古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Sunday, October 31, 2021

阪和形電車の残党。

松尾鉱業鉄道、電車好きとして忘れてならない車両が一つあります。それは同鉄道末期に客貨分離のために購入した阪和形電車です。

阪和電鉄のモヨといえば、天王寺から和歌山間を疾駆した昭和の名車の一つですが、そのうちの2両が引退後に岩手の鉱山鉄道に譲渡されたのは驚きでした。

撮影:林 嶢氏 禁転載です

こちらは、現役時代の阪和形電車です。

当然ながら実車の現役時代を私は見ることが叶わなかったので、林 嶢さんの画像を添えます。

国電を上回る車体と電動機を備えた立派な電車で、買収国電の中でも阪和形電車だけは別格の扱いを受けていました。

69.12 大更

松尾鉱業鉄道では、客貨分離が目的で導入されたものの、肝心の鉄道線が閉山に伴い程なくして廃止となってしまいました。

写真は大更駅で待つ阪和形電車です。

80.10.13 津軽尾上ー柏農高校前

幸い阪和形電車はお隣の弘南鉄道にニ両とも引き取られました。最初は電動車として活躍していましたが、後にクハ化されてしまいます。こちらは廃止後に第三の職場・弘南鉄道で働くクハ2026です。

この写真見ても17M級国電よりも車体高さも高く大柄であることがわかります。


自分としては昔から欲しかった電車でしたので、現在鋭意模型も製作中です。


Friday, October 29, 2021

東八幡平の廃車体について

前回の記事で東八幡平の客車の画像を掲載しましたが、その時にもうちょっと客車を撮っていましたので、こちらに集めてみました。

撮影したのは1987年の5月4日。そんなに前な気がしていなかったのですが、もう34年も前の記録です。



東八幡平の開けた場所には松尾鉱業鉄道の客車と貨車が倉庫代わりで置かれている、と何かの書物で書かれているのを見て出かけてみました。
その記事が書かれてからもそれなりに時間が経ていますし、1972年の廃止からもそれなりに年月を経ていましたので半信半疑での訪問でした。

いざ行ってみると、その書物と同じ車両達がちゃんと残って居ました。
客車のカラーリングは窓廻りはクリーム色ながら、上下はブルー系とレッド系の二種がありました。



こちらはオリジナル性の高い客車・オハフ9です。
出自はウイキペディアによると、このようになります。
『戦災により1946年(昭和21年)に廃車された国鉄スニ3018(1927年〈昭和2年〉日本車輌製)を譲り受けたもの。荷物車を客車に改造したもので、台枠を延長して車体長さを20 mとし、二重屋根・折妻から円屋根・切妻の形態となり、原型をとどめない。』




こちらはオハフ10と思われます。
国鉄オハ35系のデザインの流れの客車で、戦災で廃車された国鉄スロハ321を譲り受けたものとされます。松尾鉱山関係の重役などが乗車する特別室が設けられており、上の写真の荷物扉の様なものがその特別室出入口部分かと思われます。



こちらはスハフ7です。
事故で1948年に廃車された国鉄スハ32671を譲受して改造・就役した客車で、スハ32系客車の私鉄への譲渡はこの1輌のみだそうす。

貨車も何両か残っていました。

広々とした敷地、現在はこの東八幡平駅の敷地は東八幡平ビジターセンターになっています。

Tuesday, October 26, 2021

東急ハンズ池袋店閉店。

東急ハンズの池袋店が今月末で閉店ということで、日曜日に家族で夕食を兼ねて葬式鉄ならぬ葬式お買い物に行ってみました。



東急ハンズ池袋店のオープンは1984年だったそうです。
私がちょうど社会人になった年ですね。
今回17M級電車の本で大変お世話になった稲葉克彦さんは開店準備から6年ここで働かれていたというお話を聞いてびっくりしたのがついこの間。その直後に閉店の噂を聞きました。
それまでは渋谷のお店には良く出かけていましたが、池袋で買い物ができるようになったのは当時嬉しかったです。
今のようにホームセンターや通販がそれほど充実していない時代でしたので、東急ハンズの存在は大きく、ここでしか手に入れられない商品や工具、部材、加工サービスなどが目白押しで、どのフロアに行っても楽しいお店でした。


