古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2012年10月31日水曜日

高校生時代の放課後(その8・武蔵小金井電車区訪問)

首都圏の茶色い旧型国電もいよいよ終焉の時が迫り、徐々に戦線離脱した電車が疎開されたり、廃車回送が始まって居ました。
高校生の放課後はそんな茶色い電車の最期を見届ける時間でもありました。

クハ79332 78.5.25 武蔵小金井電車区
こちらは南武線電車の廃車回送時のものです。
理由はよくわかりませんが、大船工場に向かうのに一日では行かず、途中の電車区で一泊程度しながら回送されていました。
この写真は武蔵小金井で一泊中の南部線電車を見に行った時のものです。
脇の本線を103系電車が通過してゆきます。


クハ79332 78.5.25 武蔵小金井電車区
友人が作成したプレートを電車に置いて記念写真を撮りました。
放課後らしくしっかり学ラン着てます・・・

クモハ73191 78.5.25 武蔵小金井電車区
DT15を履いたクモハ73191号の特徴あるサイドビュー。


クモハ73191 78.5.25 武蔵小金井電車区
手前の電車がみんな出庫していたので、綺麗に写真を撮ることができました。
明日は帰らぬ旅路につく前の最期の休憩です。

クモヤ92000 78.5.25 武蔵小金井電車区
クモヤ92000 78.5.25 武蔵小金井電車区
この電車区には、珍しい電車が配置されていました。
近くの中央鉄道学園で使われている教習車です。


クモヤ92000 78.5.25 武蔵小金井電車区
車内には床下機器の動作がわかるように機器類が並んでいます。

2012年10月30日火曜日

京阪京津線 蹴上から九条山 ・ そして鉄コレ京津線80形

京津線三回目は蹴上の駅からの山越え区間で80形を撮った写真からです。


82 92.5.5 蹴上

この日はゴールデンウイーク最終日、蹴上駅の狭いホームから乗客が完全に道路に溢れています。

82(左)、86(右) 82.8.31 蹴上 
こちらは蹴上駅での冷房化前の80形同士の離合。
左手には都ホテルが写っています。
電車が来ていても下車した乗客は平気で道路を横断しています。
まだのんびりした時代だったのですね。


87 92.5.5 蹴上ー九条山
こちらは1992年の訪問の撮影で、この時は九条山の向こうまで行ってみました。
既に吊り掛け電車の260形は石坂線専用となって、このあたりには来なくなっており、80形中心の撮影となりました。

蹴上を出てゆく80形、ここから九条山に向けて山登りに入ります。


85 92.5.5 九条山ー日ノ岡
80形が唸りを上げて坂を上ります。


86 92.5.5 九条山ー日ノ岡
振り向いて80形をもう一枚。
S字カーブの連続した区間でした。
些細なことなのですが、冷房改造時に正面のHゴム窓の下の通風口が撤去されたために、なんかのっぺらぼうな印象をどうしても受けます。


ようやく入手、80形鉄コレ
そして、80形の鉄コレです。
今年のテッピーは阪急と阪神ばかりを気にして友人に買ってもらえる段取りを付けられたものの、京阪はノーマークでした。
よもやの京津線80形。
気がついたときは時既に遅し・・・
蒲田のショウ会場で例のおっさんが発見して教えてくれたので、ちょっと高かったけど買うことができました。

パンタは交換しました。
良く出来ていますね、最近の鉄コレ。
パンタグラフを換装して記念撮影です。
これで京津線の思い出も薄れにくくなりそうです。




2012年10月29日月曜日

京阪京津線 東山三条から蹴上

京都らしい風景の広がっていた東山三条あたり。
近くにユースホステルがあったので何度か訪問しました。
その中から82年夏の訪問時の写真をピックアップしました。

 82.8.31 蹴上ー東山三条
白川を渡る500形電車。
柳の並木に柵のない河原等昔ながらの京都の風情を残していました。

 271 82.8.31 蹴上ー東山三条
山を越えてきた三条行き準急電車。
細身の車体に取付式前照灯が良く似合います。


276 82.8.30 蹴上ー東山三条
別の場所で撮った準急浜大津行き 。

261 82.8.31 蹴上ー東山三条
こちらは片開き扉の初期型。
前照灯の二灯化や幌枠撤去された貫通戸周りなど、かなり手が加わって端正な表情が崩れてしまっています。



