お陰様をもちまして、
ついに!!
『吊り掛け電車をもとめて』は
100万アクセスを!!!!
達成致しました!
ありがとうございます!
そして、
これからもよろしくお願いいたします!
そこで、
ブログでも大先輩のCedarさんサイトの300マンアクセスをパクって(パクリ元はこちら⇒Cedarさんサイト300マンアクセス)・・・
記念にアクセスした方全員のなかから、
今回の100マンアクセスでCedarさんの300マンアクセスの重みを改めてですが感じました。
祝!100万アクセス記念企画は3回に分けてお届けする特別企画としました。
内容は大概の方が予想するのを裏切らない?
やっぱコレか!?の・・・
『100』に纏わる車両を一挙に集めてみました。
皆さんの『100』形イメージとどれだけ一致するでしょうか?
その第一弾は、私鉄の東編です。
『100』という数字は響きが良いのか、相当数の鉄道事業者で形式として採用されていますので、その数は結構膨大です。
その中で、自分が出会えた範囲内で尚且つ電車中心にセレクトしてみました。
最初は青森県・弘南鉄道です。
弘南鉄道のモハ100形は基本大鰐線に配属された電車で、寄せ集め世帯でした。
元を辿ると、弘前電気鉄道開業時に中古の電車をかき集めたのがモハ100形のルーツです。
モハ105(左)、クハ1610(右) 80.10.12 大鰐 |
こちらは日車標準型の側面に京成もどきの顔を付けたモハ105。
国鉄クハ16と顔を並べてお休み中でした。
モハ107 80.10.12 津軽大沢 |
こちらは秩父鉄道で余剰になった車体を利用したモハ107。
既に津軽大沢でダルマさん化していました。
モハ108 80.10.12 津軽大沢 |
こちらは京急400形を西武所沢でいじって投入されたモハ108。
弘南鉄道大鰐線の電車たちの中では明快な電車でした。
次は同じ青森県の私鉄、南部縦貫鉄道です。
キハ101 80.3.15 野辺地 |
レールバス、キハ101の運転台。
この二軸のレールバス、お世辞にも乗り心地が良いとは言えない代物でした。
おそらく最初で最後の体験の乗り心地で七戸に向かいました。
機械式なので、当然バス同様にクラッチ踏んでシフトアップして走るのも興味津々でした。
キハ101 96.2.24 盛田牧場前 |
三八上北のなめらかな起伏が繰り返される地形をのんびりと走ってくるレールバス。
本州とは言え、ここ三八上北の地の風景はかなり大陸的になものになっていました。
キハ101 91.9.21 坪川 |
シフトチェンジをしながら加速する音が良く聞こえました。
ご存知のように新幹線開業を待たずに姿を消してゆきました。
次は関東エリアです。
クモハ110 80.11.16 常北太田 |
日立電鉄のモハ100形(こちら⇒日立電鉄日帰り旅)。
静岡鉄道が作った電車を譲り受けたものです。
車体の割には下回りは古いもんで賄ったちょっと見掛け倒しの電車でした。
デハ101 80.4.24 大胡 |
上毛電鉄デハ101(こちら⇒上毛電鉄デハ101の変遷)。
こちらは今なお現役の電車ですね。
この電車を見た当時、丁度黄色い電車が西武線電車に置き換えられている最中で、仲間も多くが休車中でしたので、こんなに長生きする電車になろうとは思ってもいませんでした。
クモハ101 80.11.30 根小屋ー南高崎 |
上毛のお隣の上信電鉄にも西武の旧型車が売り込まれて活躍をしていました。
こちらは西武の451系電車です。
変な色で好きになれませんでした。
デハ107 80.4.27 白久ー三峰口 |
秩父鉄道オリジナルの電車、100系電車は結構な大所帯でした。
扉の位置が内側に寄った独特の窓配置で、小田急1800形に押し出されるまで永らく活躍を続けてきました。
デキ101 08.5.22 熊谷工場 |
こちらは秩父鉄道のもうひとつの『100』形、デキ100です。
トップナンバーの101号は茶色に塗り替えられていました。
デキ103 09.12.8 波久礼ー樋口 |
こちらは貨物列車の先頭に立つデキ103。
国鉄101系がいた当時何度となく行った場所です。
電車の合間の貨物列車は昔日の鉄道を思い出させるものでした。
モハ105(左)、モハ1001(右) 80.6.12 馬橋 |
次は千葉県です。
総武流山電鉄は時代の流れに翻弄されてきた小私鉄です。
戦後の長い間、南武鉄道からの買収車のモハ100形が行ったり来たりしていました。
こちらはその最末期の風景です(こちら⇒総武流山電鉄 モハ105)。
モハ129 80.6.12 くぬぎ山 |
新京成電鉄には京成電車からやって来たモハ100形が更新を受けながらもまだまだ大活躍を続けていました(こちら⇒京成電車の廃車体)。
この電車が北総線の軌道を走行するシーンを見ようと思いながら結局は叶いませんでした。
118 82.5.22 中野工場 |
営団地下鉄銀座線にも100形はいました。
そnお殆どはすでに解体されていましたが、中野工場には2両が構内入換等の用途で残っていました。
こちらはその目的もとうに終わったあとの姿を工場の守衛さんに懇願して遠巻きに撮らせてもらったものです(こちら⇒営団地下鉄の古豪)。
左から304、1002、107、1101、306 82.2.10 極楽寺 |
江ノ電の100形はタンコロです(こちら⇒江ノ電のタンコロを見にゆく)。
こちらはそのお別れ運転が行われた折に極楽寺で撮ったものです。
モハ101 80.5.4 入生田ー箱根湯本 |
箱根登山のモハ1形電車は形式的には『100』形ではありませんが、車番は100のグループに入れてあげたいので登場させました(こちら⇒33年前の箱根登山電車)。
まだ湯本から小田原寄りが小田急化する前の風景です。
モニ101 82.4.1 大月 |
東篇のトリは富士急行です(こちら⇒富士急行の荷物電車)。
富士急オリジナルの生き残りの二両が旅客電車に併結されて往復していました。
こちらは大月駅で休憩中のモニ101。
モニ102 82.4.1 寿ー三つ峠 |
三つ峠から寿への勾配区間をゆくモニ102です。
次回は、私鉄・西編です。