古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2021年6月28日月曜日

高崎へ その2 上信電鉄 鏑川に架かる鉄橋今昔

 1980年に友人と行ったことのある、馬庭駅そばの鉄橋に久しぶりに行ってみることとしました。

21.6.17 馬庭

こちらは、馬庭駅です。

上信電鉄の駅舎はどこも古い駅舎を維持整備しながら使っているので、駅舎巡りも楽しいです。

80.11.30 馬庭ー吉井

こちらが、1980年に鉄橋で撮影したものです。

そして、今回です。

21.6.17馬庭ー吉井

ちょうど、上信リバイバルカラーの107系改造の700系電車がやって来ました。

雰囲気は橋梁部分なので当たり前ではありますが、往時のままですね。



以前の写真に近い場所でもう一本撮ってみます。




1980年にやって来た電車はデハニとクハの2両編成でした。
これ以外に4両編成の電車もやって来ました。



鉄橋を振り向いた下仁田側も遮るものが無く、奇麗に撮れる場所でした。




でも、こちらは様子が一変。
線路の向こうに大きな工場が建って、なんとも絵になりません。


更に望遠で撮ると浅間山が見れる風景でしたが。。。。


今はソーラーパネルと工場ですっかり雰囲気が変わってしまいました。

2021年6月26日土曜日

高崎へ その1

前回の熊谷に続いて高崎へ商用で行ってきました。

今回は訪問先が電車では不便なので車で向かうことにしました。

そうと決まれば、約束時間より前の時間を活かして上信電鉄を久しぶりに行くチャンスです。早起きして現地へと向かいました。

21.6.17 西山名

最初に向かったのは偶然車の車窓から見てよさそうな雰囲気であった西山名付近です。
最近は撮るお電車があまりドキドキするものが無くなったせいか、踏切を撮影するのが好きになってきました。


最初にやって来たのは上信オリジナルの新製車。

色々な補助金を使って年度をまたいで一輌ずつというお役所的工面をしての新製のようですが、地方私鉄で新製車輌がデビューすること自体が素晴らしいことです。




次の上りの電車もオリジナル電車。上信電車のカラーリングは昔から独特ですね。
クハの塗装は阪神の近年の青胴車みたいです。


上信電鉄の架線柱は大半がこのレールを組み合わせた繊細なタイプです。
見た目も美しく、ほれぼれしてしまいます。

馬庭

こちらは馬庭駅構内の架線柱と蔦の絡まった農業倉庫。
模型にしたいような風景です。


リレーBOXも良いです。


馬庭駅です。

古い駅舎が残っています。駅前広場なんて存在せず、狭い道に面した立地などは、いかにも私鉄らしい雰囲気です。

次回は久しぶりに行った近くの鉄橋の話の予定です。

続きます


2021年6月24日木曜日

スイスの電車

海外の電車は日本の電車の感覚とはちょっと性格が違うようです。

やはり長らく客車列車で成長してきた歴史を反映してか、電車になっても動力分散方式という感覚はあまりないようで、高出力の電車が当たり前のようです。

91.8.10 Zurich

こちらの電車は出会った時から一目惚れしたRBe4/4という電車です。


 
電車ですが、このように機関車と同じように客車をそれなりの輌数を牽引しますので、客室のある電気機関車に近いものがあります。それだけの出力がある割には見た目はちゃんと電車になっているので、機器などの構造がどうなっているのかが不思議です。


91.8.11 Winterthur

1991年当時は客車を中間に挟んで運転台付きのクハみたいな客車をつないだ編成でのプッシュプル運転で近郊区間用列車に使われていました。この電車、モーター音は結構うるさく、お客さんはそれがわかっていてこの電車を避けて客車の方に乗る人が多かったそうです。




この電車、いつかは手元にあっても良いなと思っていましたが、それが最近実現しました。どれも漫画家の水野良太郎さんの遺品を購入させていただいたものです。
水野さんは生前NHKの番組でもいろいろとお世話になって、以来ご逝去されるまで細々ながらお付き合いが続いていました。そのような水野さんの遺品を手元に置くことができることもちょっと嬉しい気持ちでありました。
一番右の電気機関車みたいのは日本の感覚では荷物電車に相当する車輌で、普通の電気機関車とはちょっと違った区分にはいるようです。


