当時始まったばかりのリクルートヤングツアーというもので、行きと帰りの飛行機と現地での最初と最後のホテルだけがセットで、後はフリーという旅行パッケージで、今では結構当たり前の旅行商品ですが、添乗員同行のパッケージが当たり前であった当時としては比較的珍しいものでした。
84.2.22 Wien |
飛行機はアリタリアの南回りで、香港、バンコク、デリーに途中降りて、その後ロンドンに到着でした。かかった時間は約22時間、ヨーロッパまでの道程は大変に時間のかかる長い旅でした。
そして、ロンドンで数日滞在後に最初にヨーロッパ大陸に降りたった地はオーストリアのウイーンでした。
写真はその時の最初に撮ったウイーンのトラムです。
84.2.22 Wien |
市内中心部を回るリングと呼ばれる環状路線での風景です。
初めての海外、初めてのヨーロッパ。
見るもの全てが新鮮で刺激的でした。
最近思うのは、多分同じものを初めてみても20歳代で見るのとそうでない歳になってに見るのではインパクトに大きな差がある気がします。
出来ればそういう機会は早い方が良いのではないかと思う今日この頃です。
84.2.22 Wien |
冬のヨーロッパですので、天気はすぐれずに雪も途中から降り出しました。
ホテルの前で |
これは宿泊したホテルの前で撮った記念写真です。
当時ビートルがお気に入りで、この半年後には手に入れることになります。
車内の様子 |
こちらは、車内の様子です。
この車輌はトレーラーで、乗務員はいません。
画面中央の刻印機で切符に打刻をするシステムで、車掌さんは居ない信用乗車方式です。
オペラ座 |
非鉄の友人と一緒でしたので、オペラ座も見に行っています。
予約が無くても見れる最上階の立見席でした。
内容はチンプンカンプンでしたが、わからないなりにインパクトは大きかったです。
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オペラ座の前で見た単車です。
この単車はかなり丸っこいスタイルで、小デさんのような愛らしいスタイルをしています。
ウイーンのトラムは単車も連接車もどれもがトレーラーを従えていました。
84.2.22 Wien |
場所はどこか忘れましたが、どこか郊外の電車も乗り入れをしていたみたいです。
84.2.22 Wien |
これは折り返しの電車になったものでしょうか。
手前の車輌はパンタを降ろしています。
大きなパンタグラフが魅力的です。
初めての海外では見るもの全てが新鮮。
その感覚は今となっては再現できないほどドキドキしたものです。
先ほども書きましたが、このドキドキ感は初めての海外ということだけではなく感受性が強い時代の見聞だったことの方が大きかったのではないかと改めて思います。
それから既に30数年、ずいぶん昔の話になってしまいました。
16 comments:
電車よりも車に目が行ってしまいました。
ビートルの前は日産ローレルですし、トラムと併走するは同社のパルサーでしょうか。
あまり日本車が目立たないようにも思えますが、その当時はまだまだ認知度が低かったとか??
やっぱりヨーロッパのトラムはええですねー!
いや、トラムはドコでもええんか・・・・
ボクもこの前年に行ってますが、非鉄だったので一枚も撮ってません。
うい~~ん
郊外電車は、Baden行きのLokalBahnですね。オペラ座前の停留所がループになっていて、ぐるっと方向転換します。なお反対側のBaden bei Wien の駅(停留所)は終端式なので、ウィーンのトラムと違って運転台は両端についています。
私も同じ年の夏に初欧州です。まだあの頃は、東西の壁もあったし、今では見られないものをたくさん見れたと思っています。
12号線さん
自動車は鉄道車輌以上に変化が早いので、撮影当時は邪魔でも後になってみると懐かしく感じることが多いですね。
初めて行ったヨーロッパで日本車が多かったのは、不思議に安心を感じさせた気がします。
ういーぬ殿
ヨーロッパのトラムは良いですね。
時にこの時代の丸っこい車体は街並みに馴染んでいて良いですね。
海外公演だったんですね、この頃は。
ゆうえん・こうじさん
郊外電車を特定頂いてありがとうございます。
どこで撮ったか覚えていませんでしたが、オペラ座の前だったのですね。
ネガ見ても記憶が飛んでいました。
ゆうえんさんも同じ年欧州デビューだったのですね。
当時とは鉄道も政治も大きく変わってきましたね。
ネガを見ても記憶が不確かといわれるので、場所当てしましょうか?
