古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2014年7月31日木曜日

祝!!!100万アクセス記念・100に因む車両 東編

昨日・・・・・・・・・・
お陰様をもちまして、
ついに!!
『吊り掛け電車をもとめて』は
100万アクセスを!!!!
達成致しました!

ありがとうございます!
そして、
これからもよろしくお願いいたします!


そこで、
ブログでも大先輩のCedarさんサイトの300マンアクセスをパクって(パクリ元はこちら⇒Cedarさんサイト300マンアクセス)・・・


百万円札 メモ帳



記念にアクセスした方全員のなかから、抽選で総額100マンエンプレゼント、てのはCedarさん同様、嘘です。

今回の100マンアクセスでCedarさんの300マンアクセスの重みを改めてですが感じました。

さて。

祝!100万アクセス記念企画は3回に分けてお届けする特別企画としました。

内容は大概の方が予想するのを裏切らない?
やっぱコレか!?の・・・
『100』に纏わる車両を一挙に集めてみました。

皆さんの『100』形イメージとどれだけ一致するでしょうか?
その第一弾は、私鉄の東編です。

『100』という数字は響きが良いのか、相当数の鉄道事業者で形式として採用されていますので、その数は結構膨大です。
その中で、自分が出会えた範囲内で尚且つ電車中心にセレクトしてみました。

最初は青森県・弘南鉄道です。

弘南鉄道のモハ100形は基本大鰐線に配属された電車で、寄せ集め世帯でした。
元を辿ると、弘前電気鉄道開業時に中古の電車をかき集めたのがモハ100形のルーツです。

モハ105(左)、クハ1610(右)
 80.10.12 大鰐

こちらは日車標準型の側面に京成もどきの顔を付けたモハ105。
国鉄クハ16と顔を並べてお休み中でした。

モハ107 80.10.12 津軽大沢

こちらは秩父鉄道で余剰になった車体を利用したモハ107。
既に津軽大沢でダルマさん化していました。

モハ108 80.10.12 津軽大沢

こちらは京急400形を西武所沢でいじって投入されたモハ108。
弘南鉄道大鰐線の電車たちの中では明快な電車でした。


次は同じ青森県の私鉄、南部縦貫鉄道です。

キハ101 80.3.15 野辺地

レールバス、キハ101の運転台。
この二軸のレールバス、お世辞にも乗り心地が良いとは言えない代物でした。
おそらく最初で最後の体験の乗り心地で七戸に向かいました。
機械式なので、当然バス同様にクラッチ踏んでシフトアップして走るのも興味津々でした。

キハ101 96.2.24 盛田牧場前

三八上北のなめらかな起伏が繰り返される地形をのんびりと走ってくるレールバス。
本州とは言え、ここ三八上北の地の風景はかなり大陸的になものになっていました。

キハ101 91.9.21 坪川

シフトチェンジをしながら加速する音が良く聞こえました。
ご存知のように新幹線開業を待たずに姿を消してゆきました。


次は関東エリアです。

クモハ110 80.11.16 常北太田

日立電鉄のモハ100形(こちら⇒日立電鉄日帰り旅)。
静岡鉄道が作った電車を譲り受けたものです。
車体の割には下回りは古いもんで賄ったちょっと見掛け倒しの電車でした。

デハ101 80.4.24 大胡

上毛電鉄デハ101(こちら⇒上毛電鉄デハ101の変遷)。
こちらは今なお現役の電車ですね。
この電車を見た当時、丁度黄色い電車が西武線電車に置き換えられている最中で、仲間も多くが休車中でしたので、こんなに長生きする電車になろうとは思ってもいませんでした。

クモハ101 80.11.30 根小屋ー南高崎

上毛のお隣の上信電鉄にも西武の旧型車が売り込まれて活躍をしていました。
こちらは西武の451系電車です。
変な色で好きになれませんでした。


デハ107 80.4.27 白久ー三峰口

秩父鉄道オリジナルの電車、100系電車は結構な大所帯でした。
扉の位置が内側に寄った独特の窓配置で、小田急1800形に押し出されるまで永らく活躍を続けてきました。

デキ101 08.5.22 熊谷工場

こちらは秩父鉄道のもうひとつの『100』形、デキ100です。
トップナンバーの101号は茶色に塗り替えられていました。

デキ103 09.12.8 波久礼ー樋口

こちらは貨物列車の先頭に立つデキ103。
国鉄101系がいた当時何度となく行った場所です。
電車の合間の貨物列車は昔日の鉄道を思い出させるものでした。


モハ105(左)、モハ1001(右)
80.6.12 馬橋

次は千葉県です。

総武流山電鉄は時代の流れに翻弄されてきた小私鉄です。
戦後の長い間、南武鉄道からの買収車のモハ100形が行ったり来たりしていました。
こちらはその最末期の風景です(こちら⇒総武流山電鉄 モハ105)。

