架線柱行脚の旅、ここからは北陸地方です。
18.11.9 月岡 |
上滝・不二越線です。
長野電鉄と似たタイプの架線柱ですね。供給メーカーとかが同じだったのかもしれませんね。
この辺りの事情、興味津々であります。
でも、全線鉄製架線柱というわけではありません。
木製の架線柱の区間も結構あります。
北陸鉄道です。
北陸鉄道は小私鉄の集合体で、各路線の規格はかなり低い感じです。それは架線柱にも表れています。
20.9.16 粟ヶ崎 |
粟ヶ崎の鉄橋の架線柱はなんとも華奢で、素人工作のようです。
能美線の本鶴来を出て手取川を渡る手前までは線路も架線柱、さらには架線まで残っていました。
次は京福電鉄(えちぜん鉄道)です。
12.4.19 福井口 |
福井口駅です。細いホームにか細い架線柱が並んでいます。
比島 |
併用軌道の様な区間は今も変化がないようで、架線柱は道路輪跨いで民家の敷地?に建っているように見えます。
勝山駅です。
この駅だけやたらと架線柱が立派でした。
7 件のコメント:
いつも楽しみに拝見しています。
久しぶりに我がふるさと北陸鉄道が取り上げられて嬉しいです。
2018年の本鶴来の写真説明ですが、架線柱も架線もあるのは鶴来ー加賀一の宮間の廃線跡です。
白山市としてはいずれ復活?または何か利用価値が見い出せるのではないかとそのままにしてあります。
しかし、段々とその可能性はなくなりつつあります。
写真の右側にちょっとだけ写っているガーター橋が能美線の遺構です。
本鶴来駅は能美線にだけありました。石川線のレールと並行しているのに不思議でした。
石鉄さん
ご覧いただき、ありがとうございます。
架線があるのは金名線の方だったのですね。
本鶴来、おっしゃる通り能美線にしか駅が無いのがちょっと面白いですね。
架線柱と直接関係ないのですが、「粟ヶ崎の鉄橋」は写真の中央部だけガーターが上側なのは何か意味があるのでしょうか?
浅野川線大野川橋梁は河北潟と日本海側を結ぶ漁船にとっての重要水路でした。そのためこのような形になりました。
>石鉄さん
>漁船にとっての重要水路
つまり「この下をくぐれ」ってことですか。
なるほど、ありがとうございます。模型工作でいいネタになりそうです。
初めて書き込みさせていただきます。
石川線には断面が「工」の形をしたコンクリート製の架線柱があり、おそらく他には例を見ないものだと思われます。
いつ頃に建てられたものかは分かりませんが、四十万(しじま)から鶴来の間の大半がこのタイプです。
また石川線が電化された当時は新西金沢を起点に白菊町へ行く金野(きんや)線と鶴来へ行く石川線の2つの路線に分かれていて、どちらも起点から終点に向かって線路の右側に架線柱を建てたため、新西金沢を境に架線柱の向きが違うのも特徴です。
代打山本さん
コメントありがとうございます。
石川線の架線柱の件、気づきませんでした。
今度撮影画像をチェックしてみます。
架線柱の建植位置の考え方、面白いですね。
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