96 82.8.30 蹴上ー東山三条
80形 。
ヨーロピアンなデザインの可愛いお顔です。

275 82.8.30 蹴上
蹴上の駅を九条山方向へ向かう準急。
道路からの照り返しが厳しい盆地ならではの暑い日でした。




275 82.8.30 蹴上
同じく 三条に向かう準急電車。


82 82.8.30 蹴上
80形の普通電車。
冷房搭載前の80形はデザイン的にすっきりしていました。

2012年10月28日日曜日

京急蒲田駅見物と鉄道模型ショウ

昨日、毎年恒例の蒲田の鉄道模型ショウに行ってきました。
軽便鉄道模型祭りとあわせて10月は散財要素の多い月で、個人的には神無月ならぬ金無月の様相を呈しております。
それに合わせて、今月21日に完全高架化された京急蒲田駅の様子も見てきました
(高架化一ヶ月前のレポートはこちら⇒あと一ヶ月で高架化、京急蒲田駅の変遷)。



まずは大門から蒲田に向かいます。
↑うえの広告とおり、早速快特がやって来ました・・・が三崎口ゆきでした。

デハ1080 12.10.27 京急蒲田

蒲田で快特を下車してみると、ホームの先にもう一つホームが・・・。
昔の東武線北千住みたいに普通が待避できる構造になっていました。
これはダイヤを組む上では便利でしょうね。

デハ2028 12.10.27 京急蒲田
そして反対側のホームにはエアポート急行が到着。
羽田空港行で先ほどの快特と接続するのかと思ったら、逗子行きでした。
一般のお客さんには仕組みを理解するのにちょっと時間がかかりそうです。
このあたりの乗客案内がこの駅の評価を決定付けるような気もします。

 12.10.27 京急蒲田
使われなくなった地上ホームをカットして第一京浜国道方面の出入り口が出来ていました。
そこから元のホームを見てみました。
何故か電気が灯っていました。

12.10.27 京急蒲田
名所の現状です。

12.10.27 京急蒲田
青空をバックに三階部分を赤い電車が走ってゆきました。
この後、模型ショウ会場に向かいました。
今回はあのおっちゃんと一緒にお店を冷やかして回りました(その様子はこちらに詳しいです。相変わらずのコメントもふくめてご覧下さい⇒ 第33回日本鉄道模型ショウ )。

今回の収穫
軽便祭りで例年以上の散財をしたので、今回はなるべく我慢のお買い物としました。
その中で楽しかったのはレールロードブースでこんな悪魔の誘いのようなエッチング板ジャンクを発見。値段に目が眩みそうになりながら、何枚か購入しました。

おっちゃんと昼間からビールを飲んで餃子を食べて京急での帰り道、京急蒲田の駅で、案内をちゃんと見なかったのでうっかりエアポート急行新逗子ゆきに乗りそうになりました。
やはり京急蒲田駅は乗客には難しいです。

2012年10月27日土曜日

京阪京津線 京阪三条

京都三条の京阪電車は今は全て地下に潜ってしまいましたが、地上時代の京阪三条駅周辺は地上を電車が行き交う賑やかな場所でした。


278 81.2.22 京阪三条
京阪三条の駅前の歩道橋に立つと京津線の電車がやってきます。
準急用の270形は特急色から一般色に変更されてしまったものの、古さと新しさが混じった不思議な魅力のある電車でした。

504 81.2.22 京阪三条
こちらは車体を活用して下回りを更新した500形。

86 81.2.22 京阪三条
製造は新しいものの吊り掛け駆動の80形。
この頃は非冷房でしたし、屋根周りにはポール時代の名残を留めていました。


279 81.2.22 三条大宮ー京阪三条
京阪三条を少し離れると京都らしい街並みの中を走ります。
この279-280の編成は番号は続番なものの、車体のスタイルは微妙に異なります。

280 81.2.22 三条大宮ー京阪三条
連結相手の280はヘッドライトが二灯。
屋根周りの寸法も結構違うようです。

81(左)、90(右) 92.1.13 東山三条
上の写真から11年後、夕暮れの街ですれ違う80形。
屋根には大きなクーラーが載っていました。


2012年10月26日金曜日

衝動買いのダージリンの機関車と客車

軽便鉄道模型祭(⇒軽便鉄道模型祭 報告)では、例年理性を無くした散財が絶えません。
これまで実物には興味があっても模型には手を出しそうもないようなものを買ってしまう大変に精神衛生上好ましくない事態が発生します。
今回の模型祭では、禁断のインドはダージリンの車両に手を出してしまいました。

散財車両集合
機関車は杉山模型さんのブースに最後の一両ということで置かれていたダージリン風機関車です。いつもながらの杉山さん独特のギヤ音を立てて快調に走っていましたので、ついつい手を出してしまいました。
この時はまだこの機関車に手を加える気はありませんでした。
機関車を買ったならと一緒に購入したダージリン風客車のバリを落としてサフェーサーを吹いた状態です。