モハ129 80.6.12 くぬぎ山

新京成電鉄には京成電車からやって来たモハ100形が更新を受けながらもまだまだ大活躍を続けていました(こちら⇒京成電車の廃車体)。
この電車が北総線の軌道を走行するシーンを見ようと思いながら結局は叶いませんでした。


118 82.5.22 中野工場

営団地下鉄銀座線にも100形はいました。
そnお殆どはすでに解体されていましたが、中野工場には2両が構内入換等の用途で残っていました。
こちらはその目的もとうに終わったあとの姿を工場の守衛さんに懇願して遠巻きに撮らせてもらったものです(こちら⇒営団地下鉄の古豪)。

左から304、1002、107、1101、306
82.2.10 極楽寺

江ノ電の100形はタンコロです(こちら⇒江ノ電のタンコロを見にゆく)。
こちらはそのお別れ運転が行われた折に極楽寺で撮ったものです。


モハ101 80.5.4 入生田ー箱根湯本

箱根登山のモハ1形電車は形式的には『100』形ではありませんが、車番は100のグループに入れてあげたいので登場させました(こちら⇒33年前の箱根登山電車)。
まだ湯本から小田原寄りが小田急化する前の風景です。


モニ101 82.4.1 大月

東篇のトリは富士急行です(こちら⇒富士急行の荷物電車)。
富士急オリジナルの生き残りの二両が旅客電車に併結されて往復していました。
こちらは大月駅で休憩中のモニ101。

モニ102 82.4.1 寿ー三つ峠

三つ峠から寿への勾配区間をゆくモニ102です。

次回は、私鉄・西編です。

2014年7月30日水曜日

KATO飯田線シリーズ クモハ42とクハユニ56の3連

KATOの飯田線シリーズ第二弾の2つのセット、発売がちょっと遅れましたがお待ちかねの入荷案内が来ましたので、予約品を購入して来ました。


飯田線第二弾


飯田線の第二弾の発表があった時、そのラインナップについて皆さんどう感じられたでしょうか?
ちょっと意外なクモハ42を2両組み込んだ3連直行編成とこれまたちょっと驚くクハ47流電改造車とクモハ43の出力強化形のクモハ53のペアできました。

直行3両編成

実物でクモハ42を2両組み込んだ40番台の直行編成は比較的少なく、クモハ42は30番台の流電編成の相方に組み込まれていることも多く見られました。
これはもしかするとこれからの流電を意識したものなのでしょうか?
(そんなこと無いか・・・)

ちゃんと出来てます

まずは帰宅後早速に開封してみました。
ぱっと見、流石KATO、素晴らしい出来ですね!

個性豊かな飯田線の旧型国電は車番毎に違いがあって、またその製品を買いそうな客も客でその違いに結構ウルサイ人が多いので、製品化には面倒な相手でしょう。
ご多聞に洩れず旧型国電にくだらなくウルサイChitetsuとしては、結構共通部品好きなKATOが2両あるクモハ42についてどうなっているかが気になりました。

クモハ42比較

すると・・・・
流石にある程度の作り分けはしっかりされていました。
その差異は正面貫通扉のサボの有無です。
些細なことですが、ちょっとこれは嬉しいですね。

屋根周りは一緒

でも、それ以外は一緒みたいです。
細かいところ見るとちょっと違うなあ・・・とついつい老婆心ながら余計なところに目がいってしまいます。
またこの幌枠は量産品なのでしょうがないですが、車体色部分までグレー整形なのでタッチアップしたいところですね。
このあたりは今後の宿題というか楽しみに残しておきます
・・・というか、すぐに手が回りません。

クモハ42・電気側

こちらは電気側側面・クモハ42013です。
クモハ42013の3、4位側の幌は静鉄型では無く薄いオリジナルに近い幌を装備していたので、そのあたりも手を加えたいところです。
実車画像は改めての記事で紹介したいと思っています。

クモハ42・空気側

こちらは空気側側面・クモハ42009です。
やはりグレーの幌枠が気になります。

クハユニ56011


クハユニ56は在籍2両の荷物扉に明白な差異があるので(下記実物写真参照です)、自動的に56011の特定ナンバーになりますね。
台車はちゃんとDT12系を履いています。

鉄コレクハユニ56(上)と比較

このクハユニ56、じっくり見ていると何か違和感が・・・
そうです、荷物扉が車体からあんまりへっこんでいません。
客用扉よりはビミョーに引っ込んではいるものの、この二倍はへっこんでいるはずです。
何でこんな寸法にしたのでしょう?
照明ユニットのせいでしょうか?
ちょっとこれは残念!

