古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2015年6月29日月曜日

一畑電車 一畑口 (1)

一畑電車の旅、次は一畑口駅です。
途中の雲州平田駅は以前に紹介済みです➡一畑電車、初めての訪問  平田市駅

今見ると地形的にもスイッチバックの必要性を感じない一畑口駅。
結果的にスイッチバックになった一畑口は運転面では随分と障害でしょうが、趣味人からすれば面白い駅ということになります。


91.5.5 一畑口

駅構内を眺めます。
手前にシーサスクロッシングがあり、どの列車もこのポイントをクロス状に渡ってゆきます。

デハ3018 13.8.16 一畑口

最近の一畑口駅です。
この車両も無くなっちゃいました。

91.5.5 一畑口

駅舎の外観です。
駅前は人家も少なく、カエルの鳴き声が木霊する静かな駅前です。

13.8.17 一畑口

改修は加えられていますが、今も木造駅舎は健在です。

13.8.16 一畑口

RAILWAYSのロケシーンが掲示されていました。

91.5.5 一畑口

駅構内を反対側から眺めます。
写真の手前側、一畑に向かって戦前は線路が続いていました。

91.5.5 一畑口

駅の構内を松江側の田圃から眺めます。
左側に駅本屋があり、右手には立派な信号所もあることがわかります。

06.5.28 一畑口

ホームの上家です。
一畑電車の上家はどこへ行ってもこの支柱一本タイプのようです。


二枚とも 91.5.5 一畑

折角なので、昔の終点一畑まで行ってみました。
道路から眺めると未だに線路跡の痕跡を見つけることが出来ました。
終点一畑の駅跡と思える場所はすぐにそれとわかる感じでした。
そこには元駅舎ではないかと思われる建物と、元鉄道のものか元々バス用なのかどうかは不明ですが木造のバス車庫がありました。

2015年6月28日日曜日

江ノ電 稲村ケ崎から極楽寺の併用軌道

先日のあじさいの江ノ電訪問でも行ってきた稲村ケ崎から極楽寺の間の併用軌道。
その時の記事はこちら➡300形会いに江ノ電へ

本日は、それから21年前の同じ場所の様子を見てみます。


304 94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

304編成が走り去ります。
電車は変わっても基本的には今も昔も変わらない風景です。

305 94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

今も現役の305編成。

1201 94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

もう一歩手前に引いて撮ったのがこちら。
こちらの電車の奥の建物が本日の主人公です。

94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

上の写真の電車の奥に建つ建物が大変気に入りました。
このお店は線路を挟んだところに立地しています。

94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

正に、お店の玄関が線路状態で、このようなシュチーションはこの時初めて見て、いたく感動しました。

94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

お店から外を見るとこんな感じで、正にお店の軒先を電車が走っています。
どうもこの酒屋さんが線路を挟んで両側にお店を構えていたようです。
現在、この建物は解体されて、普通の民家に変わってしまっています。

94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

向かいの酒屋さん。
こちらは、今も健在です。

352 94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

路面電車の雰囲気を色濃く残す302編成がそのお店の軒先を掠めて走ります。


552 94.11.23 稲村ケ崎ー極楽寺

この場所は、いつ行っても良い風景です。
これからも風景が変わりませんように。

2015年6月27日土曜日

一畑電車、小さな駅(2)

美談の隣の駅、旅伏(たぶし)は模型にしたいようなまとまりのある駅舎でした。

92.11.12 旅伏

大寺ー美談ー旅伏の間は田園風景が広がっていて、カメラハイクには好都合な区間で、二度ほどこの駅の間を歩きました。
この付近のカメラハイク画像はこちら➡一畑電車、はじめての訪問


91.5.5 大寺

こちらは出雲市方の大寺駅です。

デハ3018 13.8.16 大寺

近年の大寺駅の風景です。
息子と夏休み親子旅で行った時のものですが、暑さでバテて電車が来るまでは駅舎でぐったりしてしまいました。
92.11.12 高浜
 
こちらは大社線のほうの高浜駅。
普段はデハ1の単行が往き来しているだけの駅でした。


デハ71 91.5.5 高浜

そんな高浜駅に普段やって来ない電車がやって来ました。
恐らく連休の多客対応だったのでしょう。

デハ6 92.11.12 高浜ー川跡

こちらは日常の風景です。 

2015年6月26日金曜日

野上電鉄 1993年6月

野上電鉄は随分と出かけました。
今回は最晩年の1993年の梅雨の晴れ間の訪問の時の画像です。

モハ11 93.6.26 北山

水田をバックにトコトコ走るモハ11。
同線の廃止は翌年の1994年4月。
こんな水田との組み合わせもこれが最後の年でした。

モハ27 93.6.26 北山

北山駅を出てゆくモハ27。
鉄道にまつわる施設はどれもへろへろボロボロ。
刹那的な風景です。

モハ11 93.6.26 動木

動木駅に進入してきたモハ11。
左脇に買ったものの使わなかったコンクリート柱が横たわっています。
杜撰な経営の片鱗が見え隠れする光景です。

モハ11 93.6.26 動木

富山地鉄からやって来た電車もかなりボロボロです。

モハ11と13の離合
 93.6.26 重根

重根でのモハ11と13の離合風景。
昼間はこの風景が繰り返されていました。

モハ13 93.6.26 紀伊野上

昼下がりの紀伊野上駅。
駅構内には撮影禁止の張り紙があって、かなりギスギスした状態になっていましたが、こうやって見る限りは長閑な時間が流れていました。

2015年6月25日木曜日

あれから四半世紀〜西武の赤電の見納め

西武鉄道の赤い電車の最後は想像以上に後年で、90年代まで多摩湖線で残っていました。
その理由は多摩湖線の国分寺駅のホーム有効長の無さにありました。
そして、その国分寺駅のホームが改修されて赤電が引退したのがちょうど25年前の6月24日でした。
本日は、その四半世紀前の様子をご紹介します。


