大好きであった長野電鉄屋代線が明日を以って長い歴史にピリオドを打つことになります。
モハ1501 86.5.4 若穂ー信濃川田 |
今は後ろに高速道路が走ってしまい、同じ場所の特定が難しい程風景が変わってしまっています。高速道路、新幹線と交通の流れがすっかり変わってしまいました。
湯田中、志賀高原に行く急行列車が直通していたことを知る人も既に50歳以上の世代ぐらいでしょう。
この頃はすでに朝晩は赤ガエルの二両編成であった以外は1500形の単行になっており、昼間を狙って訪問していましたが、今思えばそれだけ営業的には厳しい状況になりつつあったわけです。
モハ1012 80.9.3 岩野 |
暑かった夏の陽がようやく傾きだした岩野駅に二連の須坂行きが駅に進入。
モハ1501 92.10.17 大室ー金井山 |
大室から金井山の間の短いトンネルを出るモハ1500形。
先日訪問したら、ここは左側に工場が建っていました。
モハ1501 92.10.17 信濃川田 |
ホームの長さの割に交換設備の線路長が長いのは、昔はそれなりの長編成の貨物列車との離合があった証拠です。
単行電車の交換しかなくなって、設備が持て余し気味です。
モハ1502 92.10.17 須坂 |
モハ1501 80.9.3 松代 |
恐らく午前10時代の電車でしたが、車内は結構立ち席客がいるぐらいの乗客がいました。
モハ604 80.9.4 須坂 |
大きなパンタグラフと合わせて大好きな電車でした。
モハ401 77.5.1 須坂ー井上 |
ED5001 77.5.1 須坂ー井上 |
交換設備が立派だったのも、この貨物列車がきっと大量のりんごを貨車に積んで首都圏に運んでいたのではないでしょうか?
今回の部分廃止でJRとの接続もなくなってしまいますね。
2 comments:
屋代線いよいよですね。
当時の屋代線はモノクロでしか撮ってないのでカラー写真がとても新鮮です。
当時このようなカラーであった事がすっかり記憶から消えていました。
まだ高速道路もなく自然豊かな沿線、古い歴史と文化、それに伴う風情ある佇まいの町並み。
そんな北信濃を古いツートンカラーの電車が行き来する良き時代をお写真から感じます。
katsuさん、相変わらずの拙作から良き時代の雰囲気を回想していただけたら幸いです。
日本の昔からの自然豊かな風景や、新建材なんか使われていない街並みで構成されている田舎風景の中に、クリームと赤系統のツートンカラーの電車や気動車は大変よくマッチすると私は思います。
あと一日強、無事使命を全うすることを200Km離れた地から見届けたいと思います。
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