古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2013年2月28日木曜日

東急のデワ その4 デワ3043

東急のデワ、最終回はデワ3043です。
デワ3043は老朽化の進んだデワ3041、3042を置き換えるために、両運転台で残っていたデハ3450形の中の一両を改造したものです。
改造は殆んどが車内のみで、外観上は殆んど手を付けられませんでした。
改造時既に荷物輸送の先が見えていたのかも知れません。
結果的にはそんなに長く活躍することなく荷物輸送自身が廃止になってしまいました。

デワ3043 82.7.22 自由が丘
自由が丘を通過するデワ3043。
ホームの雰囲気には似つかわしくない単行電車の通過風景です。

デワ3043 82.7.22 自由が丘
振り向いてもう一枚。

デハ7031 82.7.22 自由が丘
7000系の桜木町行き。

デワ3043 82.7.22 多摩川園
多摩川園の急カーブを行くデワ。
今は風景激変ですね。
現在の姿はこちら(⇒39年ぶりの多摩川散歩 )を見ていただくと変貌ぶりが良く解ります。

デワ3043 82.7.22 多摩川園
振り向いたところをこちらももう一枚。
デワ3043 81.11.9 多摩川園ー下丸子
デワ3043 81.11.9 多摩川園ー下丸子
一日の仕事を終えて車庫を目指して多摩川を渡るデワ。
長編成の電車が行き交う中、一瞬タイムスリップしたようなひと時でした。

2013年2月27日水曜日

東急のデワ その3 デワ3042

東急のデワ、3回目もデワ3042です。
この時は3450形を撮った折、東横線のデワを撮りにゆきました。

デハ3461 80.6.5 田園調布
目蒲線のデハ3461。
車番が中央についているデハ3450はこの車だけでした。

クハ8011(左)、デワ3042(右) 80.6.5 日吉
日吉で8000系と顔を合わせたデワ3042。

デワ3042 80.6.5 日吉
川崎型の大変深い屋根が特徴的な外観です。

デワ3042 80.6.5 日吉
振り返ってもう一枚。

デワ3042 80.6.5 日吉
渋谷方面に去ってゆきました。

2013年2月26日火曜日

東急のデワ その2 デワ3042

東急のデワ、二回目は東急オリジナルの初期鋼製車を改造した荷電のデワ3042です。
川造形の深い屋根が特徴のデハ3200形にデワ3041と同様の改造を施したものです。
デワ3043に置き換えられる前はこの二両のデワが交互に運用されていました。

冬の一日、このデワを追いかけまわした時の記録から時系列順に紹介します。
まずは今話題集中スポットの渋谷駅のシーンです。

デワ3042 81.2.11 渋谷
渋谷駅にこんな電車が出入りしていたなんて、今となっては信じられない方も多くなっているでしょうね。
昔の記録から見ると元住吉出庫後最初にやって来るのがここ渋谷です。

デワ3042 81.2.11 渋谷
影が残念・・・ですが、7000系の急行と並んだデワ3042。

クハ5122 13.2.21 渋谷
同じ場所の現在と比較してみました。
若干配線が変わっているみたいです。
背後のビル群の高さが随分と高くなって狭苦しくなっているような気がします。

13.2.21 渋谷
同じ場所の現在、ホーム側です。
こちらは基本的に変わっていない模様です。
7000系は車長が短いので先頭が楽に写せますが、現在の20M車はホームギリギリに停車してしまいうまく写せません。

デワ3042 81.2.11 矢口ノ渡ー武蔵新田
次に田園調布で目蒲線に転線します。
先回りして田園調布から蒲田に向かうところを迎え撃ちしました。

デワ3042 81.2.11 矢口ノ渡ー武蔵新田
振り向いてもう一枚。

デワ3042 81.2.11 蒲田
蒲田からは池上線に転線して五反田へ行きます。
こちらは五反田往復後に蒲田に戻ってきたところです。

デワ3042 81.2.11 蒲田
こちらも振り向いて一枚。
バックに蒲田のターミナルが見えています。

デワ3042 81.2.11 蒲田
再び蒲田で目蒲線に転線して大岡山を目指します。
その後二子玉川に向かうのですが、ここで追いかけは止めてしまったようで、本日のお話もこれにて終了です。

