長岡までは急行佐渡で、長岡からは70系電車で柿崎往復をしました。
長岡の駅の奥の方には西武線と同じ色をした小さい電車が止まっていました。
越後交通栃尾線です。
でも親と一緒の行動では我儘も言えず、帰京したのでした。
近代化の進んでいた越後交通栃尾線はまだまだ大丈夫と小学生の私は思っていましたが、後で既に部分廃止されて先行きが怪しかったなんて知る由もなく、チャンスもないまま廃止となってしまい、結局間に合いませんでした。
廃止から二年弱してから、長岡から浦瀬の近くまで廃線跡を歩きました。
ニフ 77.3.24 長岡 |
77.3.24 下長岡 |
こちらは下長岡あたりで発見した架線柱です。
線路は雪の捨て場所になってうず高く雪が積もっていました。
下長岡の車庫は未だ残っていましたが、入口は固く閉ざされて、中がどうなっているのかは分かりませんでした。
77.3.24 浦瀬付近 |
この先、川に阻まれたので、引き返すことにしました。
軽便鉄道としてはCTC化に取り組んだり、近代化に努力をしていた栃尾線でしたが、結局その元気な姿を見ることができなかったのは残念です。
2 件のコメント:
越後交通栃尾線に間に合わなかったとは、本当に悔やまれますね。
私は、何とか滑り込みで間に合いました。
大学合格が決まり鉄道旅行解禁になった75年3月、尾小屋鉄道訪問の途中に部分廃止後の全線を一往復しました。
新幹線工事中の長岡駅から栃尾線のホームに着くと、写真に写っているニフが迎えてくれ期待が高まりました。
帰宅後にもう一度訪ねたくなり、最終日に再度出かけました。
当日は、上見附から下長岡まで歩きながら撮影しました。
しかし、 行き当たりばったりの上に雨降りでは、ろくな写真は撮れませんでした。
それでも、今思い返せば楽しい一日でした。
鉄道以外で最も印象的だったことは、下長岡駅に掲げられた額入りの田中角栄元総理の写真でした。
元・いきもの部長さんは栃尾線間に合ったのですね。
私は確か73年ごろの鉄道ファンの写真を見てどうしても行きたかったのですが、結局叶わず仕舞いでした。
ヨーロピアンスタイルの細身の電車がどんな音で走っていたのか興味がありました。
私も長岡線で田中角栄の写真を見たような気がします。
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