塗装を終えた客車と小細工に手を出した機関車


その後、客車のことを調べようとシェフさんのブログ(ダージリンヒマラヤン鉄道への道)を見ていたら、機関車もいじりたくなってきました。
客車の塗装をするのに合わせて機関車にも細かい部品を追加し出しました。

結局バラバラ再塗装
機関車に色々とパーツ類を追加して行くにつれて、再塗装をせざるを得なくなる事態となってしまいました。
写真はバラバラにして結局再塗装をしたところです。

レタリング終了、インド人スタンバイ
機関車と客車にレタリングも入れてほぼ完成しました。
塗装を終えたインド人も乗車を待っています。

ダージリン風列車完成
インド人スタッフも乗車、B4パイクで記念撮影をしました。
機関車の前のサンドマンがいかにもな雰囲気です。

サロンカー、橋を渡る
サロンカー、後ろ姿です。
不思議と日本の風景でもそれなりに似合っています。

こんな風景、どうでしょうか
こんな風景は実物にあるのでしょうか。
個人的にはお気に入りです。

バック運転
バック運転も似合いますね。
突然変異的ダージリン編成竣工の報告でした。



2012年10月25日木曜日

日の丸自動車法勝寺鉄道の保存電車

1994年の大晦日、一畑電車訪問の折に、法勝寺の保存電車に会いにゆきました。
自動車なのか電車なのか良く分からない名称の電車は随分昔に記憶の彼方に去ってしまいました。
バス会社のような会社名ですが、宮城バス等このような例は全国で何件かありました。

そんな法勝寺の電車の遺影を求めて、寝台特急出雲で一路米子を目指しました。
まずは米子からその日の丸自動車のバスで法勝寺を目指します。
ここ鳥取県には日の丸自動車と日本交通という、名前の大きさを競ったような社名にの二社がバス路線網を広げているのも興味深いです。

さて、バスの車窓からは電車の廃線跡と思われるような遺構も見え隠れしており、そのような風景を眺めながら法勝寺に到着です。
法勝寺の駅の跡は何も残っていませんでしたが、周りの雰囲気で場所は何となく特定できました。

次は、目的の電車を探します。

すべてデハ203 94.12.31 法勝寺
法勝寺に保存されている元目黒蒲田電鉄のデハ203です。
保存電車は元の駅からは少し離れた場所に鎮座していました。
大変貴重なダブルルーフ、木造の電車です。
訪問時の印象は、きれいに整備されている印象を受けました。

フ50 06.4.19 米子
もう一両の保存車フ50はずいぶん後になってからの訪問です。
たまたま仕事の出張で米子に泊まった折に早朝に訪問を果たせました。
米子駅からはそれなりに歩く商店街のアーケードの脇の広場に忽然と明治のマッチ箱の残党が置かれていました。
何故ここに?とういう立地でしたが、こちらもきれいに整備されていました。

2012年10月24日水曜日

ショックなニュース・・・井笠鉄道破産!

ご存知の方も多いと思いますが、ショックなニュースが飛び込んできました。
井笠鉄道の破産・・・
10月末で閉業のようです。

自分的には一番好きな軽便であった井笠鉄道がこんな局面を迎えるとは、思いもよりませんでした。
先日のRMライブラリーの蒲原鉄道でも話が出ていましたが、蒲原鉄道でも廃線後のバス補完路線も維持が厳しく、路線バスからは撤退との話が出ていたように、今は地方鉄道を駆逐した路線バスでさえ経営が立ち行かなくなっているのが現状のようです。

02.9.20 笠岡
笠岡駅前で見た井笠鉄道バスです。

02.9.20 笠岡
こちらは「矢掛ゆき」のバス。
正に鉄道代行バスです。

ホジ9 88.5.4 笠岡
笠岡駅の外れに保存(放置に近い・・・)されていたホジ9。

ホジ9 88.5.4 笠岡
軽便車両の中で一番好きな車両の一つでしたが、残念な保存状況になっていました。
会えて嬉しいような悲しいような複雑な気分になりました。

ホジ9 88.5.4 笠岡
反対側はもっと寂しい状況でした。

ホジ9 02.9.20 笠岡
懲りもせず2002年にも確認に行っています。
状況は少し良くなっているものの・・・・・です。

02.9.20 新山
こちらの今後も気になります。

02.9.20 新山
貴重なコッペル。
02.9.20 新山
こちらも貴重なダブルルーフの木造客車。

02.9.20 新山
何もすることができませんが・・・残念です。