古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2012年3月31日土曜日

長野電鉄屋代線 最終日に寄せて

いよいよ、その日が来てしまいました。
昨日も書きましたように長野電鉄の中でも屋代線区間には色々と思い出がありますので、できれば来て欲しくない日です。
同じような思いの方がたくさんいらっしゃる事と思います。


モハ3515 12.1.21 信濃川田 

うっすらと雪の積もった信濃川田に到着した夜明け間近の二番電車。
元日比谷線の電車がたった1人の乗客を乗せて屋代に向かいます。
この後数本の電車を見ましたが、通学時間帯の一部電車を除いてどの電車も似たり寄ったりの乗客数でした。
本当にびっくりするほど乗客は少ないことを目の当たりにしたわけです。
この光景を見たとき、現実は厳しいものと改めて感じました。



モハ2007 12.1.21 岩野ー雨宮

訪問当日のお目当ての2000系の臨時列車が岩野近くのトンネルを抜けて須坂を目指す。
以前はどこでも絵になる屋代線でしたが、今回の訪問で沿線風景が随分と変わり、思うようなシーンを撮れる場所が少なくなっていることに時間の流れを感じずにいられませんでした。

12.1.21 信濃川田

時が止まったような風景がここ信濃川田の駅にはいまだに残っていました。
この駅に明かりが灯っているのも今日が最後・・・。



12.1.21 信濃川田

毎日空気の如く、当然のように何があっても繰り返されていた電車の運行が、ある日を境にぱったりと無くなってしまう・・・。誠に寂しいことです。
陰ながら、お疲れ様でしたと伝えたい気持ちです。

2012年3月30日金曜日

長野電鉄屋代線、あと一日・・・

ついに残すところあと一日・・・
大好きであった長野電鉄屋代線が明日を以って長い歴史にピリオドを打つことになります。
モハ1501 86.5.4 若穂ー信濃川田
春の屋代線を行く単行電車。
今は後ろに高速道路が走ってしまい、同じ場所の特定が難しい程風景が変わってしまっています。高速道路、新幹線と交通の流れがすっかり変わってしまいました。
湯田中、志賀高原に行く急行列車が直通していたことを知る人も既に50歳以上の世代ぐらいでしょう。
この頃はすでに朝晩は赤ガエルの二両編成であった以外は1500形の単行になっており、昼間を狙って訪問していましたが、今思えばそれだけ営業的には厳しい状況になりつつあったわけです。

モハ1012 80.9.3 岩野
上の写真よりまたちょっと前の屋代線。この頃はほとんどの電車が二両編成でした。
暑かった夏の陽がようやく傾きだした岩野駅に二連の須坂行きが駅に進入。


モハ1501 92.10.17 大室ー金井山

大室から金井山の間の短いトンネルを出るモハ1500形。
先日訪問したら、ここは左側に工場が建っていました。

モハ1501 92.10.17 信濃川田
モハ1502の車内から撮った信濃川田でのモハ1501との離合。
ホームの長さの割に交換設備の線路長が長いのは、昔はそれなりの長編成の貨物列車との離合があった証拠です。
単行電車の交換しかなくなって、設備が持て余し気味です。
モハ1502 92.10.17 須坂
モハ1502の車内です。
モハ1501 80.9.3 松代
1980年当時はまだ少なかった1500形の単行電車。
恐らく午前10時代の電車でしたが、車内は結構立ち席客がいるぐらいの乗客がいました。

モハ604 80.9.4 須坂
いかつい昭和初期製、川造タイプのモハ600形。
大きなパンタグラフと合わせて大好きな電車でした。


モハ401 77.5.1 須坂ー井上
 前回アップした時(→惜別 長野電鉄「河東」線 1)にはアップに耐えないと思った画像で、諦めたのですが、この拙いネガ出番のラストチャンスかもと思い、画像編集のやり方がようやくわかったので(情けない、どうもPC音痴です)編集してみました。

ED5001 77.5.1 須坂ー井上
貨物列車も撮っていたのを忘れていました。
交換設備が立派だったのも、この貨物列車がきっと大量のりんごを貨車に積んで首都圏に運んでいたのではないでしょうか?
今回の部分廃止でJRとの接続もなくなってしまいますね。

