古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2022年7月25日月曜日

同和鉱業1983年12月。

 

暑い日が続いていますので、涼しげな画像をご提供します。



1983年12月、同和鉱業小坂鉄道の小坂駅です。



こちらは途中の交換駅、茂内です。



旅客営業は1994年の10月まででした。

2022年7月17日日曜日

おしらせ RMライブラリー『日本車輌の標準設計電車』上巻ができました。

 ハッチポッチ2展に続いてのお知らせです。

RMライブラリーの新刊で『日本車輌の標準設計電車』上巻ができました。


RMライブラリーにつきましては初の著作になります。
以前から温めていた昭和初期の日車と川造形の標準設計電車を供給側の目線からまとめた著作となります。
今月と来月で日本車輌、年末に川造形の本をリリース予定で、その第一弾になります。


本書の特徴は日車が各地の地方私鉄に供給した電車の同社カタログを掲載できたことです。
恐る恐る日車さんに打診したところ、図面等の掲載の快諾を得ることができたのでお墨付き著作とすることができました。


上巻のみカラーグラフを掲載しました。

下巻には小田急1100型を中心に残り半分をご紹介の予定です。

2022年7月16日土曜日

おしらせ~ハッチポッチ2開催です。

 ごあんないです。

本日より巣鴨のさかつうギャラリーにて、『ハッチポッチ2』展が開催されます。


こちらは昨日の準備の様子です。


大きいもの、小さいもの、可愛いもの、変わったもの等々・・・
ハッチポッチの名の通り様々な方向性の作品が並びました。
因みにハッチポッチとは『ごちゃまぜ』、『寄せ集め』というような意味です。


各自方向性は違うものの、情景モデリングへのこだわりは一緒です。



私の出品作は『近鉄内部・八王子線赤堀駅1968年』です。
内容は表題の通り赤堀駅の駅風景をメインにしたものですが、このセクションは前後に2分割した構成となっており、手前側は赤堀駅周辺の実物情景にはこだわらない自分の好きな世界、奥側はできるだけ実物に近い風景を再現したもので、前後でコンセプトが異なっています。


前後でコンセプトが異なっている理由は、手前側セクションは今後も私の手元でいろいろと加工を重ねて楽しんゆく予定の本展示のための暫定的セクションなのですが、奥側セクションは本展示後に知人の手元に旅立つので、出来る限り作り上げた作品であるからです。

そのため、手前側は自由に動かせるように全て置いてあるだけ、奥は新幹線移動に耐えられるように全て固定しています。

手前側の街並みは今話題の梅桜堂さんのストラクチャーをアレンジしたもので、昭和中期に同じ様式の建物が並んだ街並みを再現してみたいという思いで作ってみたものです。

これらの建物が邪魔して肝心の赤堀駅が良く見えないというのも、この展示の一つの私的ポイントであります。見たいものがすっきり見えるというのも詰まらないなあ・・・と考えてやってみたものです。



ハッチポッチ2展は今日から31日までの開催です。

よろしければお越しください。

2022年7月8日金曜日

大鉄道博の想い出

 2007年の今頃は江戸東京博物館の大鉄同博覧会に作品の展示作業をしていました。

07.7.9

こちらが、開催前日の会場入り口の様子です。

07.7.3

この博覧会では目玉として、いくつかの本物の車両が展示されていました。






そして、私の作品も色々な経緯があって展示させていただくことになりました。
こちらは田島口セクションです。


こちらは浦町のセクションです。
全長2.4Mでも会場では小振りに見えました。



アクリルケースに収納された展示完成状態です。


ついこの前のようですが、すでに15年前の思い出です。

2022年7月1日金曜日

庄内交通の京王電車

 庄内交通湯野浜線は見ることが叶わなかった鉄道線の一つです。

見なかったがゆえに同線への憧れのようなものが増幅してしまいます。

72.2 湯野浜温泉

こちらは日本海に面した湯野浜温泉駅でのシーン。

見てみたかった風景です。

停車中の電車は京王線から来たかわいい電車です。


87.9.26 白山

この電車は廃線後も沿線で保存されており、見ることが叶いました。



架線柱も備わり、良い雰囲気で保存されていて嬉しくなりました。

98.11.23


ところが、それから12年後に行ったら1両電車が減って、向きが変わっていました。


そして、いつかしら解体されたようです。

屋根のない場所での保存の難しさを感じました。