捨てる神あれば拾う神有り。
あのおっちゃんが闇のシンジケートを駆使してたんまりと仕入れてくれました(こちら⇒鉄コレ回収ツアーin関西)。
そして先日、そのお裾分けを頂きました(こちら⇒G2鉄コレ交換会)。
頂いた回収品 |
いい感じです。 |
バッチリ、京阪特急。 |
これで、京阪特急がばっちり。
3連イメージ |
編成を組んでみました。
閑散時には3連運用もあったみたいですね。
Mc車 |
キズはあるんですが・・・良くできていると思います。
Tc車・テレビカー |
Tc車・テレビカー。
鳩の特急、競演 |
先代1900と鳩の競演。
側面の感じは両者は良く似ています。
それでは、実物編です。
結構撮っていた気がしていた3000系、探してみるとあまり撮っていませんでした。
やはり若い頃のChitetsuは新性能車には冷淡だったのです。
そんな少ない画像の中からいくつかどうぞ。
3002 81.12.30 森小路 |
1981年当時の3000系。
3000系特急の全盛期ですね。
右手の緩行線にも3000系普通が走っています。
3014 81.12.30 野江 |
野江を通過する上り特急。
3+3の6連、鉄コレで再現できそうな編成です。
3505 06.3.28 中書島 |
既に更新工事が行われた後で、各部に変更が加えられた姿です。
8081 08.8.22 森小路 |
8531 08.10.17 大和田 |
これが私が見た最後の現役京阪3000系になりました。
8 comments:
なかなか良い出来具合ですね。京阪の看板電車なのだから当然かな?
3扉・ロングシート化による格下げをしなかったため、多くの車両が20年程度と短命でした。
その中で1本だけが倍長生きしたというのは、運命のいたずらでしょうか。
京阪3000系の連結器は、密着自動連結器→密着連結器→密着自動連結器と交換されています。
珍しいケースと思われますが、東武10000系の2連2本でも同様なことがありました。
長くなり申し訳ありませんが、経緯は以下のとおりです。
最初は密着自動連結器+ジャンパ線で新製されていましたが、本線ラッシュ時に行われていた増結・解放作業合理化のために増備の途中から電気連結器+密着連結器への変更が行なわれました。
これは本線の既存10000系のみならず、転属なども考慮し増結・解放のない東上線の車両も変更されましたが、本線では運行できない8・10連については対象外となりました。
よって、東上線の10000系は同一路線・同一形式でありながら2種類の連結器が存在するという状況が発生し、現在も続いています。
その後、副都心線直通運転開始時のダイヤ改正で全列車を10両編成にすることになり、本線から2連を転属させて8連と組ませることになりました。
このさい2連が(事実上固定編成となる)連結相手に合わせて、再び密着自動連結器+ジャンパ線に戻されたというわけです。
以前のところにコメントするのも面倒なので、ここに書いておきます。
3000の各停、朝ラッシュが終わって20分間隔が15分間隔になる時に出庫してきました。
現在は終日10分間隔で、13運用中、半分が3000、1~2本は6000が混じります。
日曜の朝も淀で見ました(臨時電車撮影ではありません)。
初代3000のうち、7連は4本(6,8,10,12)、5本は6連でした。これが22時過ぎると分割されて3連で走ってましたが、出町延長で無くなってしまいました。私も3連を見たのは地下に潜る前日だけでした。
元・いきもの部長さん
うっ~、お詳しいですね。
連結器の変遷、ちょっと不思議ですね。
東武車で連結器の混在があったなんててんで知りませんでした。
それにしても3000の撤退は他の通勤車の寿命を考えると勿体無かった気がします。
某TQだったら先頭車はそのまま使って、中間車に変な顔付けて売り払いそうな気がします。
なにわさん
3000の各停の件、どうもちょうどいい時間帯に巡りあったようですね。
これは撮れてラッキーでした。
7連と6連の使い分けはどうしていたのかもちょっと不思議です。
夜間の3連特急も見てみたかったです。
はじめまして、幼少から五年前迄京阪沿線で暮らしてたもので、現在は東武沿線に住んでるものです。よろしくお願いします。
1981.12.30の森小路の3000同士の写真を見てビックリしたのですが、その年の定期運用で特急車の特急以外の運用は深夜の淀屋橋発萱島ゆき区間急行のみだったと思います。これは貴重な記録写真ですね。この頃の京阪は楽しかったですね。600,1300,1700ツリカケに、かろうじて残って最後の活躍の初代1800に、600と初代1800機器と台車を流用した二代目1800、あと大好きな1900......きりがないですね、
自分も3000系の鉄コレは数箱GETしまして ちょこちょこいじったりしてます。
匿名さん
こんにちは。
京阪沿線から東武沿線住民とは随分カルチャーの違いを感じてらっしゃるでしょうね。
1981年、昇圧前の京阪電車は本当に楽しかったですね。
例の3000系は出庫間合いの運用とのコメントを頂戴しております。
はじめまして、私は40数年前に足立区で生まれ 昭和50年まで東武電車を見て育ちました、それから大阪へ引越 京阪沿線で五年前まで 3000系の黄金期から 1983.12.3 600V最終日、色んな京阪の時代を見て来ました。そして2010年夏 仕事の関係で生まれ故郷の足立区へ戻って来ました。
でも、3000系の黄金期は忘れられない思い出ですよね 、3505を早く見に行きたいです。
匿名さん
京阪電車の昇圧から塗装変更時代までの大きな動きを見てこられたわけですね。
600V時代の雰囲気はこと電車についてはかなりなくなっちゃいましたね。
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