2012年3月29日木曜日

鉄道コレクション「国鉄52系」をちょっと検証しました

先日購入したトミーテックの鉄道コレクション国鉄52系、人気のようですね。
私も購入後に改めて落ち着いて眺めてみたら、結構気合いが入っていることが判明しました。
最初はクモハとサハ、同じのが二両ずつ入っているだけとタカをくくっていたのですが、良く見ると一両毎に細部が異なっており、「おヌシ、なかなかやるな~」という手の込みようでした。
人気があるのも頷ける気がしました。
折角なのでちょっとだけいじってみました。
左がクモハ52002、右がクモハ52001。ジャンパ栓受けの有無での奇数偶数の作り分けやワイパーの位置などにも拘っています。なかなかの凝りようです。
クモハ52の妻面。母線の左右のとり回しも偶数・奇数でちゃんと逆転していますし、ステップの有無の差もちゃんとつくり分けています。幌枠もちゃんと静鉄タイプの両抱え式です。
それならばと、パンタグラフも実物通り52001はPS13、52002はPS11に交換しました。
ちょっといじるだけでも愛着が湧きますね。

サハ48も侮れません。プレスドアの形状がちゃんと違うのです!これはちょっとビックリ!
左がサハ48021、右がサハ48024です。
因みにサボ入れの位置も実物通り違っています。う~む、マニアック!
Nゲージャーではない私も、これで4,000円程度で買えるとなるとついつい引きずり込まれてしまいます。

さて、折角なので実物と比較しちゃいましょう。

クモハ52001 76.5.5 豊橋機関区

クモハ52002 76.5.5 豊橋 
 クモハ52一次車二両です。ほとんど同じと思ったら大間違い。
目につくところではパンタグラフがPS11とPS13で異なることに注意。
それ以外にも運転席のワイパーの取り付け位置や、52002の屋根がイボ付ビニールシート張りに交換されていたりと差異があります。マニアックですけどね。


クモハ52001 76.5.5 豊橋機関区
 クモハ52の妻面です。隅に大きなRが付いており、雨樋の位置やキャンバス止めの位置等、他の国電にはない特徴があります。また鎧形の通風器も残っています。
この辺りも鉄コレでもちゃんと再現されていました。


クモハ52001 76.5.5 豊橋機関区
 参考までに先頭部の床下の状況です。
これもクモハ52だけのイレギュラーな造作が色々と見られます。
サハ48021 78.1.2 豊橋
サハ48024 78.1.2 豊橋 
サハ48二両。ほとんど同じながら、プレスドアの形状や何故か異なるサボ入れの位置等、間違い探しのレベルですが微妙に異なります。
これもちゃんと作り分けてました。
おそるべし、鉄コレ。

2012年3月28日水曜日

模型の世界に生きる片町線電車

阪和線に続いて今回の片町線も模型バージョンが登場です。
私が見られた片町線電車はすでに72,73系ばかりの時代でしたが、ちょっと前に行っていたら
3扉、4扉ごちゃ混ぜの色々な電車の宝庫でした。阪和線が最後まで三扉車が主体だったのとは対照的でした。
また、戦前型の二扉電車の戦時改造の4扉車各種が在籍しており、この点でも魅力的な路線でありました。
模型では見ることの叶わなかった電車で5両編成を組んでみました。
クモハ31007 06.11完成
三列ガーランド型ベンチレータが特徴
クモハ31003 06.11完成
正面縦樋が側面に移設されいるのに注目
クモハ31はモハ43を戦時改造で4扉ロングシート化された上に、低速型のギア比の台車を履き替えた電車で、窓割りスタイルで大きく二つのグループに分かれます。
最初に改造したグループは扉間の窓をちゃんと4個ずつに窓割を変更したグループで(作例では31007)、後の改造グループは手抜きがされて、オリジナルの窓割りを生かした改造になっています(作例では31003)。両者は増設扉の幅が100mm異なります。
クモハ31は更新修繕でもオリジナルのガーラント型ベンチレータを残したものも多く、これは恐らく先を見越していて余り手を掛けなかったのではと私は思っています。
実際、廃車は同年代の車両の中では早目でありました。


