配給電車から荷物電車、101系・・・・
そして、試作車デビュー以来見続けてきた201系も同じでした。
そんな201系の普段の姿をちょっとまとめてみました。
07.8.18 阿佐ヶ谷ー荻窪 |
ある日、家族でジブリ美術館へ行く時に愚息のかぶりつきお付き合いで撮った写真です。
中央総武緩行線から見た201系電車。
07.8.18 荻窪ー西荻窪 |
緩行線電車を中央特快が追い抜いてゆきます。
07.8.18 西荻窪ー吉祥寺 |
またもや、201系が。
当たり前の風景でしたね。
07.8.18 西荻窪ー吉祥寺 |
次の快速電車が迫って来ました。
07.8.18 西荻窪ー吉祥寺 |
そして、並んだところもパチリ。
07.5.13 中野 |
こちらは中野での一枚。
07.5.30 東京 |
復元前の東京駅舎と。
07.4.4 市ヶ谷ー飯田橋 |
暮れなずむ桜の季節のお堀端、市ヶ谷にて。
09.1.6 神田 |
そろそろ世代交代も完了する頃の201系電車。
6 comments:
私もずっとお世話になったけど、真面目に撮ったのは置き換えの話しが出てからです。省エネ車の鳴物入りで登場したものの、総合的に見ると及第点には届かなかったような気がします。
モハメイドペーパーさん
当時の国鉄なりに頑張ったのでしょうが、同じ頃登場の私鉄電車に比べるとやっぱり国鉄だなあと感じました。
201系は長く見てきたのですが、末期は台枠の部分の傷みがはっきりわかりました。外板を台枠へスポット溶接している部分が錆で膨らんでおり、特に戸袋部分が外板の膨らみが顕著で、特に鋼製車に状態についてよく言われる「雨水の侵入に対して「戸袋」が弱点になる」ことがよくわかりました。
裾の部分の劣化は旧型国電でも典型的で、リベットが並んだ昭和13年以前の製作車で昭和40年代以降まで残った車はほぼ例外なくどこかしらリベットの撤去(外板の貼り直し等)が行われており、特に戸袋窓部分はほぼ例外なくリベットが無くなっています。また、工場によっては裾のリベットの撤去が徹底しているところもあり、シル、ヘッダーはリベットが残っていても裾のリベットがほとんど消失している、という車も見られました。
原口さん
戸袋窓と一段下降窓は鋼製車にとってはウイークポイントですね。
旧型車のリベットは各車各様で、それを見るのも一つの楽しみ?でした。
小学校に上がる直前から長年東中野に住んでいたので、乗ることはあまりありませんでしたが、街並みの一部としては愛着のある快速電車です。
やはり、通勤型電車には都市の風景が一番似合う気がします。
みかんさん
東中野在住だったのですか!
自分は今も昔もいろいろと縁のある場所です。
通勤形電車は街並みに溶け込んで普通に走っている姿が良いと自分も思います。
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