松尾鉱業鉄道、電車好きとして忘れてならない車両が一つあります。それは同鉄道末期に客貨分離のために購入した阪和形電車です。
阪和電鉄のモヨといえば、天王寺から和歌山間を疾駆した昭和の名車の一つですが、そのうちの2両が引退後に岩手の鉱山鉄道に譲渡されたのは驚きでした。
撮影:林 嶢氏 禁転載です |
こちらは、現役時代の阪和形電車です。
当然ながら実車の現役時代を私は見ることが叶わなかったので、林 嶢さんの画像を添えます。
国電を上回る車体と電動機を備えた立派な電車で、買収国電の中でも阪和形電車だけは別格の扱いを受けていました。
69.12 大更 |
松尾鉱業鉄道では、客貨分離が目的で導入されたものの、肝心の鉄道線が閉山に伴い程なくして廃止となってしまいました。
写真は大更駅で待つ阪和形電車です。
80.10.13 津軽尾上ー柏農高校前 |
幸い阪和形電車はお隣の弘南鉄道にニ両とも引き取られました。最初は電動車として活躍していましたが、後にクハ化されてしまいます。こちらは廃止後に第三の職場・弘南鉄道で働くクハ2026です。
この写真見ても17M級国電よりも車体高さも高く大柄であることがわかります。
自分としては昔から欲しかった電車でしたので、現在鋭意模型も製作中です。
10 件のコメント:
コメントしようと阪和形との出会いを思い出そうとしたら、なんとリアルには出逢ってなかったんでした!モケーとか雑誌の写真とかでしか知らないのに、強烈な印象があるのはやはり名車、だからですねえ。
1988年に乗車したことがあります。
当時は東急電鉄からやってきた3600系の中間車両として使ってました。
車内を見るとがたがきてくたびれた状態で、補修工事をしても追いつかない状態でした。
モハ→クハになってしまったのも仕方がないと思いました。
阪和形は車重50t近い大型電車ですが、外国の電車のようなエキゾチックさやスマートさも。国鉄の40系や73系がずいぶん見劣りすると言われましたが、昭和初期の関西の私鉄はモダンで独特な車両が多いですね。
弘南鉄道では、電装解除の際に貫通扉が埋められてしまい格好が悪くなりましたが、1984年に貫通扉と幌枠がそれほど違和感なく再復活。弘南鉄道の車両担当者の器用さに感心しました。
些細なことですが、大更駅の社名表記は「松尾鉱 山 鉄道」になっています。
Cedarさん
てっきり実車対面されているのかと思っていました。乗ってみたかった電車の一つでした。
t a i i t i sさん
自分が見た時も間一髪で制御車化されてしまっていました。
緑の猫さん
阪和形電車、立派な電車でしたね。
松尾から弘南鉄道へと転戦した2両はいろいろ弄りまくられた人生でしたね。
三等急電さん
私もそれ気づいていました。
でも正式名称はやはり松尾鉱業鉄道のようです。
宮下様
嶋田です。阪和型電車良いですね!懐かしかったので、旧作をアップしたいのですが、画像は貼り付けられるのでしょうか?
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