クハ79045 06.11完成
同じ理屈でクハ58(のちのクハ47100番代)から改造された制御車です。
こちらは片町線だけではなく、京阪神緩行線にも結構配置され、晩年まで活躍した車両も結構いました。
やはりクモハ31のようにちゃんと窓割を直した車両と、「手抜き型」の両方があります。
私が会えたのもこの「手抜き型」タイプです。
クハ79060 06.11完成
理屈は同じながら種車が異なり、こちらは32系の制御車、クハ47から改造された車両で、2両だけの少数派です。 もうこれはクハ79と言えるのでしょうか・・・というスタイルをしております。
まさに異端車です。
正面の雨樋も更新時にも手が加えられず、直線のままです。
晩年はこの79060のみ正面窓がHゴム化されて結構強烈な顔に変身しており、それも運転台だけHゴム化された時代と三枚全部Hゴムの時代があるようです。模型はその最晩年の姿です。
クモハ60163 06.11完成
他の車に比べると癖が少ない車両で、普通のクモハ60に見えますが、こちらも癖ありで、数少ないモハ41の出力強化改造をされてクモハ60に編入された車です。
ノーリベット、運行窓二桁のスタイルです。

これら5両はクモハ60のみ真鍮キット組立で、それ以外の4両はペーパー車体、木製屋根のスクラッチです。5両共通で下回りはKATOのクモハ41・クハ55のASSYパーツをガポッと上回りに組み合わせたお手軽バージョンになっておりますが、見た目はこの安易な工作法の割にはそう見えないのでは・・・?と自負しております。

2012年3月27日火曜日

初めての関西・山陽遠征 (3・片町線)

西日本旧型国電制覇早歩きの旅、阪和線の次は片町線に向かいます。

クハ76309 76.3.22 天王寺
天王寺で鳳から乗った70系の区間快速電車の発車を見送ります。 奥には紀勢線直通のキハ58系の姿が見えます。構内は阪和電気鉄道時代の名残が随所に見られます。
早速大阪環状線の101系に乗り、京橋そして片町線の73系電車で四條畷を目指します。

クモハ73047 1976.3.22 四條畷
四條畷まで乗った電車を折り返し時間の合い間に撮影します。
クモハ73型の近代化改造車です。一見、画一的に見える近代化改造車ですが、改造工場でかなりの個体差があり、窓のRの有無や方向幕の有無など好き者の私には興味が尽きません。



クハ79474 76.3.22 四條畷
 編成反対側はクハ79の埋込みライト・鋼板屋根の1956年度型です。
全金車体の920番代にモデルチェンジする直前の、国鉄半鋼製電車」の最終形にあたります。
クハ79型は毎年のようにお顔がマイナーチェンジを繰り返しており、この車でこの後の国電スタイルがほぼ固まった感があります。



クハ79054 76.3.22 放出
落ち着きのない少年二人組はまた同じ電車に乗って京橋方向に向かいます。
そしてなぜか放出(はなてん)で下車しています。なぜこの駅で降りたのか理由不明。
ただし、ラッキーにもクハ79の中では異端車である4扉改造車に出会うことができました。
これを撮れたことで満足したのか、それとも時間がおしていたのか、勿体無くも次の電車で岡山に向かっています。
今ならここであと何本かは絶対に撮影しているのに・・・。あゝ勿体ない・・・。
ネガを見る度に地団駄を踏んでしまいます。
後悔先に立たず、まさにそれを実践しています。





2012年3月26日月曜日

鉄道コレクション「国鉄52系」流電を買ってしまいました

本日、鉄道コレクションの飯田線流電を買ってしまいました。

吊り掛け電車大好き人間には鉄道コレクションシリーズは大変に「毒」な存在で、値頃感も手伝ってNゲージャーではないはずの私もついつい手を出してしまいます。
まさにメーカーの思惑通りの「コレクション」状態のカモと化しております(笑)。

今回は晩年のスカ塗り狭窓4漣セットと独特の快速色セットが発売されており、金曜発売だったようなのですが既に一部量販店ではスカ塗りは完売!
慌てて買い漁りました。
自作クモハ52と記念写真
以前自作した16番のクモハ52と並べてまずは記念写真をパチリ。なかなか楽しいです。
微妙に湘南色と異なる飯田線快速色は私の世代には馴染みがありませんが、これもまた良し、ですね。

