三山線回顧後編です。
私が初めて訪問した1983年には沿線の遺構はほぼ消え去っていました。
ただ、終点の間沢駅は立派な駅舎が残っており、廃止後も山形交通のバス営業所として利用されていました。
こちらは1990年再訪の時の駅舎です。
駅前には鉄道時代にはにぎわったであろう駅前食堂がかろうじて残っていました。
間沢駅舎をホーム側から見ます。
線路が撤去されて舗装されただけで、それ以外は電車時代のままであった。発着するバスもこのホームから出発しており、まさに電車の風景をトレースしていた感じです。
間沢駅の待合室には三山電車記念品コーナーがあり、電車時代の写真や遺品が展示されていました。
間沢駅構内には鉄道時代の電車庫と思われる建物が残っていました。右手にはシートを被ったモハ103の姿も見えます。
モハ100形は開業時に新造した四輪単車です。モハ102は1950年代後半に廃車されたものの、モハ101・103は事業用車となり、モハ101は間沢駅での入換車、モハ103は「工事電車」の方向板を付けて廃止まで生き残り、工事列車の牽引車となっていたというのも驚きです。モハ101は解体されたものの、モハ103は保存前提で保管されていました。写真は廃止後保存のためにシートをかぶせられた状態で間沢駅構内に保管されていた時代の姿です。
4 件のコメント:
数年前にモハ103が保存されている酒造会社見学しました。モハ103はブルーシートがかけられて修復中とのことでした。やはり、旧型電車や客車は屋内でないと保存は厳しいですね。こんな電車が月山のふもとをとこととこと走っている姿を実際に見たかった。
toboさん
見る分には屋根無しのほうが良いですが、屋根無しではやはり痛みが激しいですね。ましてや木造電車ですから。
この右手の方に住んでいました。この電車の周りで遊んでいました。懐かしいです。
匿名さん
そうですか!
やはりお近くに住まれている方のコメントは嬉しいです。
コメントを投稿