RBe4/4形、同じようで年次変化があるようで、模型も作り分けされています。左が一次型、右が二次型です。

差が良く分からなかったのですが、良く見ると屋根が全く違いました。


2021年6月21日月曜日

スイスのアローザ線へ。

じめじめした季節になりました。そこで、少しでも涼しい話題をひとつ。

卒業旅行で行ったヨーロッパ。

色々なところに行きたいのは山々ですが、初の海外旅行でいろいろな面で不案内です。そこで、海外に出かけている先輩に初めて行くならここ!というおすすめポイントを教わることにしました。

そこで紹介されたポイントの一つがスイスのレイテッシュ鉄道のアローザ線の途中にあるラングヴィース橋というところでした。こちらは比較的簡単に行けそうだということで、案内に従っていくこととしました。

84.2.29 Chur

アローザ線はクールから出ているレイテッシュ鉄道の路線ですが、本線に当たるサンモリッツなどに向かう路線とは違い、駅前から出る路面電車然としたターミナルでした。
日本の私鉄と同様にレイテッシュ鉄道もいろいろな生い立ちの路線を統合しており、こちらもそのような路線の一つです。
こちらはクールアローザ鉄道という私鉄を吸収したもので、訪問時は直流電化(のちに交流に変換)の25Kmほどの鉄道でした。

84.2.29 langwies

赤い小さな電車は山あいを右に左にくねるように走って、いきなり視界が開けたら件の目的の鉄橋でした。
駅は橋を渡ってすぐで、駅近撮影ポイントでした。
さて、目的のラングヴィースの鉄橋です。
確かに、雄大で素晴らしい景色で満足をしました。


こちらは縦位置で。



上の写真を撮った位置から下を見ると駅が見えます。
駅から山登りはしないといけませんが、手軽なポイントではありました。


珍しく記念写真を撮っていました。


2021年6月19日土曜日

初めてのデジカメ画像から。

デジカメを初めて使ったのは恐らく2000年ごろでした。

新時代のカメラ、フィルムが要らなくてバンバン撮れる!奇麗!というイメージをもって期待いっぱいで購入したカメラは、信じられないほど電池が消耗し、何と!10枚も撮ったら電池アラームが点灯して使えなくなってしまいました。。

今考えるとこれはさすがに異常で、個体的な問題があったのかもしれませんが、すっかり興ざめしてしまいカメラ店に相談することもなく再び使うことはありませんでした。それでもほしいという人がいて譲ったため、データもそのまま消えてしまいました(なんと言っても試し撮り程度で、データ保存するレベルでもなかったというのもあります)。

その時のトラウマからデジカメには懐疑的で、スナップ用にと安いカメラを買ったのが2004年でした。その時に撮った画像の大半はほんとうにスナップ画像でしたが、一部電車も混じっていました。どれもが仕事中に道すがらパチリと撮ったものばかりです。

今回はそのようなついで画像をご覧ください。

04.2.27 小川町


小川町駅です。お世話になっていた代理店に行った帰りに撮ったものかと思います。営団のマークが懐かしいです。


これは昌平橋ですね。
秋葉原まで歩いた時にここを経由したようです。



今は撤去されましたが、中央線ガード脇から神田川までの狭小スペースに渋すぎる家がへばりついていました。


秋葉原です。
京浜東北線は209系ですね。

京急川崎


用務先は川崎でした。
川崎のクライアント行くときは行きはJRで行って、帰りは京急でのんびり帰るのが常でした。



この日は1000形の普通車でのんびりと帰ったようです。





1000形普通車の車内です。



品川まで乗車。


最後のカットは何故か泉岳寺。

どこに用事あったのかはすっかり忘れています。


2021年6月17日木曜日

鉄道趣味の原点とは?

鉄道趣味の原点というのは何なのでしょうか?

