西武鉄道の多摩湖・狭山湖周辺の支線区の終着駅は『西武球場前』、『西武園』、『西武遊園地』と三つがあり、それぞれ違う起点からのアプローチで、慣れない乗客には理解ができないエリアです。
近年変化のなかったこのエリアですが、最近になって運用車両の変更や駅名変更などの変化が現れだしました。その様子をちょっと見てきました。
21.2.5 西所沢 |
まず、車輌的変化です。
多摩湖線系統ではワンマン化以降101系が運用されて久しく、永らく無風地帯でしたが、いよいよ9000系置き換えが始まりました。それに伴い多摩湖線系統で運用されていた101系は廃車が始まっています。その中で特殊な存在の牽引車編成の処遇が気になるところでしたが、なんと狭山線での運転が始まりました。支線区とは言え、久々の池袋線系統への運用変更です。
ここまでくると沿線には懐かしい風景が残っています。
21.2.5 下山口ー西武球場前 |
あまり撮影に適した路線ではないのですが、なんとかそれっぽい場所を発見。のんびりと263編成を撮りました。やはり前パン編成は格好良いですね。
オールM4連は電気代かかるし、多摩湖線系統でも出番がちょっと少ない気がしましたが、ここなら多摩湖線以上に運転距離も短く速度も出ないので、あまり電気代関係ないかもしれません。
21.2.5 西武球場前 |
牽引車編成、これで当面は安泰でしょうが、そんなに遠くない将来何かしら動きが出そうな予感もします。
この山口線の方向幕ももうじき変わります。
昭和レトロがコンセプトだそうで、このような懐かしい映画館も出来上がりつつありました。この新生西武園ゆうえんちをPRするため、この駅も『西武園ゆうえんち』に名称変更されるそうです。
21.2.5 西武遊園地 |
西武遊園地で待っていた国分寺ゆきも9000系になっていました。
こちらの駅名もダイヤ改正に合わせてお隣の山口線に遊園地の名称は譲り、『多摩湖』に変更になります。
12 件のコメント:
多摩湖線が4扉化されても、多摩川線の予備として2本は必要。となれば101系を錆付かないように走らせる線区は狭山線だけになりますね。263編成は通常の営業運転なら1ユニットカットで十分です。4M生かしても力行時間が短くなるし電流値も下がるから、電力消費量は2倍にはならないと思います。
モハメイドペーパーさん
狭山線は最低限動かすご隠居用には適切な路線ですね。
当面は活躍してくれそうですね。
あの界隈のややこしい線名駅名も、いろいろ変わってるんですね。
小川とか萩山とか、鬼線路フェチには痺れる駅もあるんで、暖かくなったら行ってみようかなぁ~。
Cedarさん
それほどの観光地でもないのに3本もアプローチ路線が自社線内であって、それが再編されることなく維持されているというのも珍しいことですね。
小川、萩山の線路配置はこの先もきっとあのままなのでしょうね。
プチ散歩には良い場所ですね~。
多摩湖線にも9000ですか。。。
それはさておき、旧駅名に戻るとのニュースリリースはビックリしました。
新宿線系統の現時点の利用者からみて「?」と思うかもしれません。小生にとっては「玉川上水・多摩湖」ゆきの前サボが大好きだったので、旧名復活大歓迎です。
駅名変わると記念乗車券の発売イベントなどがあること多いのですが、何もアナウンスがないのが不気味です。人が集まりそうなことはなかなかできないとは思いますが。。。
maru-haさん
いよいよ支線区の3扉車にもメスが入っちゃいましたね。
私も多摩湖のほうがしっくりきます。
記念切符は西武園ゆうえんちリニューアルオープンの時ではないでしょうか?
子供の頃に見た「玉川上水・多摩湖」行きを思い出しました。
前回駅名が変わったのは西武ライオンズが誕生し、狭山湖駅も改名して西武球場前駅を名乗った1979年3月、西武グループが「イケイケ」だった時代でした。
数少なったとはいえ本線系にまだ赤電が活躍していた頃、時の流れを感じます。
三等急電さん
私は池袋線住民だったので、玉川上水時代は記憶無く拝島・多摩湖というのからの記憶です。当時は分割併合が当たり前に行われていたのも懐かしいですね。
昨年10月に263編成を所沢ー西所沢間で見かけましたが、今年から狭山線に配置換えになったんですか。昭和30年代後半に、元国電クロスシート車のモハ352が狭山線専用になったこともあったそうですが、それ以来の専用車両ですね。多摩湖駅名称の42年ぶりの復活も驚きです。
西武の電車も通風器撤去が進んで、屋根回りがあっさりとした風体に。腐食対策の効果は大きそうですが、元々あったものが無いと、忘れ物をしているような落ち着かない気分になりますね(笑)。
緑の猫さん
多摩湖線系統が4扉車化されて余剰となっても、牽引車として存続させることから選ばれた職場でしょう。
通風器撤去はなんだか寂しくてよろしくありませんね。
多摩湖線と狭山湖線は、今から半世紀ほど昔の小学生時代、多摩湖駅から歩いて西武園遊園地に入り、そのあと(旧)山口線の「お伽列車」(その当時はまだSLはなく、客車を引いていた「豆機関車」は後で「蓄電池機関車」だったと知った)に乗って「ユネスコ村」を見た記憶がありますが、遊園地の記憶はすっかり抜け落ちており、「ユネスコ村」には世界各国の民家を模した「小屋」が立ち並んでいて、「キャンプの宿泊室として使う」ということらしかったです。
それから20年ぐらいたって、確か昭和59年だったか、「山口線が『お伽列車』から新交通システムに変わり、SLも見納めになる」ことを聞いて、まだ屋根がなかった西武球場の野球観戦も兼ねて、「名残乗車」をしたことがあります。それからこの界隈に足を運んだことはなく、新交通システムになった山口線も、多摩湖線も狭山湖線も乗ることはないままです。山口線のSLは、台湾と新潟にそれぞれ里帰りし、ダブルルーフの客車は「井笠」に返されて保存されていたのですが、バス会社になっていた「井笠」が「倒産」し、今は別の場所で保存されているということらしいのですが、どうなのでしょうか。
西武線の国分寺から所沢方面にかけての複雑に絡み合った路線網、元は別々の会社だったのが統合され、競合区間の整理・ルート変更も行われないまま続いてることも、いっそうわかりにくさを増幅させているのでしょう。多摩湖線と拝島線の交点に駅がないのを昔から不思議に思っていたのでしたが、いまだに駅が作られないのは、どういうことからなのでしょうか。同じ会社の路線同士の交点に駅がない、というのは、東京近辺では東海道線・京浜東北線と南武線浜川崎支線ぐらいでしょうか(最近までは「武蔵小杉」がありましたが。後「メトロ」にもいくつかありますが…)。
余談ですが、「東村山 庭先ゃ多摩湖」と歌っていますが、実際には多摩湖の水面のほとんどは隣の東大和市にあり、東村山市にある部分は水面のごくわずかの部分に過ぎず、「これでは庭先というより他人の庭だ」ということが書かれた本を見たことがありました。
伊豆之国さん
山口線のナローゲージは今考えると良く維持していたものと思います。
新交通システムになって一部路線も変更されておとぎ列車が走っていたことも忘れられていくのでしょうね。
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