クモハ354 90.6.24 
国分寺ー一橋学園

最後まで残った理由は上記のように、国分寺の駅構造が17M車三両が限界であったためです。
その駅改良がなかなか進まなかったために、皮肉なことに最古参の17M車が赤電のトリを務めることになったわけです。

クモハ354 90.6.24 国分寺ー一橋学園

最終日の赤電も大騒ぎをするでもなく、いつものように走っていました。


クモハ354 90.6.24 国分寺ー一橋学園

国分寺を出てゆく351形。
 
これが、私が撮った最後の西武の赤い電車になりました。

2015年6月24日水曜日

一畑電車、小さな駅(1)

一畑電鉄沿線のいくつかの小さな駅には大変コンパクトな駅舎がありました。

デハ61 92.11.12 美談

一畑電鉄では気候のせいか、小さな駅にもちゃんとした待合室が建てられている駅が多くありました。
こちらの美談(みだみ)駅もそんな駅のひとつでした。


92.11.12 美談

駅舎全景です。
以前は小規模ながら有人駅であったのでしょう。



二枚とも デハ61 92.11.12 美談

秋の昼下がり、単行の松江温泉行きがやってきました。



デハ63 81.12.28 美談

こちらは最初に訪問した時に乗ってきた電車を撮ったものです。


81.12.28 美談

駅前の細い道には気になる郵便局舎が建っていました。

2015年6月22日月曜日

KATOの吊り掛け電車新製品

先日、久しぶりにホビーセンターKATOを覗いてきました。

デハ268 15.6.8 ホビーセンターKATO

いつも綺麗な京急電車を眺めつつ・・・。



店内でちょっと変わった冊子を見つけました。



店内の案内用の冊子のようですが、創業時の写真なども掲載されていました。
KATOは鶴ヶ島市での国内生産が自慢のようであります。
鶴ヶ島市にふるさと納税するとKATO製品が貰えたりするらしいです。


新製品コーナー

二階の新製品コーナーを覗いてみます。
気になっていた流電、もう殆ど完成していました!
これが発売されると、コチラはポリバケツ逝きか?!

マニアックな選択

流電の4両編成、車両の選定がマニアックというか、あまりちょっと消化不良の選定です。
両側が流電でないという選択もさることながら、二次型でもPS13装備の004号を選んでいたり、相方がクモハ54なのも一般的には?な選択でしょう。
もしかしたら、次を考えての敢えてハズしたのか?
この次が気になります。

クモハ52二次車はこちら➡クモハ52二次車実物編

それによっては2編成買うべきか、そんなことすると無駄になるのか悩ましい選択をしなければいけないかも・・・。

車種選定にはみなさん其々思うところありそうなラインナップですが、個人的には戸袋Hゴムのクモハ54が入っているのは、改造ネタとしては有難いですね。
あと、これまでの飯田線シリーズに扉間6窓の本来の51系車体が何故か一度もラインナップされていないのも気になります。



それ以外にも気になる新製品情報が3つ。
一つ目はこちら。

クモハ12053 86.5.3 国道

クモハ12・鶴見線!!
101系の3連も発売との由。
もしかして、この後73系が出る?!


二つ目はこちら。

クモニ13002 78.6.3 三鷹電車区

何でこれ?
なんて思ってしまいますが、発売が楽しみです。
こんなのが出ちゃうなんて、有難い時代になりました。
これを出すならやはり73系を出してもらって、横浜線を再現したくなります。

デハ268 15.6.8 ホビーセンターKATO

夏には50周年記念でこれもちょっと変わった発売形態でリリースされるようです。
当面、目が離せなさそうなKATOです。

2015年6月21日日曜日

一畑電車 川跡

一畑電車の川跡駅は同線の一大ジャンクションです。

デハ23 81.12.27 川跡

川跡駅に進入するデハ23。
駅には出雲大社前へ向かうデハ6が待っています。


クハ103 92.11.11 川跡ー武志

出雲市からの北松江線の線路は川跡の手前で大きくカーブして、大社線の線路と合流します。

デハ23 92.11.11 川跡ー武志

92年の訪問時は手動扉電車はこの日は昼間は走っておらず、夕方からの登場でした。
先頭のクハの扉が半開きで走っています。
このおおらかさは現在では許されないでしょうね。

駅に着くと『かわとぉ~、かわとぉ~』と乗り換え案内の放送するおばさんの声が印象的でした。

二枚とも 92.11.12 川跡

こちらは、その駅舎外観です。
ジャンクションではありますが、駅の周りはこれと言った街並みが無いばかりか、お店さえありません。
全く鉄道都合の駅です。


92.11.13 川跡


駅構内の全景です。
ホームの番線の割り振りはちょっと変わっていて奥から3番線電鉄出雲市方面、2番線松江温泉方面、1番線出雲大社方面で一番左のホームが何故か4番線。
そしてその4番線は基本的には使っていなようでした。

92.11.13 川跡

駅構内の全景とホームです。

13.8.16 川跡


今はこんなです。


81.12.27 川跡

構内にある信号扱い所。

デハ6 81.12.27 川跡


デハ6 81.12.27 川跡

大社線のデハ1形。
ワンマン改造でスタイルを崩してしまったのは残念ですが、昭和初期の電車らしい姿は残していました。
のんびりと日がな一日出雲大社との間を往復していました。

13.8.17 川跡

駅構内の雰囲気はこの30年間、基本的には変わっていませんが、ホーム上屋は改築されています。


左からデハ2112、デハ3015、デハ2111
13.8.17 川跡

三本顔合わせは今も昔も日常風景です。