閉店は今月末の31日だそうです。
閉店一週間前の日曜日、店内はそれなりに混雑していました。


店内にはオープン当時の写真などが掲示されていました。
住友生命ビルとして作り掛けていたビルに急遽出店が決まって、店舗仕様に変更して開店したという話は初めて聞きました。
以前の会社でもこちらの開店に深くかかわった同僚から苦労話を聞いたのをふと思い出しました。


店内は以前のような商品ぎっしりモードから一転、もうスカスカで一応やってます状態にまで商品は削減され魅力的な商品ラインナップは消滅、すでに自分の知っている東急ハンズでは無くなっていました。閉店前あるあるですが、その様子を見るのは寂しいものでした。


商品を撤去して余ったスペースにはガチャが置かれていたり、何故か鉄道部品販売コーナーも。どの商品も見るだけで、とても買える価格ではありませんでした。



メモリアルコーナーもありました。



そこに掲示されていた開店当時=1984年の池袋周辺マップが懐かしい~。
銀行名はことごとく変わり、キンカ堂ほか今は無きお店がいっぱい書かれています。
電車のイラストも面白く、山手線は103系・湘南新宿ラインなんてありません。
西武は101系、東武は8000系、丸ノ内線は500形、有楽町線は7000系、そして都電は7500形です。
それぞれ、当時活躍中の代表車種ですね。


フロアガイド見ても、当時の姿が目に浮かびます。
ここで海外旅行用かばん買ったなあ~とか、工具売り場で買った糸鋸は今なお我が家の主力だなあ~などいろいろ思い出します。



家族で約二時間ウロウロ見てお別れとしました。
何か記念に買おうかと思いましたが、既に買いたいと思うような商品は姿を消していました。


はす向かいのSEGAも閉店していました。
社会人時代に親しんだ池袋の風景は記憶の中に去っていくようでした。



建築から37年、閉店理由は建物老朽化が理由と書かれていましたが、それよりも消費動向の激変が閉店を促したのかなあと感じました。

Sunday, October 24, 2021

松尾鉱業鉄道の片鱗を見る

 先日、お仕事で松尾鉱山周辺に行く機会がありました。

そこで松尾鉱業鉄道と松尾鉱山の片鱗を見てきました。

21.10.22 東八幡平

こちらはお仕事で訪問した鉱山資料館です。



こちらの敷地内には松尾鉱山鉄道の電気機関車が保存されています。


東芝製のまとまりの良い機関車ですが、出力の関係から構内入換が主業務で、仲間のように秩父には引き取られませんでした。

デキ108 2019.11.9 皆野


主力機であったED501,502の2両は秩父鉄道に譲渡されてデキ107,108として活躍してきましたが、2020年にデキ108が廃車され、現役で残る松尾鉱山鉄道の車両は無くなりました。

87.5.4

87.5.4

1987年の春に出かけた時には東八幡平には当時の施設がまだ残っており、そこのは客車が残っていました。客車は3両が残っており、そうことして使用されていました。背後の建物は機関庫であったようです。

松尾鉱業鉄道現役時代の貴重な写真はkatsuさんが記事を書かれていますので参照ください

https://umemado.blogspot.com/2015/11/blog-post_91.html



こちらは案内された松尾鉱山跡地の中和施設。
鉱山から出る坑廃水は、強酸性で多量の2価鉄イオンを含み、大量の水を連続的に処理する必要があることから、「バクテリア酸化・炭酸カルシウム中和方式」の新中和処理施設がもうけられました。
奥にはここで処理した汚泥を貯める沼があります。
施設の方のお話では、この作業は半永久的にしないといけないそうです。
原発とは別の意味で負の遺産の処理に大変さを知りました。
奥には『雲上の楽園』とも呼ばれたアパート群の廃墟があります。


