営団地下鉄最後の日 既にシールの下は東京メトロ 04.3.31 霞が関 |
帝都高速度交通営団、このお役所的なよく分からないほどお堅い名称が、何故か好きです。
子供の頃、親戚の集まりの会話では、自分の親世代の人々の会話に良く「省線」という言葉が飛び交っており、子供心になんかすごく昔の人々の会話だと感じたことがありました。
「営団地下鉄」という名前も「国鉄」・「国電」という言葉と同様、もうじき古語になってしまうのでしょうね。
会社移行時の看板やポスター類を記録していたのを思い出しましたので、スキャンしてみました。
まだ10年は経っていないのに、制服とか看板とかなぜか懐かしいです。
移行時のポスター。制服の色、忘れていました。04.2.20 霞が関 |
移行時のポスター。各線車両が入れ替わっています。 04.3.18 銀座 |
さて先日、その銀座線に新1000系がデビューしました。
報道の通り最新の技術を盛り込んだ電車ながら、外観はデザインもレトロ調で昔懐かしい黄色い車体を再現しています。あちらこちらにイベント用にレトロ調電車は出現しましたが、東京メトロの1000系はこの姿・色ですべて製造・01系を置き換えてゆくというのですから、これはちょっとした驚きです。
1000系ポスター 12.4.5 乃木坂 |
1001 82.12.10 交通博物館 |
こちらは開業時の電車、1000型です。
今は無き交通博物館の脇の通り沿いに忘れ去られたように保存されていました。撮影条件も最悪、横は樹木や柵などでほとんど見れませんでした。
中野工場に残っていた100型は車体を切り刻まれてしまいましたが、こちらは綺麗にレストアされた姿を地下鉄博物館で今も見ることができます。
1001 04.6.22 地下鉄博物館 |
地下鉄博物館に移動後の1001号車です。
神田にいた時には余り人に見向きもされなさそうな状況でしたが、今は人気者です。
銀座線現役最後の頃とは色合いが異なっていたのですね。
118 82.5.22 中野工場 |
118号を拡大してみました。 |
129 82.5.22 中野工場 |
目的は当時入換車で残っているかも知れないという噂の開業時の電車を確認するためです。
行ってみると公道から遥か彼方に黄色い電車が朽ち果てようとした姿で鎮座していました。
しかし、工場、それも第三軌条の場所ですのでおいそれとは撮影は厳しいと思いつつ、守衛室に行きました。答えは当然NG。そこを粘って望遠で遠くから撮るので少しだけ前に行かせて・・・と懇願してようやくOKを貰い撮影したのがこの写真です。
どちらも既に役目を終えて解体の時を待つ身分のようでしたが、見れただけでも、そして遠くからとはいえ撮影を許可頂いただけでも幸せというものです。それなりに満足して方南町に戻りました。
85.4.2 中野工場 |
手前側には銀座線の電車達が、奥には懐かしい赤い丸の内線の電車がたくさん並んでいます。
ネガのこのカットの一つ手前のコマにはこの写真の右側に停車中だった01系が写し込まれていました。01系は84年が製造初年ですので、徐々に黄色い電車が侵食され始めた頃でした。
そしてその時の01系が今黄色い電車と同じ境遇になり始めるわけです。
2 comments:
リベットの付いた車両って力強くて優しい雰囲気を感じます。
私はこのような車両全盛の時代は知らないのですが、それであっても今の銀色ばかりの車両は冷たいなぁ、安っぽくて無個性だななぁ、知らないけど昔の車両の方が温もりがあって魅力的だなぁと思ってしまいます。
>01系が今黄色い電車と同じ境遇になり始めるわけです。
これは私の個人的な感覚なのかもしれませんが銀色車両が引退と言われてもなぜか残念と言う感情が沸かないんですよ。
逆に黄色の電車が復活してくれて、こういっては何ですが無塗装はさっさと消えてくれみたいな感じで。
あの黄色い電車って地下を走っていると雰囲気が明るくなるんですよね。初代の銀座線の色もそういった思惑があったそうですが納得です。
やっぱり全面に色が付いているのは見た目が良いだけでなく目の不自由な方やご高齢の方にとって路線の識別がしやすいというバリアフリー的な側面もあると思うのです。
だから山手線のアレは、ドアが開いたらぱっと見て何線か分からないんじゃないかと思いますね。
吊り掛け好きさん
最近の車輌は乗り心地は快適ですが、趣味的にはつまらないですね。
銀色の車輌は冷たい印象を受けますね。
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