古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Saturday, November 30, 2013

長野電鉄2000系を追いかける 2

長野電鉄2000系、二回目もA編成の走行シーンです。
今回は主に信州中野から長野側の平坦区間です。

モハ2002 07.12.7 桜沢ー都住
桜沢のカーブをゆく。
有名な雄大なカーブ区間ですが、意外と邪魔物が散在しています。

モハ2001 07.12.7 桜沢ー都住
振り向いて長野側。
バックの山には既に雪の便りが届いています。


モハ2001 07.12.8 夜間瀬ー上条
柿の木を脇に、冬枯れの林檎畑の中をゆく。

モハ2001 07.12.8 夜間瀬ー信濃竹原
夜間瀬の鉄橋を正面から。

モハ2002 07.12.7 小布施ー北須坂
小布施の鉄橋付近にて。

モハ2002 07.12.7 桜沢ー都住
桜沢から都住の間は大カーブ以外は直線コース。
志賀の山々には雪が積もりだしています。

モハ2002 07.12.7 朝陽ー付属中学前

長野の郊外、朝陽付近をゆく茶色い2000系。

Friday, November 29, 2013

60万アクセス記念~琴電60形

お陰様で弊ブログは60万アクセスを昨日通過致しました。

ありがとうございました。


ということで、恒例数字シリーズ、今回のお題は『60』です。

琴電の60形電車はどれも癖のある鋼体化電車でした。
昇圧後に残った60形は虫食いで62、65、67の3両でした。

60形の62・65号は京浜電気鉄道が製造した木造電車で、戦後、運輸省63形の割り当ての見返り供出車として琴電にやって来ています。
しかし、木造である上に、ご多分に漏れず戦後混乱期の酷使により車体老朽化は激しく62号と65号は鋼体化改造を受けました。
残りの簡易鋼体化車両は早いうちに廃車になっているために番号が飛んでいます。

62 81.3.8 今橋
こちらは62号。
この当時は鋼体化当時の正面二枚窓の姿を留めていました。
お友達の65号と並んで昼寝に突入です。

62 92.11.15 瓦町
その後の62号。
正面に貫通扉を付ける改造を受けています。

62 92.11.15 水田ー西前田

62号はこの後も長生きをして、2002年まで活躍を続けました。
引退時に同時に廃車になった67号と共に旧塗装に戻され、さよなら運転を行って引退しています。
現在は高松空港に隣接する「さぬきこどもの国」に保存されて健在とのことです。


65 81.3.8 瓦町
次は65号です。
65号は一連の京浜車の中で最後まで未改造だったため、新造した車体は62号よりも近代的になりました。
外観は日車標準形に類似しています。

65 92.11.15 瓦町
良くまとまったスタイルながら、この角度から見ると屋根の肩が張ってしまっているのが良く分かり、ちょっと残念賞かもしれません。

65 92.11.15 平木ー白山

65形は、元南武の850号とほぼ固定編成で使用されていたようです。
こちらはその頃の写真です。
2005年に車体塗装が茶色とクリーム色の旧型車標準色に変更されて後に動態保存車の仲間入りをしたものの、結局は台枠の傷みが激しくなったために廃車になっています。
やはり木造車時代からの台枠には限界があったのでしょう。

67 81.3.8 瓦町

こちらは67号です。
この車両は上記二両とは来歴が異なり、宮城電気鉄道の車両を1950年代に譲受けしたものです。
鋼体化は1965年と比較的後年ですが、1960年鋼体化された65号よりも古臭い外観をしています。
恐らく先を見てケチったのでしょうね。
窓も小さいのは種車の部品の最大活用を考えたのではないでしょうか?
67号は2003年、62号と組んでさよなら運転の後廃車となっています。

610(左)、67(右) 81.3.8 瓦町

ダブルルーフを残した610号と昼寝中の67号。
両車、良く似た顔をしています。
67号は廃車後に保存も検討されたようですが、結局は引き取り手も無くそのまま解体されたそうです。


Thursday, November 28, 2013

西武線 石神井公園から大泉学園

西武池袋線の石神井公園の高架化工事も最後の大泉学園駅手前までの区間の工事が進んできています。
本日は高架化なんて想像もつかなかった37年前の同区間の電車の風景です。

クハ1421 77.9.3 石神井公園ー大泉学園
夕陽を浴びて池袋に向かう最古参電車。
クハ1411とペアを組むクモハ351は本線系統最後の17M車でしたが、恐らくこの年が最後の年になったと思います。

クハ1449 77.9.3 石神井公園ー大泉学園
同じクハ1411形でも連結相手の異なるクハ1449。
こちらのほうが更新は簡易的になっていましたが、相方がクモハ451であったことが幸いして長生きしました。

