「赤羽線」は当該区間の正式名称で、かつては旅客案内でもこの名称が用いられていた。しかし、東北新幹線の上野延伸の見返りに建設された当時の仮称通勤新線と、同時に電化した川越線との一体運行が実施された1985年(昭和60年)9月30日以降、ここを通るすべての旅客列車は埼京線と案内されるようになった・・・。
以上、ウィキペディアからでした。
そんな国鉄時代の板橋駅の風景です。
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クモハ73351 79.8.6 板橋 |
板橋駅の画像が残っていたのは、この電車が走ったからでした。
上り線で小停車をした軌道試験列車を撮ったシーンですが、今見ると左右に広がる側線に目が行ってしまいます。
板橋駅はJR化後も貨物扱いを続けていた都内では数少ない駅でもありました。
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クモハ73351 79.8.6 板橋 |
上り線右手(上写真の右)には2本の側線があり、画面手前の住友セメントの積み込み施設まで延びていました。
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クハE233-7031 16.4.3 板橋 |
恐らく同じ場所です。
今は側線は無くなり、ホームの端っこまで上屋が伸びています。
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クモハ73086 79.8.6 板橋 |
クモハ73が池袋方へ去ってゆきます。
左手の側線は4本に増え、右手にもトラ、トキが休んでいます。
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クモハ73351 79.8.6 板橋 |
電柱がうっとうしい画像で恐縮ですが、当時の池袋方の構内全景です。
左右に貨物線があって貨車が止まっている風景はすっかり過去のものとなってしまいました。
池袋の次の駅とは思えないのんびりとした光景です。
手前の邪魔者の電柱も今見ると木製で良い記録になったと自分を納得させます。
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16.4.3 板橋 |
今はこんな感じです。
何ともツマラン風景となってしまっております。
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クハ103-50 79.8.6 板橋 |
下りにはカナリヤ色の非冷房103系が入って来ました。
まだクハ103の正面ベンチレーターが埋まっていません。
少し前までは101系が充当されていました(こちらに1カットだけ画像があります➡
http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2015/05/blog-post_13.html )。
当然ながら当時の赤羽線は池袋~赤羽の線内折り返し運行でした。
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クハE232-7023 16.4.3 板橋 |
今の同じ場所で見た103けーです。
貨車のいた場所付近はマンションに。
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DD1371 79.8.6 板橋 |
構内入換えにはDD13が従事していました。
開けられる扉をすべて開けて構内をのんびりと走っていました。
朝晩山手貨物線を単機回送している姿を何回か見ました。
写真は、フィルムを入れ替えた時の捨て駒なので、機関車も全体が映り込んでいないですが、今となっては貴重な気がします。
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91.2.20 板橋 |
こちらはJR化後に撮った住友セメントの積み込み施設です。
画面左奥が板橋駅ホームです。
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91.2.20 板橋 |
右を振り向きました。
こんなところにダブルスリップがあったのですね。
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91.2.20 板橋 |
この積み込み施設には必ずトキが2輌程度押し込まれていました。
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91.2.20 板橋 |
貨物線末端部を振り返ります。
画面中央の建物に線路が二本吸い込まれています。
この中がどうなっているのか、車内からいつも気になっていましたが分からずじまいでした。
その倉庫の右奥はもう東武線の北池袋駅構内です。
91年は既に205系が活躍していました。
その右手には東武8000系の姿が見えます。
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91.2.20 板橋 |
こんなクラッシックなミキサー車も居ました。
街歩きも感動が減って、どうもモチベーションが上がらない今日この頃です。