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Friday, November 18, 2016

長野電鉄 木島駅の風景

先日お届けした木島駅レポートで一緒にスキャンした画像でもう一記事書いてみました。
木島線廃止直前の駅風景画像をご覧ください。

モハ3522 01.12.9 木島

スタートは木島駅です。
木島駅の終点部分にはこんな感じで車庫になっていました。
恐らく積雪時の駐泊の便を考えたっものではと思います。

01.12.9 木島

車庫の外観です。

3532 01.12.9 木島

廃止まで4か月を切った木島駅全景。

6 comments:

シグ鉄 said...

毎夏、信濃吉田にあった叔母の家に行っていた頃、1日に1本だけ木島行き特急があった記憶があります。
その頃はそれなりに需要があったようです。
飯山は対岸、野沢温泉にはまだ遠い。結局、中途半端な場所だったということですかね。
中野の分岐近辺もしっかりそのまま路線跡が残っていました。
廃止した跡地が放置されている様な地域では、鉄道も持たない。
こう言っては、身も蓋もありませんね。

chitetsu said...

シグ鉄さん
木島は本当に中途半端な立地でしたね。
線路が無くなってから駅周辺を見ると特急が来ていた終着駅とは思えない雰囲気でした。

レサレサ said...

TMSの99年4月号で小林信夫氏が紙工作の機関庫を電車庫に改造する方法(実際には作っていない模様)として「プラットホームの終端に小さな庫が乗っているように見せるのも面白いアイディア」と書いてあったのですが実物だとこうなるんですね。
(信夫氏のアイディアはホームと反対側にも同じ高さのコンクリートの土台がある構造ですが)

やはり文章や簡易図より実物の写真を見る方が分かりやすいです。

Cedar said...

木島線は学生時代に一度行きました。OSカーとトラス棒つきの初期鋼製車が併用されていて、がらがらの特急も走ってましたが当時から閑散としていました。屋代から伸びてきた河東鉄道の終点~とことん交通の流れと合ってない線でした。

chitetsu said...

レサレサさん
このシチュエーション、ありそうで結構無いのですね。
自分が実際に目で見たのはこの駅だけです。
模型的には面白いロケーションと思います。

chitetsu said...

Cedarさん
OSカーと在来車の格差は激しかったですね。
その当時も特急はガラガラだったのですね。
やっぱり、敷設時とは完全に旅客流動が変わってしまったのですね。