因みに鉄コレクハユニ56と比較してみました。
出来は別として荷物扉の奥行は鉄コレが正しいと思います。

他のKATO製品も・・・やはり

もしかして・・・???
と、因みに他のKATO製品も引っ張り出して見てみると・・・・

やはり荷物扉の奥行というか彫りが浅いです。

KATO一流の割り切りなのか、これは残念な設計ですね。
気になりだすとすごく気になってきちゃいます。

どっちがKATOか?
すぐわかりますよね・・・。
禁断の鉄コレ製品との比較です。

嗚呼・・・

鉄コレが大変色褪せて見えます・・・・。

では、実物編です。


クハユニ56003+クモハ42013+クモハ54112
1223M 78.7.14 伊那田島ー上片桐

当時の40番代直行編成のイメージです。
前も後ろも今回製品とは違いますが、真ん中にクモハ42が組み込まれています。
直行編成は3連貫通編成がマストで、中間の電動車は貫通幌が使えるクモハ42かクモハ50が組み込まれるのが基本でした。
これは貫通幌の使える電動車が少なかった事以外にも片隅運転台であった上記2形式があまり運転手から好まれなかったとの話を聞いたことがあります。
また、もう一両の先頭クモハには私が見た限りはクモハ54形が充当されているケースが多かった気がします。

クモハ42009 78.1.3 豊橋


現役最後の正月輸送に活躍中のクモハ42009。
こちらは流電編成の片割れで組み込まれていました。

クモハ42009 78.11.23 駿河小山

正月に元気だったクモハ42009ですが、その年の秋にはこんな姿で最期の日を待っていました。

クハユニ56011 80.8.31 天竜峡

こちらはクハユニ56011。
第一回目の戦前型電車整理後は、豊橋配置であったクハユニは全車伊那松島に移動し、運用形態も変化が発生しました。

クハユニ56012 79.3.23 伊那松島

こちらは相棒のクハユニ56012。
荷物扉の形状が全く異なっています。
台車はDT12。
その出自が伺えるところです。

クハユニ56012 83.3.20 伊那松島

同じくクハユニ56012の2位側。


クハユニ56011 82.11.12 山吹ー下平

霜の降りた伊那路を行くクハユニ+クモハの2連。
この編成で走る列車は少数でした。


クハユニ56011 83.3.19 伊那本郷ー七久保

伊那本郷付近のカーブを登ってきたクハユニ56。

クハユニ56011 82.11.13 為栗ー温田

紅葉が真っ盛りの為栗付近を行くクハユニ56011。

クハユニ56012 83.5.22 下平ー市田 

これは最後に見たクハユニ56のカットです。

この編成、今回の製品ですぐに組めそうです。
これからの商品展開も楽しみです。

2014年7月29日火曜日

嬉しかった西鉄100形電車との遭遇

久しぶりの下関(こちら⇒鉄板電車で下関へ)で下車後は、関門海峡観光に向かいました。
本日は下関駅下車後については鉄分ほぼ無しの街歩きの予定です。
最初の目的は下関の唐戸地区の歴史的建物を見て回ることでした。

館内の記録写真

こちらが目的の建物。
旧秋田商会の建物です(詳しくはこちら⇒唐戸の秋田商会ビル)。
手前の道路には路面電車が走っています。
こちらの電車は山陽電気軌道(現在はサンデン交通としてバス事業で盛業中)の電車で、関門海峡を挟んで両岸に路面電車が走っていたわけです。


14.7.26 唐戸桟橋

その後、関門海峡を定期船で渡って門司港へ。

15.7.26 関門橋

関門海峡をビールを飲みながらデッキから関門橋を見ました。
猛暑ではありましたが、気持ちの良い時間でした。
ここを見た時、いつかジブラルタル海峡を同じ気持ちで眺めたい衝動に駆られました。

船はあっという間に門司港へ到着。
門司港でも洋館巡りをしていた時に偶然発見したのがこの電車!

148 14.7.26 門司港

九州電気軌道が戦前の1936年から1941年にかけて後の西鉄北九州市内線の輸送力増強を目的として全体で57両製造された100形です。

148 14.7.26 門司港

100形は大きく三つのタイプに分かられおり、148号はその最終グループ、1941年に製造されました電車ですから、流線型デザインをした戦前最後の華のような存在だったと思います。

148 14.7.26 門司港
サイドビューです。
正面の傾斜したデザインが良く解ります。
側面は製造時からは大きく改修が入ってバス窓になっています。

148 14.7.26 門司港

綺麗に塗り直された車体は状態良好でしたが、車番や各種レタリングが一切なくなっていました。
透かして見ると『148』の車番がようやく読み取れました。

148 14.7.26 門司港

こちらはパンタ無し側です。

148 14.7.26 門司港

この斜めになった独特の流線形形状は戦前の一時期に結構採用されたデザインです。
側面がバス窓化されたとは言え、戦前でのひとつの結論が出たデザインという感じで、私は好きです。

627(左)、640(右)
89.5.2 小倉駅前

自分が最初に北九州市内線を撮ったのは既に線路が砂津までになってからでした。
その時点では戦前製の100形は既に姿を消していました。
北九州市内線はこちらも見てください(⇒小倉の路面電車)。

69 89.5.2 小倉駅前

行こうと思えば行けたのに行かなかった・・・・
誰にでもあることでしょうが、私にとっての北九州市内線の100形と門司付近の光景はこの目で見たかった悔いの残る路線でした。

このような形で偶然でも見れたことで少しはその悔いが晴らされた様な気がします。