その理由はロクサン形だけでも色々なダルマさんがいたのに、それ以外にも色々な「走らない」電車が矢鱈と居たからです。
ロクサン電車の廃車体レポートはこちら・・・
①⇒ロクサン廃車体その1
②⇒ロクサン廃車体その2
206 80.3.14 東二見 |
車庫の入口に保存されているモハ206。
独特のスタイルの電車がそのままにポール時代の姿に復元保存されていました。
でも・・・・・何故か電車の前にクーラーが積んであるのは何故?
せっかく保存しているのにゴミ置き場にしている理由が分かりません。
因みに現在の状況はこちら(⇒イヌパブ山陽200形)。
相変わらずゴミを保存車の周りに散らかしているらしいです。
入換車 80.3.14 東二見 |
腰から下半分がクリームに塗り直されています。
青じゃダメな理由が分かりません。
入換車 80.3.14 東二見 |
おへそライトにしたのは原点回帰?
おでこに付けなかった理由が分かりません。
257 80.3.14 東二見 |
試作的要素が高かった257もぽつんと置かれていました。
こちらはつい最近まで現役であったようでした。
ポイントに跨ってぽつんと一両だけ放置している理由が分かりません。
256 80.3.14 東二見 |
どうせ休車か廃車なら相方とセットで留置していても十分な線路容量があるのに分解して留置している理由が分かりません。
820 80.3.14 東二見 |
もう二度と走らないだろう車両に対して何故か錆止め塗装をされていたりして、微妙なメンテナンスをしながらも放置している理由が分かりません。
254 80.3.14 東二見 |
走れるような、走れないような・・・、でも倉庫代用にもなっていない様子。
どんな目的で留置されているのか理由が分かりません。
831 80.3.14 東二見 |
隣の同僚の廃車体は足回りつきで倉庫代用、こちらの青いダルマさんとの倉庫の使い分けもどのような理由なのか分かりません。
この車庫で『動かない』電車の数は20両に届かんとするぐらいの大所帯でした。
見て回れば周るほど謎の多い良く分からない車庫でした。
18 comments:
820編成は戦後の自社導入第一号車として保存していたと聞いたことがあります。
また、最後のダルマさんは同じ系列の831号ですね。
履いていたOK-3はトラス橋の中に放置されているのが良くわからない所でもありますw
こちらへは初めてコメントさせて頂きます。
わんわん連動企画の火付け役でございます。
近所なのに、また行こうまた行こうと思いながらたった2回行っただけです、なので、皆さんがお好きな普通の電車はほっとんど撮っていませんねぇ、
嫌いと言うわけでもないんですが、あれだけ変なのが居ると、そっちにばかり目が行ってしまいます。
206は80年にはポールになっていたんですねぇ、私の時はパンタで復元されていました。
そのうちわんわん企画に出てくるかと・・・
すなわち、いまだにこの鉄道会社が存続している理由がよくわかりません(大糞核爆)!
こんばんわ。
820-821は、保存車として留置されていた
ものの、車庫拡張の犠牲になってしまいました。
206も、殆ど整備されていない様で、今後が
非常に心配なところです。
写真を撮られた頃にこの車庫にお勤めだった方に聞くのが氷解への早道ですね。
来年の4月(多分12~13日)に大阪で開催されるインタアーバン好きの秘密の会合(ってほどのもんじゃないけど)においでになればご本人に直接会って聞けますから,写真ご持参で是非出席なさってくださいませ。
集まり自体はメリケン国のインタアーバン(メインはP.E.)好きの連中が集うものですからここのネタとは外れますけど,Cedarさんも出席されるはずですし,電車ネタで呑んで過ごすのも悪くはないですよ。
12号線さん
なるほど、820編成は戦後初の特急車グループでしたね。
謎が解けた気がします。
でもそのまま朽ち果てたのはなおさら残念です。
クラーケンさん
わんわんから噂はよく聞いております。
いらっしゃいませ、ですね。
模型的視点と言うか、メカニカルな視点と言うか、お写真の数々驚きながら拝見しました。
同じものを見ていた私は何考えていたのでしょうか?
それにしても変なものが居すぎでしたね。
206は最初からポールに復元しての保存展示と思っていました。
サンヨーわんわん殿
そうです!
この電車はよくワカランです!
nnishi1968さん
色々な電車を保存しようと思っていたのですね。
ロクサンが台車付きで一両放置されていたのもその為だったのでしょうか?
Tadさん
うわ~、怖いお誘いですね。
きっと電車話で大層盛り上がるのでしょうね。
関係者にもPE好きがいらっしゃるということでしょうか?
考えてみれば、この当時は、鉄道研究で著名な渡辺寿男氏が社長で、鉄道写真で有名な亀井一男氏も山陽電鉄に在籍していて。ほとんどその2人が温存を望んだのかも・・・なんて思ったりしますが・・・その後お二人とも他界されて、206も維持をする予算が下りず、朽ちるにまかしているのかもしれませんね。
クラーケンさん
なるほど、そんな方がトップ層にいらしたのですね。
ごろごろ転がっていた電車の一部はそんな思いがきっとあったんだなあ・・・とコメント拝見して思いました。
やはり営業用でない車両を維持するのは難しいのでしょうね。
JR東も無慈悲な処分をしていますし・・・。
映画「ロジャーラビット」に出てきたP.E.テン(ゴムタイヤ付)を後に電車にするために履かせた台車は,今回の写真のどれかから外したものじゃなかったかしら。今サンペドロにあるのがそれですが,その台車を送るのに尽力したのがお話の方で,入社した時の上司が亀井さんだったと聞いたことがあります。
この方は毎年,関東合運にも来てるのでChitetsuさんも会っているんじゃないかと思いますけど…。
Tadさん
そう言えば山陽電車の台車が渡米したという話、ありましたね。
当時の内部の方にそう言う理解のある方が居たとは知りませんでした。
その上関東合運にも来られていたとは。
モハ206の画像UPしたのは、ポール来日記念でしょうか?
電車の前に積まれたクーラーが、今日の姿を暗示していた気がします。
日車が京阪びわこ号からびわこ形流線形気動車へ移行したのとは対照的に、川崎は気動車から山陽流線形電車へ移行しました。
元・いきもの部長さん
そう言えばポール来日しましたね。
全然意識していませんでした。
200形は独特の表情の電車で個性の強い電車ですね。
見たときは『変な電車』という印象が全てでした。
こんにちは。
東二見は伝統的に廃車を保管している
イメージがあります。
1990年春にC#2013を最後に2000系は
引退しましたが、その夏に東二見に
行くと、ステンレスとアルミの計3編成に
C#2008が編成単位で保管されていました。
5年後に行った時でもまだ2013は編成で、
ステンレス車も2両ぐらい残っていました。
90年当時でも206は荒れ放題でしたね。
品じぃさん
こんにちは。
やはり山陽電車は意図的にお役御免の電車を放置する癖があるようですね。
でも結局壊しちゃう・・・。
ちょっと残念です。
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