クモハ52002 77.1.2 豊橋
今回の鉄コレセットの実物画像をスキャンしてみました。
狭窓だけ、それもサハ48を中間に二両入れた貫通編成の4連はありそうでいて仲々なかった編成だったようで、この時は運が良かったのだと思います。豊川稲荷への初詣電車等に充当されていました。やはり、カッコイイです。

クモハ52001(左)、クモハ52003(右) 77.1.2 豊橋
流電が豊橋の駅で並んだ光景です。狭窓の一次車と広窓の二次車の並びです。
流電の運用は4両半固定編成的に30番代の運用に限定充当されており、基本的には豊橋口の南部限定と言って良い運用になっていました。
右の辰野行きはその飯田線30番代運用で唯一全線走破の運用で、当時北部区間は夜しか走行しなかったので、私も含めてアルプスバックの田切などでの写真撮影はなかなか叶いませんでした。
飯田線の撮影記はまた改めてまとめようと思っています。
明日は予定通り片町線です。

2012年3月25日日曜日

模型の世界に生きる阪和線電車

阪和線電車との出会いは二回ポッキリで終わってしまって、記憶の彼方へと行ってしまいましたので、順次模型で残そうと製作をしています。これは阪和線だけに限らず、訪問した各路線毎に残してゆきたいと考えています。
模型であれば、見逃してしまった車両や、見ることの叶わない時代に鬼籍入した電車でも再現できます。

このブログでは、実物編と並行して電車アルバム的にまとめてゆこうと考えています。
そう考えたきっかけは、我ながら驚くことにどんな電車を作ったかが時間と共に印象が薄れて行ってしまい、自分用に製作記録を写真カタログ的に残していかないと、そのうちに何を作ってあり、何を作っていないかがわからなくなりそうな気がしたためです。
情けないというか、なんと言うか・・・
でも、良い機会なので徐々に一両ずつ写真を撮ってこのように残して行こうと思っています。
模型にも興味をお持ちの方はお付き合いください。

今回の阪和線は4両編成が完成、あと4両が生地完成近し状態です。

クモハ73295 04.6完成
63改造のクモハ73です。台車がDT14を履く数少ないグループの車両を模型化しました。
クハ79364 04.6完成
 反対側の制御車にはクハ79新製車から中期グループの傾斜窓、取り付けヘッドライトのタイプを選びました。

モハ72567 04.6完成
中間電動車、モハ72も新製車タイプから選びました。
DT17付きの新製増備中期グループを選びました。
サハ57053 04.6完成
付随車はひと捻りしました。サロハ56改造のサハ57です。中央のドアの左右で窓配置が異なります。

2012年3月24日土曜日

初めての関西・山陽遠征 (2・阪和線)

引き続き阪和線です。
阪和線の主力は40系電車で、それに72、73系列が混ざって構成されています。
和歌山までの快速には70系が113系にじわじわ侵食されつつも頑張っていました。
電車区脇の本線をそんな電車が行き交います。
電車区の中の電車を見つつ、本線の方も気になります。

クモハ60157 76.3.22 鳳電車区脇本線
 慌てて撮った事がもろ判るお恥ずかし画像ですが、車両的には貴重な元祖モハ41原型車の数少ない生き残りの車両です。パンタグラフがPS11を装着しているのもカッコイイです。関東の大井工場はパンタをどんどんPS13に換装してゆきましたが、関西ではあまりしなかったようです。理由は私にはどうもわかりません。

クハ55802 76.3.22 鳳電車区脇本線
上の編成の殿を務めるのはクロハ55改造のクハ55800番台です。この車両は阪和線にしかいなかった車両で、見たかった電車が一気に目の前を走り去り、自分的には結構これで満足してしまいました。



クハ55804 76.3.22 鳳電車区

上記の電車通過後、電車区の外れに回ったらさっきと同じグループの電車がお休み中でしたのでパチリ。
クエ9423 76.3.22 鳳電車区
電車区の定番、救援車も居ました。
救援車は大抵電車区の外れに押し込まれていることが多く、障害物をすべて避けて撮るのが結構厳しかったりします。