一番上の写真は、Maliahilfer Strasseの西駅から少し西へ行ったあたりだと思います。
二枚目は、新王宮の西のDr.-Karl-Renner-Ringの停留所付近 ウィーン自然史博物館の前あたり
三枚目は、二枚目とオペラ座の中間あたりだと思います。
残りはオペラ座付近ですね。
当時は今ほど日本車なかったように思いますが、一番下の写真の背後のビルの上にはダイハツの看板が見えますね。
1984年だと、路面電車に限らず、国際列車にも元TEEの有名列車が未だ数多く走っていましたよね。
私は1989年に仕事を辞めたついでに英国に半年強ほど逃亡し、帰りがけにユーレールパス(貧乏旅行なのに、
アダルトパスのため、何と移動は1等車)で、トーマスクックの時刻表片手に西側諸国を1ヶ月かけて一周。
宿代をケチって夜行列車が定宿だったため、北はノルウェイから南はギリシャまでの長距離移動となりました。
欧州入りする飛行機も、バンコクからの乗機でしたが、当時絶滅寸前だった日航南回り、バーレーン、
クウェート、カイロ経由アテネ行き473便のDC-10でした。
欧州の鉄道は、少年時代に見た広田尚敬さんの写真集の影響で強いあこがれがあり、ウィーンやインスブルグの路面電車も写真集で見たままの車両で、リスボンの路面電車もポールが付いた旧型車ばかりで感動しました。
また、ドイツ国鉄やフランス国鉄も客レが全盛末期の時代で、DBのE103が牽引する旧国鉄色客車の特急列車群や、SNCFの6500型牽引でアムス→パリのエトワール デュ ノール、最北のナルビクに向かうノルド ピレン、アランドロンの映画で有名なリスボアEXP、スペインのカタラン タルゴ、小田急SEみたいなスイスの電車特急トランス アルパインなど、広田氏の写真集で見た、一度乗ってみたかった列車に乗車することができました。
南回りJL473便も廃止され、TEE時代の客ㇾ特急も電車化され、国際夜行列車も風前の灯火となってしまった今では、少年時代のあこがれだったそれらを実際に体験できたことは、とても幸せなことだったと思っています。
あの時私とM氏はアンカルッジ経由でパリへ。怖いもの知らずでモスクワ行き夜行で帰るベルリン入り。途中駅での検問、ドキドキ感満載でした(^^;)。そして貴殿たちとインターラーケンYHでの再会!楽しかった初めてのヨーロッパでしたねー(^o^)。あの時のドキドキ感を忘れずに、まだまだいろんな事にチャレンジだね。
ヨーロッパもこのころのほうが車両のバラエティ、国ごとの変化などがあって面白かったでしょうね。今は路面でも列車でもみんな同じようなデザインになってるようだし。
ゆうえん・こうじさん
場所当て、ありがとうございます。
凄いですね!
自分も段々記憶がよみがえって来ました。
最後の写真にダイハツの文字、今回スキャンして気づきました。
ジモティーさん
1989年のヨーロッパ旅行、色々なものが見れたでしょうね。
文章を拝見していても色々とイメージが浮かんできます。
その翌年の1990年に東西統一したドイツの旧東側を一人で回った時の記憶とも被って来ました。
まだ客車列車全盛の最後の頃ですね。
良い経験をされましたね。
やまぐち号さん
懐かしいね!
携帯もない時代に大雑把なスケジュールだけしか知らない同志がヨーロッパで会うというのも今考えると
奇跡的な感じですね。
何もわからない中をウロチョロした当時の記憶は鮮明ですね。
Cedarさん
画一化が進んでいるのは日本だけではないですね。
以前から標準規格があったヨーロッパも最近は随分国の個性が薄まって来ていますね。
私はこの3年半後に渡欧しました。大韓航空の南回りです。でもお金がなくてドイツ・オーストリア方面は行ってません。あの時に行っていればと思うところの一つです。それはともかく四捨五入で20代のうちに自分の興味で海外経験をすることは本当に大切だと最近つくづく思います。なにもかも新鮮で、その頃の自分の写真を見ていて地名は覚えていなくても街の雰囲気はすぐに思い出せてドキドキした印象は消えないですね。
道草人生さん
大韓航空はアエロフロートと並んで当時は安く行ける航空会社でしたね。
私も使ったことがあります(両方とも)。
感受性の強いうちに海外の世界を見るのはほんと大事と思います。
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