東武線の架線柱の話題を以前しましたが、自分は結構な架線柱フェチでもあります。
機会を見つけては撮っていた架線柱。でもいつもついでに撮るのでいつ撮ったか忘れてしまっています。せっかく撮ってもどこにあるのかわからないのでは意味がないので、そろそろまとめた方が良いな~、と思っていました。
そこでちょっと時間をかけて架線柱画像を集めてみました。
05.12.9 神田 |
最初は神田駅構内の架線柱。
中央線側の架線柱が繊細でお気に入りです。かなりの年季ものと見ました。
04.7.11 東中野 |
こちらは東中野。ちょうど丸太に取り換え過渡期の姿です。
旧架線柱もろともコンクリート詰めされた土台部分がグロテスクでさえある気がします。それにしてもなんでこんなに大げさなことをしないといけないのか不思議です。
04.2.7 飯田橋 |
今はホーム移動した飯田橋のホームにあった架線柱です。
04.2.14 新橋 |
新橋駅構内で見た装飾のついたこの架線柱も、神田駅同様に相当の年季ものと思います。
ぶどう色電車時代の構造物が健在な頃です。
95.10.13 十条 |
こちらは十条駅です。対向式ホームの線路間に架線柱がこのように建植される例はあまり見かけません。
ところ変わって東海道線・函南駅です。
緑の架線柱が良いですね。
東海道線については別項でまとめる予定です。
12 件のコメント:
架線柱に造詣が深いとは存じませんでした。
ある駅の高架化工事で古い鉄柱を掘り出し撤去する場面に会い、地中礎石の巨大さに驚いたものです。いずれ撮った写真をご覧に入れようと思います。
き さん
造詣は深くはないかと思いますが・・・興味はあって、模型化のために気に入ったものがあると撮っていました。
この手の構造物の土台というのは予想以上に大きいものなのでしょうね。
お~架線柱だあ!、私鉄に偏る自分と違い、さすが国鉄・JRもキチンと抑えてますね。国鉄形だと東海道線のコンパウンドカテナリー区間の架線柱が好きでしたが、丸太ン棒に押されて絶滅寸前ですね。
はじめまして いつも楽しく拝見しています。
最初の画像にある神田駅の架線柱は建設当初のものだと思っています。国立国会図書館のデジタルアーカイブに「市街高架線東京万世橋間建設紀要」という本があるのですが、その中の「鍛冶町大通橋」という写真にこの柱が写っています。
田町〜品川の京浜東北北行線の乗り越し部分にあった架線柱も、この流れをくんだ優雅な姿でしたね。
身延・飯田の鉄柱もていねいな作りで、私にとってはこの線のシンボル的な存在でした。
どちらも、新しい区間への期待や意気込みが込められているように感じるのは思い込みすぎでしょうか。
都心の国電の架線柱といえば「ノザキのコンビーフ」でしょうか。こんな話をすると年齢がバレますね。
広電には、大正元年の開業当時に使用したレール(ステップレール)を再利用した架線柱が、宮島線や千田車庫内に現存しています。千田車庫内のものは、原爆の惨禍を乗り越えた貴重なものだと思います。
江波車庫には、ステップレールではありませんが、古レールを再利用した架線柱がありますが、広電では珍しい意匠の門形架線柱が存在します。
丸太棒は耐震強化のためですね。柱と梁を強固に結合(丸太棒接合部もごついですよね)することで、十分な強度を出すそうです。
これまでの部材だと、途中で折れ曲がったりするんで、全とっかえとなっています。
味気ないというか、美しくないですが。。
Cedarさん、東海道線のコンパウンドカテナリ区間の架線柱は良かったですね。東海道線特集、先ほどアップしました。
Mc43810さん
コメントありがとうございます。
やはり開業時のものだったのですね、ありがとうございます。当時の意気込み、やはり私も感じます。
匿名さん
私も学生時代にその広告見ながら乗っていました。
懐かしいです。
まろねふさん
原爆を経験している架線柱というのは貴重ですね!見てみたくなります。
どんちゃんさん
なるほど〜耐震性強化のためという観点もあるとああなってしまうのですね。
実用性が一番でしょうから、致し方ないのですね。
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