ちょうど卒業シーズン真っ盛りですね。
今から36年前(自分でもびっくり!)の今日3月22日から初めての親無し単独遠征行に出発しました。その後もいろいろ出掛けていますが、今思うと自分にとっては大変に印象に残る旅です。
その時の拙い写真で綴るこれまた拙い旅行記をしつこくアップしたいと思います。
気が向いたらお付き合いください。
さて、昭和50年(1975)から51年(1976)にかけては鉄道ファンにとってエポックになる年でした。そう、現役蒸気機関車完全引退の年です。当時の私は高校受験を控えて外出叶わぬ身分で、テレビの画像で最終列車を見送ったのでした。
しかし、私にとって最大の関心事は、勉強及び蒸気機関車以上に伝統の京阪神緩行線から茶色い電車が引退することと、最後の17M電車の牙城の可部線が危ない、ということでした。
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その時に持参した時刻表とユースのスタンプ帳 |
無事に都立高校合格を手に入れた私は、その二つを見に行くために親と単独遠征の交渉に入りました。結果もうじき高校生になるのだからということで、中学の友人と二人で行くことと、ユースホステル宿泊を条件に5日間(足かけ7日)の旅行の許可を得ることができました。
友人との協議の結果、コースは私の希望を前半に、友人の希望を後半に取り入れて、まずは定番の大垣夜行で出発、以後すべて各駅停車で関西以西の旧型国電運転線区を総嘗めした上に、山陰のDF50とD51の残り香を見て、そこから夜行乗り継ぎで一気に尾小屋鉄道まで移動して全線乗車をして、またもやそこから夜行急行(これが唯一の優等列車)で帰るを足かけ7日間でこなす、ローコストなれど超ハードスケジュールな計画でした。
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DD50 1 76.3.22 米原
最初のカットは111系車窓からのDD50でした。 |
そういうわけで、卒業式を終えるのもそこそこに友人と大垣夜行に乗って最初に撮ったのは米原のDD50、次のネガはいきなり第一の目的地・・・ではなく、第二の目的地、阪和線です。
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クハ55303 76.3.22 鳳
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そうなのです。第一目的の京阪神緩行線の旧型電車はタッチの差で間に合わなかったのです・・
中学生ですし、今みたいな情報が簡単に入手できる時代でもなかったので、わからないままに新大阪でご対面を待っていたのでした。
待っても待っても青い103系しか来ないので落胆して次の目的地に移動したのでした。
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モハ72955 76.3.22 鳳
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先頭車の次位にはその緩行線から状態の良い車両が転籍したと思われる、茶色のままの全金車が連結されていました。悔しいのでそれっぽく当時の私はアングルを工夫したみたいです。
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クモハ73301 76.3.22 鳳 |
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クモハ60083 76.3.22 鳳電車区
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次に訪れたのは鳳電車区です。関西は電車区見学が厳しいとの噂を耳にしていたのですが、あっけなく見学許可が出ました。中学生の私はワクワクしながら構内を廻りました。
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クハ55305 76.3.22 鳳電車区
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こちらはサハ57改造のクハ55です。今ならちゃんと扉を閉めてから撮るのになあ・・・
貫通引き戸がそのままの無粋な仲間もいましたが、これは結構ちゃんと工作していて、最初から制御車っぽい出来になっています。電車工場は東の大井、西の吹田が両横綱ですが、工作力の点ではどうも西に軍配が上がりそうな気がします。それは未だにその傾向は拭えず、関西の電車のほうがどうも手入れが良い気がするのは私だけでしょうか?
阪和線後半はまた次回に続きます。