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Wednesday, April 18, 2012

東洋初の地下鉄の名残

そろそろ先が見えてきた01系より前の世代の黄色い電車は、新旧取り混ぜ百鬼夜行のような電車の寄せ集めで編成されており、各編成ごとに組み合わせが違うのではと思えるぐらいのバリエーションがありました。そしてそれが平気で都会の繁華街の地下を走っていました。
黄色い電車の時代は、一部を除き駅の手前で前の車両から順番に室内灯が一瞬消えて真っ暗になり、非常灯が点灯したということを経験したことのある人もだんだん少なくなってきていることと思います。これは各車が各々集電を行っており、引き通し線を持たないためにデッドセクションで一瞬消えるということがおこったものです。各車がMGを積んでいればこんなことは起こらないのですが、新1500形以外は積んでいませんでした。
当時だってこんなことは銀座線だけの現象で、今からは信じられないようなことですよね。

2085 79.10.4 渋谷
2046 79.10.4 表参道
吊り掛け駆動の旧型車は全て中間に封じ込められて、先頭車は必ずカルダン車の2000形になっていましたが、中間は編成ごとに組み合わせが異なっていました。上の写真に比べ末期は前照灯の二灯化や方向幕の大型化、鉛丹色の屋根塗り分けの廃止等、外観に変化がありました。




2039 93.7.1 中野坂上
 一部の2000形は丸の内線の方南町支線専用に改造されて運用されていました。
ステップの張り出しで両線の断面の違いがわかります。


二枚とも82.7.31 末広町
途中の駅には開業時の内装を色濃く残す駅がいくつか残っていました。
この末広町以外にも、京橋・稲荷町も懐かしい昭和の風景がまだ残っていました。


1232 79.11.15 渋谷



1240 81.8.17 渋谷

 渋谷駅は今もあまり変わっていません。 これは発車待ちの風景です。
車内は不燃構造なのですべてスチール製であり、化粧板仕上げの内装ではないので、検査のたびにペンキの塗り重ねでちょっとギトギトになっていました。

4 comments:

kondoura said...

帝都の地下鉄!
記録年見ますと大昔ではないのに、なぜかとてもレトロに感じます。
銀座線は初期の頃から不燃化や安全対策に注意がはらわれてたとのことで、施設更新の必要がいらなかったのかも?と勝手に思ってました。
1200、1300見つけたら迷わず乗り込んでたのも懐かしい想いで・・・・
中間改造されてない車両にめぐり逢った時はとても幸せでした〜!
運転台も中間に入る車両は折り畳まれて電話ボックス状態でしたですね〜!

chitetsu said...

kondouraさん、私も銀座線に乗るときは決まって1200,1300に乗っていました。それも隣が吊り掛け車の繋がっている側の端の方の席を選んで乗っていました。
こんな古い電車が銀座や新橋の地下を走っていることが当時でも奇跡的じゃないかと思っていました。大阪ではその辺の電車はかなり前に引退していましたし・・・。
電車が通過した後にちょっとしてから打子式のATS装置が空気音と共に立ち上がるのを見るのが好きでした。

Anonymous said...

うちの父が営団職員で、昭和38年から30年間この当時の電車を運転していました。
デッドセクションで照明が切り替わった際の反応で、東京での生活を始めたばかりかどうかがわかったそうです。
また運転にもコツが必要な電車でブレーキが特に難しかったと聞いていて01系に入れ替えが始まったときに「今の電車はつまらない」と話していました。

chitetsu said...

匿名さん
レスが遅くなりすみません。
スパム扱いになっていて気づきませんでした。
デッドセクションで電気が消えるのはなfれないとびっくりしますよね。
前から順番に消えていくのを見るのが、個人的には好きでした。
当時の銀座線は自動ブレーキでしたから運転はコツが必要だったと思います。
そんな01系も既に結構数を減らしつつありますね。