。

更新頻度は減らしますが、気分の乗った時は連続更新をするかもしれません。

何もアナウンスなしに更新が無くなると皆様にご心配をかけかねないと思い。以上ご案内とさせていただきます。