少年時代から大の電車好きです。 物心ついた時には踏切の横に立って電車を見ていました。 以降、全国各地に吊り掛け電車を追いかけて歩いた記録を中心に、模型やストラクチャー探訪記などを気まぐれに載せてゆきたいと思います。
今日も一枚の写真から・川造型です。
1981年3月、仏生山駅で見た元山形交通モハ4です。
この電車は志度線に移籍時に重量の関係で制御車化されています。
最初は両運転台の制御車、のちの更新で片運転台の制御車として生涯を終えました。
記事ありがとうございます。以前、阪急正雀工場のイベントで、復元された、初期の全鋼製車とおぼしき車両を見たことがあるのですが、正面や側扉直上の屋根にあるカーブがよく似ていますね。
川造形って、塗分け塗装似合うなあ、と思ってましたが、琴電色もいいですね。
メルクリン小僧さんおっしゃっている車両は恐らく600形ですね。琴電の本車両のモデルになった車両ですので、ほぼ同型となっています。
Cedarさんですね。長電、上田のカラーリングが大好きです。
琴電の川造…890の時代しか知りませんが、私にとってお気に入りの車両で、その昔撮影に通っていたころは、何度も撮影しました。が、乗ったのは1回のみで、車内を撮っていない苦い経験のある車両でもあります…
まるねふさん琴電の川造型は他の車両と屋根の丸みとか個性がはっきりしていましたね。晩年制御車になったのが軸重の関係であったというのは最近まで知りませんでした。それだけ頑丈な電車だったのですね。
「“740”時代の写真」であることに注目しました。山形交通からやって来た740, 780, 790は、志度、長尾線に移って890, 860, 870になってからは注目度が高まって特に平成になってからの写真は多いのですが、電動車時代はあまり情報の紹介は無く、山形交通時代はRM Libraryで山形交通三山線(No.78)、高畠線(No.82)が紹介されてそれなりに情報が得られたので、電動車時代が情報の谷間になっています。 同様に同時期の情報が少ないのが東濃鉄道から来た車で、平成まで残った71, 72, 81は情報が多いのですが、1983年に廃車になった73,82は非常に情報が少なく、Wikipediaの南武社形のページに掲載されている73の写真は非常に珍しいものです。 740から890になった改造のきっかけになった、三岐鉄道からの車両の導入(1013形、1063)の記事がRP83-5号(飯田線旧型国電特集)の「読者短信」にありました(P112~113)。1013形のうち、1013-1014, 1015-1016の竣工の報告で、これに合わせて730, 740, 780, 790をTc車化して志度、長尾線に転用する予定の記述がありました。 なお、1013形の次の車両導入計画として、阪神からの1053形の追加導入、志度、長尾線用車として山陽300形の導入の計画が記述されていましたが、結果的にどちらも実現せずに終わっています。阪神の方は、「S型ミンデン台車になることはほぼ確実」とあり、もし実現すれば車号は「1055-1056」となったはずですが、実現しなかったのは、同時期に京福福井と争奪戦になったためと思われます。また、山陽300形の方は、車体自体は一応昭和40年代に入ってからの製造で当時10数年ほどしか経っていなかったのですが、もともと大型車導入までのショートリリーフ的色彩の強い車で、早期の置き換えを見込んで構造がかなり簡素だったようで、長期の使用を見込めないほど劣化が進行していたのが導入見送りに至った原因との話があります。結局この後の新車の導入は京急(旧)600形の1070形になり、志度、長尾線への転用も730(880), 740(890), 780(860), 870(870)が最後になりました。
原口さん山陽300形は琴電には向く車両と思いますが、老朽化が進んでいたのですね。比較的短命でしたね
この電車は個人的にはモハ時代の方が勇ましくカッコいいと思います。トレーラー改造された後しか知らないのですが、何か気が抜けてしまったような感じがしました。
宵闇さんおっしゃる通りかと思います。パンタなしになってからはちょっと間抜けた感じになってしまいましたね。
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10 件のコメント:
記事ありがとうございます。
以前、阪急正雀工場のイベントで、復元された、初期の全鋼製車とおぼしき車両を見たことがあるのですが、正面や側扉直上の屋根にあるカーブがよく似ていますね。
川造形って、塗分け塗装似合うなあ、と思ってましたが、琴電色もいいですね。
メルクリン小僧さん
おっしゃっている車両は恐らく600形ですね。
琴電の本車両のモデルになった車両ですので、ほぼ同型となっています。
Cedarさん
ですね。
長電、上田のカラーリングが大好きです。
琴電の川造…890の時代しか知りませんが、私にとってお気に入りの車両で、その昔撮影に通っていたころは、何度も撮影しました。
が、乗ったのは1回のみで、車内を撮っていない苦い経験のある車両でもあります…
まるねふさん
琴電の川造型は他の車両と屋根の丸みとか個性がはっきりしていましたね。
晩年制御車になったのが軸重の関係であったというのは最近まで知りませんでした。
それだけ頑丈な電車だったのですね。
「“740”時代の写真」であることに注目しました。
山形交通からやって来た740, 780, 790は、志度、長尾線に移って890, 860, 870になってからは注目度が高まって特に平成になってからの写真は多いのですが、電動車時代はあまり情報の紹介は無く、山形交通時代はRM Libraryで山形交通三山線(No.78)、高畠線(No.82)が紹介されてそれなりに情報が得られたので、電動車時代が情報の谷間になっています。
同様に同時期の情報が少ないのが東濃鉄道から来た車で、平成まで残った71, 72, 81は情報が多いのですが、1983年に廃車になった73,82は非常に情報が少なく、Wikipediaの南武社形のページに掲載されている73の写真は非常に珍しいものです。
740から890になった改造のきっかけになった、三岐鉄道からの車両の導入(1013形、1063)の記事がRP83-5号(飯田線旧型国電特集)の「読者短信」にありました(P112~113)。1013形のうち、1013-1014, 1015-1016の竣工の報告で、これに合わせて730, 740, 780, 790をTc車化して志度、長尾線に転用する予定の記述がありました。
なお、1013形の次の車両導入計画として、阪神からの1053形の追加導入、志度、長尾線用車として山陽300形の導入の計画が記述されていましたが、結果的にどちらも実現せずに終わっています。阪神の方は、「S型ミンデン台車になることはほぼ確実」とあり、もし実現すれば車号は「1055-1056」となったはずですが、実現しなかったのは、同時期に京福福井と争奪戦になったためと思われます。また、山陽300形の方は、車体自体は一応昭和40年代に入ってからの製造で当時10数年ほどしか経っていなかったのですが、もともと大型車導入までのショートリリーフ的色彩の強い車で、早期の置き換えを見込んで構造がかなり簡素だったようで、長期の使用を見込めないほど劣化が進行していたのが導入見送りに至った原因との話があります。結局この後の新車の導入は京急(旧)600形の1070形になり、志度、長尾線への転用も730(880), 740(890), 780(860), 870(870)が最後になりました。
原口さん
山陽300形は琴電には向く車両と思いますが、老朽化が進んでいたのですね。
比較的短命でしたね
この電車は個人的にはモハ時代の方が勇ましくカッコいいと思います。
トレーラー改造された後しか知らないのですが、何か気が抜けてしまったような感じがしました。
宵闇さん
おっしゃる通りかと思います。パンタなしになってからはちょっと間抜けた感じになってしまいましたね。
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