古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2013年7月31日水曜日

熊本電気鉄道 上熊本今昔

熊本電鉄早起きつまみ食い、もう一か所見て見たかったのは上熊本駅周辺の今です。
併用区間で電車を撮ったあと、黒髪町から電車で北熊本経由で上熊本を目指しました。
先ずは1981年の初訪問時の写真からです。

モハ122 81.3.2 上熊本
冬の傾きかけた陽射しを浴びて上熊本駅で乗り換え客を待っていたのは、元南武鉄道のモハ122号でした。
車体に『菊池温泉⇔熊本』という大きな看板(サボ?)をこの頃の電車には掲げて走っていました。

202A 13.7.23 上熊本
こちらは、今の上熊本です。
これはびっくり、何一つ痕跡の無いような変貌ぶりです。

モハ122 81.3.2 上熊本
ちょっとアップで撮った122号。
既に側線が撤去されて一線スルーにはなっていましたが、まだのんびりとしたムードが残っていました。

202A 13.7.23 上熊本
同じような位置で撮った200形。
南海角ズームの成れの果てです。
関係の深い西鉄系工場で改造を受けて、前照灯もグロテスクな西鉄風に化けています。
排障器もインドネシアの電車みたいにグロテスクで、好きになれません。
車番の『A』は?ATSのAだそうです。
よくわかりません。

モハ122 81.3.2 上熊本
この雰囲気、地方私鉄らしくて好きです。

202A 13.7.23 上熊本
この雰囲気、どこかのトラムの駅みたいで好きではありません。

 81.3.2 上熊本
1981年当時の上熊本駅舎。
当時の駅前の道は細い道で、のんびりとしたものでした。

今回訪問して片側二車線の道路になっており、道の反対側の行くのも憚れるような交通量でしたので、こちらは今昔写真はあきらめました。

89.5.6 上熊本
こんな上熊本駅から振り返ると、国鉄上熊本の立派な駅舎がこのような感じで見れました。
九州新幹線工事の時の高架化に合わせて撤去か保存かで話題になりましたが、結局は撤去されてしまい、残念です。

 13.7.23 上熊本駅前
トコトコと駅舎の無くなって工事中のJR駅前を歩いてゆくと、件の上熊本駅が。
曳き家して保存されたのか?と思いきや・・・

13.7.23 上熊本駅前
駅舎正面ファザードだけで、後ろはありません。
まるで映画のセットみたい。
駅舎をイメージした電停上屋だったのです!
これはちょっとびっくり。
後で調べたら、保存運動の結果使える正面部分と屋根一部分を生かした形での駅舎の再現であったようです。

8501 13.7.23 上熊本駅前
駅舎(?)の裏側はこんな感じで、熊本市電の電停上屋です。
柱は鉄骨で組まれており、外観は全くの張りぼて状態です。
嬉しいような、騙されたような・・・不思議な気分です。
因みにこの不思議な外観は九州新幹線の車窓からばっちり見えました。
裏側が見えるので何とも滑稽な姿・・・としか言い様がありません。

9703A+B 13.7.23 上熊本
市電の車庫も上熊本に移転してきていました。
構内には日本初の超低床車がラッシュの出動を待っていました。

2013年7月30日火曜日

久しぶりに行きました・・・熊本電鉄 併用軌道

鹿児島への肥薩線の旅を終えた後の次の用務先は熊本でした。
熊本では朝からぎっしり予定が入っているので、ちょとだけ熊本電鉄をつまみ食い。
早朝早起きをして熊本電鉄の名物区間、藤崎宮前近くにある併用軌道区間に久しぶりに行きました。

 13.7.23 黒髪町ー藤崎宮前
始発電車前に徒歩で藤崎宮前を見学後に目的地に到着しました。
現場には同じような出張組の早朝鉄の方がいて、お互いに『良くやるね・・』と談笑。
現在の併用区間の様子です。
雰囲気は以前とあまり変わっていないようです。

6108A 13.7.23 黒髪町ー藤崎宮前
始発電車がやって来ました。
平日上りの始発列車が6:50過ぎに通過。
信じられないぐらい始発電車が遅いです。
それなのに車内はガラガラ。
ちょっと心配になりました。

601 89.5.6 黒髪町ー藤崎宮前
こちらは24年前の同じ場所です。
静岡鉄道からやって来た単行の電車がゆっくりと併用軌道を走ってゆきます。

601 89.5.6 黒髪町ー藤崎宮前
正式には併用軌道とは言えない場所ですが、見た目には実に良い雰囲気が残る最後の場所かもしれません。

6118A 13.7.23 黒髪町ー藤崎宮前
二番目の電車は都営三田線カラーとほぼ同じ編成がやって来ました。
大型の電車が実にゆっくりとやって来ます。


6111A 13.7.23 黒髪町ー藤崎宮前
振り返って藤崎宮前方の後追いです。
601 89.5.6 黒髪町ー藤崎宮前
601 89.5.6 黒髪町ー藤崎宮前
こちらの昔の風景はこんな感じです。
偶然にも踏切脇には当時も数少なかったオート三輪が止まっていました。