クモハ511 79.11.13 石神井公園ー大泉学園
501系はまだまだ戦力の一翼を担っていました。

クハ1775 79.11.13 石神井公園ー大泉学園
同じ場所で701系冷房改造車。


クモハ552 77.3.9 石神井公園ー大泉学園
上の写真の場所で大泉学園方向に振り返るとこんな風景でした。

クハ1106 77.3.9 石神井公園ー大泉学園
非冷房の101系も懐かしい存在になりました。

クモハ282 79.11.13 石神井公園ー大泉学園
新造間もない頃のN101系。
この頃は今とは逆にMM二連は池袋寄りに繋がっていました。


クハ1427 77.9.3 大泉学園ー石神井公園
大泉学園側に移動した場所で撮ったクハ1427。
当時は当たり前だった風景も、今考えるとのんびりした風景でした。

Wednesday, November 27, 2013

長野電鉄2000系を追いかける 1


長野電鉄2000系、流行りのストライプ塗装になってからは興醒めしてご無沙汰していおりましたが、リバイバルカラーに塗り直されてからは俄然写欲が沸いてきました。

今回は登場時塗装を纏ったA編成です。

モハ2002 07.12.7 上条ー湯田中
霜のおりた上条付近にて。

モハ2001 07.12.8 上条ー湯田中
林檎畑の中を湯田中温泉を目指す。


モハ2002 07.12.8 夜間瀬ー信濃竹原
朝日を浴びて夜間瀬のカーブをゆく。

モハ2002 07.12.8 延徳ー桜沢
平坦区間を快調に長野を目指して飛ばしてゆく2000系特急。

モハ2001 07.12.7 中野松川ー信州中野
夕闇迫る中野の町を湯田中に向けて駆け上る。
いよいよここから勾配区間です。


モハ2002 07.12.7 中野松川
渋い佇まいを残す中野松川駅。

モハ2001 07.12.7 上条ー湯田中
上条を出発するモハ2001。

モハ2001 07.12.7 湯田中
湯田中駅で発車待ちのモハ2001。

Tuesday, November 26, 2013

長野電鉄2000系 昭和の頃



長野電鉄2000系は昨年まで長く長野電鉄のエースとして活躍をしてきました。

湘南顔譲りの2枚窓の前面形状や側面の扉及び窓配置などの基本的スタイルやファンデリア装備の薄い二重屋根(モニター)を装備なども含めて、二年前から製造された名鉄5000系の影響を強く受けており、また車体断面形状は同じく名鉄5200系と同様であり、この二つのデザインの折衷型と言えます。

同じ日車が製造した富山地鉄の10020形も名鉄5200系似であるあたりと合わせて興味深いです。

また技術的には狭軌用WNモーターとしては日本初の75kW形電動機を装備した意欲作でもありました。

そんな2000系の昨年までの道程を振り返ってみたいと思います。
モハ2007 77.5.1 須坂
最初に見た2000系は須坂車庫に居た最終増備車でスカート付きのD編成でした。

モハ2002 87.7.25 信州中野

改築前の信州中野の駅構内で見たA編成。

モハ2001 87.8.13 湯田中

改良前の湯田中の駅に停車中の2000系A編成。
この当時は踏切の先(写真では手前)の終点部分まで線路があって収束していました。

モハ2001 87.8.13 湯田中
もう少し近づいてみます。
右手の駅舎は今も健在な旧駅舎。

モハ2001 87.8.13 湯田中
勾配を上り詰めた駅構内の配線は厳しく一旦オーバーランしてから少しバックして停車するほどでした。
2000系の3連はホームぎりぎりでした。。

モ5009(左)、モ5007(右) 80.3.7 東枇杷島
似た者同士の先輩、名鉄5000系です。


名鉄が1955年から製造を始めた初の高性能車で、当時の流れ通りの全電動車方式でした。
駆動方式は2000系とは異なり、中空軸平行カルダン駆動になっています。
右と左の電車では同じ5000系ながら窓まわりの造作が異なります。
モ5009 83.3.1 東枇杷島
東枇杷島にて。

Monday, November 25, 2013

ベルリンのトラム

ドイツ・ベルリンのSバーンを見に行った折(こちら⇒ベルリンのSバーン)に、市内を走るトラムも見て来ました。

217-060-5 90.10.22 Friedrich Straße
未だ単車が活躍していたベルリンのトラム。
トレーラーも小振りで可愛らしい編成でした。
パンタグラフの赤色も良いアクセントです。

217-060-5 90.10.22 Friedrich Straße
電車も古ければ周りを走る自動車もそれなりの年代物です。

217-054-0 90.10.22 Friedrich Straße
大きなパンタグラフを振りかざして小さなトラムがやってきます。
どこか東欧の町並みを感じさせるシーンです。

217-060-5 90.10.22 Friedrich Straße
単車のサイドビュー。
台車の半分は車体で隠れてしまっているので、模型にするならパワトラで簡単に下回りは作れてしまいそうです。

 90.10.22 Friedrich Straße
こちらはいかにも東欧圏のデザインのトラム。
こういうスタイルのトラムは初めて見たのですが、何とも安っぽい印象を受けました。

217-103-6 90.10.22 Friedrich Straße

上の写真の奥側に移動して振り向いた位置から撮ったショットです。

 90.10.22 Friedrich Straße
こんなクラシカルな車もいました。
この後、折角なのでベルリンの壁が残っている部分を見に行きました。

90.10.22 Bernauer  Straße

崩壊後のベルリンの壁の跡を示すモニュメントがありました。
自分の影を入れて記念撮影。

90.10.22 Bernauer  Straße

こちらは撤去が済んでいなかったベルリンの壁。

90.10.22 Bernauer  Straße

一見何気ない街角のようですが・・・

90.10.22 Bernauer  Straße

壁を越えようとして無念の死を遂げてしまった方の墓標がいくつも並んでいました。

90.10.22 Bernauer  Straße
ベルリンの壁のためにトラムの路線もあちこちでルートを塞がれてしまいました。
こんな途切れた線路が街中のあちこちにありました。

 90.10.22 Lhvaliden
東西ドイツが統一されたとはいえ、まだ各地に冷戦時代のままの風景が色濃く残っていたベルリンの街を見れたことは、良い経験になったと思います。