クハ79364 76.3.22 鳳
 電車区の方にお礼を言って鳳の駅に戻ったらこんな電車が止まっていました。ごく普通のクハ79ですが、見慣れた茶色の姿とはずいぶん印象が違います。



クハ76310 76.3.22 鳳

快速、区間快速充当の70系電車です。
湘南顔に引っ掛けサボ装着は未だに馴染めません。
この電車に多分乗って次の目的地、片町線に向かったと思います。
何せこの一日で岡山まで行くのですから、大慌てです。

2012年3月22日木曜日

初めての関西・山陽遠征 (1・阪和線)

ちょうど卒業シーズン真っ盛りですね。
今から36年前(自分でもびっくり!)の今日3月22日から初めての親無し単独遠征行に出発しました。その後もいろいろ出掛けていますが、今思うと自分にとっては大変に印象に残る旅です。
その時の拙い写真で綴るこれまた拙い旅行記をしつこくアップしたいと思います。
気が向いたらお付き合いください。

さて、昭和50年(1975)から51年(1976)にかけては鉄道ファンにとってエポックになる年でした。そう、現役蒸気機関車完全引退の年です。当時の私は高校受験を控えて外出叶わぬ身分で、テレビの画像で最終列車を見送ったのでした。
しかし、私にとって最大の関心事は、勉強及び蒸気機関車以上に伝統の京阪神緩行線から茶色い電車が引退することと、最後の17M電車の牙城の可部線が危ない、ということでした。
その時に持参した時刻表とユースのスタンプ帳

無事に都立高校合格を手に入れた私は、その二つを見に行くために親と単独遠征の交渉に入りました。結果もうじき高校生になるのだからということで、中学の友人と二人で行くことと、ユースホステル宿泊を条件に5日間(足かけ7日)の旅行の許可を得ることができました。
友人との協議の結果、コースは私の希望を前半に、友人の希望を後半に取り入れて、まずは定番の大垣夜行で出発、以後すべて各駅停車で関西以西の旧型国電運転線区を総嘗めした上に、山陰のDF50とD51の残り香を見て、そこから夜行乗り継ぎで一気に尾小屋鉄道まで移動して全線乗車をして、またもやそこから夜行急行(これが唯一の優等列車)で帰るを足かけ7日間でこなす、ローコストなれど超ハードスケジュールな計画でした。
DD50 1 76.3.22 米原
最初のカットは111系車窓からのDD50でした。

そういうわけで、卒業式を終えるのもそこそこに友人と大垣夜行に乗って最初に撮ったのは米原のDD50、次のネガはいきなり第一の目的地・・・ではなく、第二の目的地、阪和線です。

クハ55303 76.3.22  鳳

そうなのです。第一目的の京阪神緩行線の旧型電車はタッチの差で間に合わなかったのです・・
中学生ですし、今みたいな情報が簡単に入手できる時代でもなかったので、わからないままに新大阪でご対面を待っていたのでした。
待っても待っても青い103系しか来ないので落胆して次の目的地に移動したのでした。

モハ72955 76.3.22 鳳

先頭車の次位にはその緩行線から状態の良い車両が転籍したと思われる、茶色のままの全金車が連結されていました。悔しいのでそれっぽく当時の私はアングルを工夫したみたいです。
クモハ73301 76.3.22 鳳


クモハ60083 76.3.22 鳳電車区


次に訪れたのは鳳電車区です。関西は電車区見学が厳しいとの噂を耳にしていたのですが、あっけなく見学許可が出ました。中学生の私はワクワクしながら構内を廻りました。

クハ55305 76.3.22 鳳電車区


こちらはサハ57改造のクハ55です。今ならちゃんと扉を閉めてから撮るのになあ・・・
貫通引き戸がそのままの無粋な仲間もいましたが、これは結構ちゃんと工作していて、最初から制御車っぽい出来になっています。電車工場は東の大井、西の吹田が両横綱ですが、工作力の点ではどうも西に軍配が上がりそうな気がします。それは未だにその傾向は拭えず、関西の電車のほうがどうも手入れが良い気がするのは私だけでしょうか?

阪和線後半はまた次回に続きます。