そのダイハツオート三輪のアップです。
当時でも既にオート三輪は貴重な存在になっていました。

601 89.5.6 黒髪町ー藤崎宮前
酒屋さんの軒をかすめて走る大型電車。

6101A 13.7.23 黒髪町ー藤崎宮前
早起きは三文の得、まさにそんな経験でした。

2013年7月29日月曜日

TOMIX153系新快速

TOMIXの153系、Nゲージではなく・・・大きい方の新快速を買いました。

大きい153系、揃い踏み

この新製品の新快速、聞くところによるとあんまり人気無いらしいですね。
私は非冷房の153系発売時に最初にこれに改造出来ないか?と思いましたが。
どちらにしても、非冷房、新快速と来て、一番ポピュラーな冷房改造湘南色が出て来ないのは戦略でしょうか?
良く分かりません。

大きい153系

取り敢えず、箱から取り出して記念撮影。
流石に大きいだけあって存在感が違います(出費も大きいですが・・・)。
いいお顔ですね。
あとはHゴムが車体より凹んでいる点を改善されれば文句なしなのですが・・・。

クハ、パーツ取り付け完了

クハに色々パーツを付けました。
方向幕はめちゃくちゃ嵌め込みがきつくて、裏側を少し削って強引に嵌め込みました。
正直、嵌め込み損なって傷だらけにならないかとドキドキしました。

偶数と奇数車
二両並べてニンマリです。
低運転台、デサイン的に好きですね。
次は401系が欲しくなります。

知らせ灯、そのまま付けると・・・
キツキツのクハ

知らせ灯、そのまま付けると・・・
ユルユルのモハ


側面の知らせ灯もきつくて、穴拡大してようやく嵌め込み出来ました。
逆にモハは穴が大き過ぎてそのまま嵌めると車体に埋まってしまいます〜。
帯に短かし襷に長し、とは正にこの事。
どうにかして〜、と言いたいです。

パンタ周りの色差し
モハ152、色差ししました。
モールド、ちょっとごつい気がしましたが、色差ししたらそれなりに落ち着きました。
パンタグラフも塗装をかけました。

湘南色とブルーライナー色

オリジナルの湘南色も買っております。
これも本当は冷房付きの方が良いのですが。



それでは、実物編です・・・・・
と思ったら・・・・・・写真がないっ!
何度も乗ったはず、撮ったはず・・・・ですが見つかりません。
きっと撮らなかったのに撮った気になっていたのでしょう。
その頃のChitetsuは新性能車に大変冷淡でした。

急行 比叡 クハ153-76 
82.9.4 京都
場所だけは新快速ふうのこの写真で今回は誤魔化します。
お粗末さまでした~。

2013年7月28日日曜日

肥薩線、明治から昭和に出会う旅(下)

肥薩線の明治から昭和に出会う旅、最終回は人吉から吉松まで通称山線・矢岳越えの区間です。
その前に早起きは三文の徳とばかりに、くま川鉄道を湯前まで始発列車で乗りつぶしをして来ました。

KT104 13.7.22 湯前ー新鶴羽

沿線は見事なまでの田圃の続く農村風景が続きます。
通学生を迎えに行く下り始発列車は、3両編成に数人の乗客を乗せて田圃の続く農村風景をひた走ります。

13.7.22 湯前

約50分前後で湯前に到着。
終点湯前駅は国鉄時代の駅舎が残っています。
沿線ではこの駅のみが国鉄時代の面影を残した駅舎のようです。
恐らく大正末期の開通時のままの駅舎でしょう。
以前は山を越えて杉安までつなげる構想があったために、構内は中間駅の構造をとっていましたので、あまり終着駅らしくない配置になっています。
駅前散策後、人吉への戻り列車は朝の通学列車で車内は学生でいっぱいでした。
こういう風景を久し振りに見ました。

朝の増結車、開放
KT203 13.7.22 人吉

人吉到着後は3連のうちの2両が入庫。
この後はきっとワンマン往復なのでしょう。
一旦宿に戻って朝風呂をいただいてから、肥薩線の旅の後半の山線・矢岳越えに向かいます。
宿泊した旅館はこちら(⇒人吉温泉 芳野旅館)。
夜にちょっと訪問して感動した共同浴場はこちら(⇒人吉温泉 新温泉)。