こちらがそのアパート群です。
東の軍艦島とも言われるようです。
アパート群については別記事でもう少し詳しく記載しました。




小雪交じりの取材を終えて新幹線の切符を購入。
はやぶさの窓側はすべて売り切れということで、併結のこまちの切符を購入して帰ろうとすると・・・


なんとこまち40号は田沢湖線内でクマと衝突して立ち往生。

新幹線と熊というのはなんともユーモラスと言うか、何というべきか。東八幡平でも熊出没警報が出ていました。

こまちを置いてはやぶさだけで東京へ行くというアナウンスあって、こんな切符で帰りました。

Friday, October 22, 2021

琴電の瓦町駅回顧

琴電瓦町駅。古い電車好きにはたまらない駅でした。
特に1980年代の瓦町駅は旧型電車ばかりがひっきりなしに出入りしており、何時間居ても飽きませんでした。

89.1.13 瓦町

こちらはその瓦町駅の旧駅舎です。
高松中心部にあって人通りも多いのにも関わらず、駅舎はボロボロでお化け屋敷のようでした。



手前の高松オリンピア、パチンコ屋さんでしたっけ?記憶が曖昧です。
この駅舎は1994年の11月に役目を終えて解体されました。
その後については皆さん周知のとおりの残念な方向に向かって・・・・です。


00.5.15


念のため、これです。




同じ日に撮影した瓦町駅構内全景です。
琴平側から築港側を見ています。
ホームは5面あり、左から琴平線上り、琴平線下り、中央が主に志度線折り返し用、そして右二本が長尾線用でした。
当時は志度線が瓦町でスイッチバックして高松築港に行っており、長尾線は瓦町折り返しでした。線路をちょっと弄れば長尾線もこの時代でも築港に行けたはずですが、それはしていませんでした。架線電圧の違いがあったのが引きずっていたのでしょうね。


92.11.15

これは別の時の瓦町駅。
色々な電車がひしめき合っています。
陽の当たっている右二本の電車はどちらも長尾線電車です。



瓦町で折り返して高松築港にゆく志度線の3000形。
志度線は基本的に瓦町はこのホーム一面のみで上下運行されており、列車交換は次の今橋でやっていました。
こうやって当時の写真をみると今の瓦町駅より活気があった気がします、というか間違えなく活気がありました。

21.4.28


こちらは最近の瓦町駅です。
上の写真とほぼ同じ場所から撮っていますが、どことなく寂しい印象がぬぐえません。


89.1.13


朝のラッシュを終えて入庫待ちの345号です。
どこかほっとした雰囲気が感じられる一瞬です。



駅員さんも良い顔しています。

92.11.15


こちらは、夕方の帰宅ラッシュ前の琴平線と志度線のホームです。

89.1.13


以上、40年ぐらい前の瓦町駅の様子でした。

Wednesday, October 20, 2021

緑の登山電車

今年の春、緑の登山電車が引退しました。

コロナ禍で、県外に出かけるのも憚られる日々でしたが、やはりもう一回見たい~。

21.2.9 強羅

ということで、行ってしまいました。
その罰が当たったのか、行ってみると強羅で目的電車はお休み中でした。
ダメ元で駅員さんに聞いてみると、夕方から動くとのお話。
その午後一番電車を撮ったのがこれです。


陽が当たったのは最初の一本だけ。
あとは日没時間との勝負です。



台風で大きな被害を受けた小涌谷駅付近もきれいに復旧していました。



大平台駅近くでもう一回。




そして最後は暮れなずむ湯元の温泉街をバックにもう一回。
これで、緑の電車とはお別れです。



最後にきれいに整備されて展示されている先輩電車を見て帰宅しました。