勿論、人それぞれかと思いますがやはり線路が続いている風景に原点があるのではと私は思うのです。


ですが、その症状が悪化するといろいろなものが鉄道の範疇に見えてきます。

喜々津

これって、鉄道でしょうか?
違いますよね、一般的には。


でも、これはトロッコにも見えてきますね。


ふつうは線路は視野の先まで続くものですが、海の中に続くのも何故か魅力的。。


所変わってこちらは瀬戸内です。

房前


こちらにも、ありました。
それもこっちは複線です!
枕木形状も左右で異なって、右側が新線(?)のようです。



海に向けて進む線路。
やっぱりこれは萌えます(個人的感覚です)。


みなさまは如何でしょうか?

2021年6月15日火曜日

熊谷へ。

先日、とある顧客のリクエストで熊谷まで行くことになりました。

このような時期なので、面談は最小限にして電話やメールでの商談が基本なのですが、そのお客さんは直接打ち合わせたい、でも東京は怖いから行きたくないので来てくれ、というちょっと我儘なリクエストなうえ、内容も人柄もわからない顧客だったので最初から気が進まない話でした。でも仕事なので、そこは割り切っていくしかありません。

どうせ気が向かない仕事なら、とっとと要件すまして秩父鉄道線でも見るぐらいのオマケをつけて、気分を持ち上げることとしました。

21.6.8 豊島園

豊島園からは黄色い電車で池袋へ。
ママ鉄が電車撮っていました。

池袋

湘南新宿ライン待ちの間にスペーシアがやって来ました。
朝の上りということもあってか、悲しいほど空いていました。
そして特別快速高崎ゆきで一気に熊谷へ向かいます。

熊谷

熊谷に到着しました。
あのE233の固いシートではここまででも結構疲れますね。
途中で抜いたEF64形が後を追うように通過。
でも橋上駅のホームで撮ってもロクな写真なんて撮れるわけも無く・・・。
撮影後画像をみたら連結器が双頭式のやつでした。この辺りの機関車は詳しく分からないのですが、これってもしかして『死神』と言われている機関車かなと思い、戻ってきて調べたらやっぱりそうでした。



仕事の待ち合わせまで一時間以上ありました。
まずは跨線橋から秩父鉄道線を覗いてみます。
すると、東武の電車いるではないですか!
それも2両編成で自力走行!
電機牽引の回送列車は見たことがありますが、東武車自力走行は初めて見ました。
あとでわかったのですが、これは東上線の8000系を迎えにゆく伴車だそうで、秩父線で誘導障害を起こすブラシレスMGを搭載せず、秩父ATSを搭載した牽引車専用で使われている編成なのだそうです。



カレーライスを食べて再び窓の外を見たら、今度は3000系のリバイバル色が停まっていました。
オリジナル車と比べると鼻筋が塗分けられているので西武時代のイメージが濃い姿となっており、奥の3001編成とは意外と印象が異なるのが分かります。



食事しても時間が余ったので、駅付近を散策。
表通りから外れると昭和な風景も若干残っていました。



熊谷なのに筑波?
ちょっと不思議な気分になりました。


本来の目的の仕事は呆気なく終了。
予感的中で、まったくお話にならないレベルの商談でした。
終了後は当初から考えていたように同じルートで帰るのも能が無いので、寄居経由で帰ります。

80.11.30 熊谷

こちらは41年前の熊谷駅です。
この当時とは駅の雰囲気も電車もすっかり変わってしまいました。

寄居

寄居まではこの電車のお世話になりました。
出来れば三田線に乗りたかったのですが、最近はその動いている姿をとんと見なくなってしまいました。もう、東急の子会社みたいな秩父鉄道線になってしまいました。


電車は変われど、駅には懐かしい設備も残っていました。



寄居ですぐ東武線に乗り換えるのも詰まらないので、隣の玉淀駅まで寄居の古い街を散歩することにしました。途中で遭遇したこの古い酒屋さん。
味わいのある建物でした。



この酒屋さんを曲がったところの踏切でちょっとだけ列車を見ようと行ったら、運よく貨物列車がやって来ました。



中途半端に古い街並みと8000系婆さん電車のツーショット。
都会の隙間電車と違って車の心配しなくても、車が来ません。。



再び街並み散策再開です。
このような古い洋館も人知れず残っていました。
このような建物見れただけでも寄り道した甲斐があったというものです。



玉淀駅に着きました。
短い距離ですが、地方の街の懐かしい雰囲気を味わえました。


こちらの電車で帰宅しました。