人吉から乗車する列車はいさぶろう1号・吉松ゆきで、本日は同列車としては最長の3両編成です。
SL人吉運転時は3両編成になることが多いらしいです。

キハ140 2125 13.7.22 人吉
車内の様子です。
予習なしのほぼ予備知識ゼロで乗車しましたので(実はこの列車にはあまり興味がありませんでした)、この列車については結構びっくりすることが多かったです。
最初にびっくりしたのは、これ、殆んどの席が指定席であったということで、車掌さんの案内で席を右往左往させられました。
一応、列車で配られたパンフレットと自宅に戻ってから復習からおさらいすると、『いさぶろう・しんぺい』号のルーツは、思ったより古く1996年にキハ31の普通列車一往復から始まっているようです。
列車名も『いさぶろう・しんぺい』号と思い込んでいました(最近、ネット検索に頼って時刻表をちゃんと見ていない弊害ですね)が、ちゃんと矢岳トンネルの上下出入口の石額の書かれた向きに合わせて下りが『いさぶろう』号、上りが『しんぺい』号になっていることを乗車して初めて知りました(恥)。
キハ140を改造した専用車になったのは九州新幹線部分開業に合わせた2004年からで、単行⇒2連⇒SL人吉に合わせた増結用を加えた3連、と進化しているそうです。

キハ140 2125 13.7.22 大畑
ともかくも、指定席料金を払ってクロスシート席に落ち着いて、列車は発車しました。
途中駅、大畑・矢岳・真幸、それぞれに5分程度の停車があり、プチ見学ができます。
先ずは大畑です。
こちらも24年ぶり。
以前の見捨てられてうらぶれた雰囲気はなくなって、綺麗になっていました。

ループ上から見た大畑駅 13.7.22 大畑ー矢岳
大畑発車後はループ線をぐるぐると登ります。
一段登って大畑駅が見下ろせる場所で、何と列車は停車してゆっくりと見せてくれます。
ただ、このように見える場所はほんのちょっとなので、3両編成を3回に分けて停車して、どの車両に乗っていても見られるように配慮されていました。
これはなかなか心憎いサービスですね。
大して期待していなかった『いさぶろう・しんぺい』号でしたが、すっかり『いさぶろう・しんぺい』号がご贔屓になってしまいました。

 13.7.22 矢岳
ぐるぐる登った先の矢岳でも停車時間があり、懐かしい駅舎が撮れました。
明治42年開業時の駅舎が維持されています。

キハ140 2125 13.7.22 矢岳
蝉の声しか聞こえない矢岳駅に停車中の『いさぶろう1号』。
交換設備は撤去されて一線スルーになっていました。
 13.7.22 矢岳ー真幸
矢岳からは下りです。
途中では日本三大車窓風景ポイントを通過します。
こちらもしっかりと停車。
写真撮ったりする時間が設定されていました。
奥に霧島連山、途中にえびの高原、手前に京町温泉の街並みが慌てずに見渡せます。
こりゃ、楽しい。

車内から見た真幸駅 13.7.22 真幸
再び列車は下り坂を快走して真幸に到着です。
真幸駅はご存知スイッチバックなので、駅を見下ろして一旦通過します。
駅には列車を迎える地元の人が手を振っていました。

いさぶろう1号真幸進入 13.7.22 真幸
スイッチバック後、駅に進入するいさぶろう。

キハ47 8159 13.7.22 真幸
真幸に到着です。
ホーム上には鳴らせば幸せになるという鐘があります。

キハ140 2125(左)、キハ47 8092(右)
 13.7.22 吉松
楽しかったいさぶろう、終点吉松に到着です。
そのまま隣の『はやとの風』に乗り換えます。

13.7.22 大隅横川
『はやとの風』も途中、大隅横川と嘉例川で5分程度の停車があります。
こちらが肥薩線最古の駅(1903年築)と案内された大隅横川駅です。
戦争中には機銃掃射を浴びて、その痕跡が残っています。

キハ47 8092 13.7.22 嘉例川
その次は有名になった嘉例川駅にまた小停車です。

13.7.22 嘉例川
嘉例川駅も実に良い駅です。
こちらも同時期の駅舎です。
こちらは7年前に一回キハ58に乗って訪れていますので、そそくさと撮るだけで終了。
大きな七夕飾りと思しきものがいっぱいぶら下がっていました。

504 13.7.22 鹿児島中央駅前
そして、列車は隼人経由で本線を桜島を左手に見ながら快走して、鹿児島中央に到着。

用務先までは市電で向かいます。
運良く、懐かしカラーの古い電車が来ました。
この500形は最古参になっているようで、現役車は4両程度しかいないみたいですので、この電車に会えたのはラッキーだったのでしょう。
この1両以外は新し目の電車しか見れませんでした。

504 13.7.22 高見馬場
こちらに乗って、目的地到着。
実に楽しかった、役得肥薩線の旅、これにて終了です。