古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Saturday, April 6, 2013

新潟交通 東関屋の車庫

東関屋は新潟交通の車庫等の設備が集中していた要衝駅です。

87.9.26 東関屋
89.7.27 東関屋
まずは駅舎です。

モハ2229 89.7.27 東関屋
そして駅構内の風景です。
丁度、元小田急の2220型が燕に向かって出るところでした。
この電車が結局は最初で最後の高性能車でした。

89.7.27 東関屋
長い夏の陽が傾きかけたころに車庫にお邪魔しました。

モハ12 81.9.5 東関屋
日車標準車体のモハ12です。

モワ51 81.9.5 東関屋

マスコット的存在のモワ51です。

クハ39 81.9.5 東関屋
朝、燕でお世話になったクハ39が休憩中でした。
運転台のない側の姿です。


二枚とも モハ16旧車体 81.9.5 東関屋

今回も車庫の裏側に行ってみましたら、びっくり。
伊那電のモハ16の車体が鎮座していました。
貴重なダブルルーフの車体です。

モハ14 81.9.5 東関屋
こちらはオリジナルのモハ14のだるまさんです。

クハ38 81.9.5 東関屋

こちらは元宮城のクハ38です。
車体の後ろ側は切断されていました。

81.9.5 東関屋
車庫の内側です。

9 comments:

maru-ha said...

東関屋は入場券も買ったし、複数回行ったことある駅なのに、記憶が無い!!
chitetsuさんのように、記録って大事ですね。。
(そう言えば、会社の人も名前が思い出せないことが増えてきたし。。)

maru-ha said...

追伸
次のUPは県庁前(白山前)期待してます!
新潟交通の駅で一番特徴的でしたからね。駅舎の外壁は某大学の記念講堂を思い出すし。。

つのすけ said...

自分が東関屋に行ったころは、すでにコンビニが入った駅舎になっていました。
上田交通上田原の規模を大きくしたみたいでこの時代に行ってみたかったです!
車庫は見学できたのですね。私はホームから見るだけで終わってしまいました。

chitetsu said...

maru-ha殿
おはようございます。
東関屋の記憶が無いとは••
一緒に行ってませんでしたっけ?
自分もこうやってブログでも書かないとどんどん忘れそうですが。
次の停車駅は県庁前、了解しました。

chitetsu said...

つのすけさん
東関屋の駅は部分廃止前後で随分変わってしまいました。
部分廃止以前の構内はなかなか味わい深い雰囲気でした。

Cedar said...

新潟交通は福井鉄道と並んで、インタアーバン好きには堪らない電車でした。あの田舎臭い塗装やフェンダー付きの顔がクラシックな県庁前駅にはピッタリ似合ってました。

chitetsu said...

Cedarさん
新潟交通はCedarさん好みなシチュエーションがそれなりに揃っていますね。
あの巨体が狭い道路をユサユサと走るシーンは忘れられません。

風旅記 said...

こんばんは。
新潟交通、私は一度も触れることのできなかった路線でした。各地に中小の私鉄があった時代を憧れの気持ちで眺めています。
時代の変化と共に、交通機関の役割も変わっていくのは避けられませんが、鉄道はただひたすらに敷かれた線路を走るだけ、町や人口の動的な変化に対応しづらいシステムです。できることならば、鉄道を活かしながら街づくりが成されればと思いますが、実際には、時代の変化の中で多くの中小私鉄が失われていきました。
せめても、今に残る路線を大切にしたいと感じています。
お写真に残るこの路線の記憶、大切にしていきたいですね。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

chitetsu said...

風旅記さん
市内の中心部まで電車が乗り入れていなかったことが致命的ではあったのでしょうが、もしそうであっても経営的にはやはり厳しかったのではないかと思います。
おっしゃるように、鉄道というのは時代の変化に対応しずらいシステムですよね。
これ以上に路線が減らないことを祈りたいものです。