2013年2月25日月曜日

東急のデワ その1 デワ3041

東急の荷物電車、デワは3両いました。
デワ3041は木造国電モニ13に元小田急のHB車の車体を載せたもの。
デワ3042は川造タイプのデハ3200を改造したもの。
デワ3043は上記二両を置き換えるためにデハ3450の3両残った両運車の一両の改造車。
4回に分けてそんな東急のデワをまとまてみようと思います。
先ずは予習です。

一日の行程は、当時の私の撮影用アンチョコメモ(1977年当時のメモ)では、
元住吉9:22出庫⇒渋谷に行って⇒日吉⇒田園調布に戻って⇒目黒11:34着⇒蒲田まで目蒲線全線走ってから池上線に入って⇒五反田13:21着⇒再び蒲田経由大岡山に14:06着⇒大井町線(当時は田園都市線)に入って二子玉川着14:33⇒再び大岡山⇒田園調布で東横線に戻って元住吉入庫15:22
という行程で各線縦断をしていました。

デワ3041 77.12.27 自由が丘
こちらは最初に撮った時のデワ3041です。
この時は旅客車よりも一段と濃いグリーンに塗られていました。
中央扉が両開きに改造されていますが全体のバランスは崩れておらず、好ましい外観をしていました。

デワ3041 79.9.28 多摩川園
多摩川園(今の多摩川駅)にて次に見たときは、一般車と同じ明るいグリーンになり、その為うっかりさん防止の識別のためでしょうか、黄色の帯を巻くように変更されていました。

デワ3041 79.10.9 蒲田
蒲田に停車中。
大きな屋根を被せたターミナルは私鉄らしくて好きです。
この3月後半からは東急のターミナルの中でそれらしいターミナルの風格を残すのはここ蒲田のみになりそうですね。


デワ3041 79.10.9 蒲田
蒲田を目蒲線に転線するデワ3041。
パンタ無し側の正面は若干スタイルが違っていました。

2013年2月24日日曜日

地鉄電車の増備(カモデン)

本日は地鉄電車便りです。
可愛い木造貨物電車(カモデン)が完成しました。

モワ9@浦町駅
当線の浦町駅で構内入換に励むモワ9の姿です。
このカモ電、AOBAMODEL製の秋田中央交通のデワを組んだものです。
秋田中央交通のデワは東京急行電鉄のデワ3000を譲り受けたもので、晩年はケバい塗装を身に纏って国鉄機械式気動車改造の客車を従えてのんびりと走っていました。

当地鉄電車ではこの貨物電車を貨物列車の小運転や構内入換作業用に増備することにしました。

一通り組んだところ
車体を組み終えた状態のモワ。
ロスト製の側面板は殆んどのディテールがモールド済みなので、そのシェイプアップをした以外は基本的にはキットの素組みに近く、後は細かいディテールアップをして地鉄機関車標準塗装を施したものです。

一緒こたに塗装中

こちらは塗装中のシーンです。
いろんなものが塗装前の生地完成で渋滞するので、ごちゃまぜ塗装にいつもなってしまいます。

モワの外観
こちらが完成した外観です。
機関車扱いなので電気機関車と同じ塗装としました。

モワの屋根上
屋根上の画像です。
屋根周りは、当社標準のスエード調スプレー仕上げとしています。
また、配管関係を中心に若干の追加工作をしています。

モワのサイドビュー
こちらはモワのサイドビューです。
ロスト製の木目表現が効果的です。

モワの床下
床下には似たような下回りを持つ山形交通三山線のモハ103を参考に(こちら⇒山形交通三山線のモハ103 )抵抗器や機器箱を追加しました。

以上簡単ですが、新車の報告でした。


2013年2月23日土曜日

東急の湯たんぽ



東急の湯たんぽ、こと5200系は国鉄サロ153形と同時期の1958年に誕生した日本最初のステンレス製電車です。

車体の外観は5000系を踏襲してステンレス化したデザインとなっておりますが、実は5000系より車体全長は50センチ短いそうです。下回りは基本5000系と同じでしたが、独特なモノコック構造を採用した5000系とは異なり、骨組みが普通鋼の通常の構造にステンレスを貼ったセミステンレス(スキンステンレス)であったために、外の皮がステンレスで、車体長も短いにも拘わらず重量は5000系よりむしろ重くなるという皮肉な結果になりました。

デハ5201 79.9.6 自由が丘
東横線で活躍していた時代最後の姿です。
まさに自由が丘を出てゆく湯たんぽ。
青ガエル二連と組んだ6連で走っていた記憶があります。
この当時は東横線と大井町線を行ったり来たりした時期でした。

デハ5201 79.9.28 多摩川園
こちらも同じ月に多摩川園(現・多摩川)で走り去るところを撮った5200系。
この当時は南武線、横浜線のブドウ色電車を見に行くのに東横線を良く利用しました。
多摩川園の駅はこの当時は今以上にカーブをしており、古めかしい構造をした駅でした。

デハ5007(左)、デハ5201(右) 79.5.11
こちらは上の東横線での活躍の写真を撮った年の春の撮影です。
この時は大井町線での活躍をしていました。
この後、一時的に東横線に復帰していたことが分かります。
大井町線の自由が丘電留線で夕方の出番を待つ湯たんぽと青ガエル。
カエルグループのご対面です。

デハ5202 82.7.24 大岡山
こちらはその後再び大井町線に戻って5連で走るデハ5202。
もう二度と東横線には戻ることは無くなった頃です。

デハ5117 82.7.24 大岡山
すごく場違いな青ガエルM車。
確かに性能も窓配置も一緒かもしれませんが、苦し紛れの対応と言わざるを得ませんね。

デハ5251 82.7.24 大岡山
中間Mのデハ5251。

デハ5211 82.7.24 大岡山
4連化時に増備された電動車、デハ5211。
この車両は引退後部品取り車として上田に引き取られました。

その後、湯たんぽは青ガエルと一緒に信州の上田交通に嫁ぎました。

クハ5251 87.3.14 上田
デハ5202は電装解除さてクハ5251となりました。
車番の『5251』は奇しくも丸窓電車と同じ車番となっています。

クハ5251 87.3.14 上田

上田の駅ではこんな顔合わせも見られました。
当たり前にしか見えなかったデカ目の急行型電車も今となっては懐かしい存在です。

モハ5201 89.6.17 上田原
上田原で交換するカエル兄弟。
1986年に昇圧されてから3年を経過したこの時でも、使われなくなった上田原車庫にはまだ600V時代の電車がそのまま残っていました。




その後湯たんぽは1993年に7200系に押し出されて廃車、一両が東急車輛に里帰りをして、TOTOのウオシュレットや同じ東急の7000系と共に、機械遺産に認定されました。

2013年2月22日金曜日

東急東横線と目蒲線・自由が丘から多摩川園

東急東横線の話題、二回目です。
今や地下化された田園調布から多摩川園(現・多摩川)のあたりの走行シーンから拾いました。

81.2.11 田園調布
先ずは最寄駅・田園調布駅と東急バス。
この富士重ボデイのバス窓タイプの東急バスも懐かしいですね。
モニュメントとして残っているものの、現役時代の駅舎も懐かしいです。

デハ6007 81.2.11 田園調布ー多摩川園
撮影地に移動です。
ロケーションはもろ逆光、あんまりそんなことを配慮せずに撮っているのが我ながらお恥ずかしい限りであります・・・が、気にせず続けます。
鉄コレでお馴染み、湯たんぽ二号、6000系の急行です。
あの独特のうなり音、耳にこびりついています。

デハ7047 81.2.11 田園調布ー多摩川園
こちらも懐かしい7000系急行です。
最近は3両編成でしか見れない個体ですが、やはり長編成の方が似合いますね。
脚の方がすぼまった独特の形状の架線柱にも目がいってしまいます。

デハ5006 81.2.11 田園調布ー多摩川園

こちらは目蒲線に転用されたアオガエル、5000系です。
3000系より先に東急線から姿を消すとはこの頃は思ってませんでした。
デハ3455 81.2.11 田園調布ー多摩川園

デハ3450初期車の非貫通車が殿の目蒲線電車。
やはり、この電車大好きです。

デハ3476 81.2.11 田園調布ー多摩川園
同じくデハ3450。
こちらは貫通幌付きの多数派です。
この電車も大好きです。

デワ3042 81.2.11 田園調布ー多摩川園
昭和初期のいかつい電車を改造した荷電もトコトコやってきました。

デハ6007 81.2.11 田園調布ー多摩川園
場所を変えてこちらも6000系急行。
6000系は前から見ると旧型電車と大差ないデザイン、横から見るとそれなりに当時の最新デザイン的な感じで、ちょっとミスマッチな気がしました。

『急行』札、当時は各私鉄毎に色々なデザインと掲示方法でオリジナリティがありました。
行き先表示は今はどれもこれもLED一色になってきており、つまらなくなりました。