本日は三条駅付近の晩年の風景をまとめてみました。
92.11.13 京津三条 |
夕暮れの京津三条駅です。
既に京阪本線は地下化されて、二度と昔のような直通運転は出来なくなりました。
でも、この姿を見られるのもそんなに長くはありませんでした。
90 92.1.13 京津三条 |
これだけ別の日の画像ですが、同じような場所での光景です。
車に挟まれて窮屈そうに走る80形電車。
617 92.11.13 京津三条ー東山三条 |
600形の三条ゆき準急がやって来ました。
617 92.11.13 京津三条ー東山三条 |
そこをどこからか現れたおばさんが電車の前を猛ダッシュで横断。
この辺りが併用軌道の面白いところです。
81 92.11.13 京津三条ー東山三条 |
反対側からは80形がやって来ました。
81 92.11.13 京津三条ー東山三条 |
何故か凄く印象に残った80形の離合風景です。
今となっては見ることのできないシーンです。
8 comments:
いや~暮れなずむ東山三条の風景、いいですね!
同じ年の夏、私も叡電とセットで行きました。
自分が実見した中ではやはり80形が一番恰好良いです。
新busu-jun さん
ありがとうございます!
自分もこの時の画像、結構お気に入りです。
やっぱり当時の京津線では80形が一番ですね。
80形はスタイルだけでなく、制御方式が非常にユニークなんです。複巻モーターによる惰行制御の採用は恐らくこの形式が初めてのはず。マスコンとブレーキ弁があるけど、通常の速度制御はマスコンだけで、空制は最後に止まる時だけ。4・5回、運転台の後ろにカブリ付き、やっとその操作方法が理解できました。
京津線三条駅付近は地下化からかなり経った、確か2009年秋にこの方面に出張した時、近くの旅館に宿泊しました。地下化からかなり経っているため、周辺もかなり整地されて名残といえるものは無くなりつつありましたが、「幅の広い道」に併用軌道があったことを感じました。
この訪問の時も、先に叡電の話題の時に触れた「何回かの叡電訪問」の1回をしています。
京津線の地下化の時に運用を外れた車の「地方私鉄への譲渡の話が持ち上がったことがある」との話を以前、車両情報を検索している時に見つけました。15m級の小型車を運用していたいくつかの私鉄が車両更新用に興味を示したらしいのですが、「回生ブレーキの撤去」が思いのほか大工事になるために譲渡にはいたらなかった、との話でした。京津線は、途中、腰越の急勾配を越えるために回生ブレーキ他、ブレーキが充実しているのですが、たいていの地方私鉄は平坦線のため、回生ブレーキは不要になるのですが、乗せているままでは「死重」になり、電気的にも管理に手がかかるので「撤去」が考えられるのですが、この「撤去」が問題になったようです。
このころまでが、私の知ってる京都です。京阪電車が地上から消えたあとは、なんだか行く気になりません。
(先日も中書島で引き返してしまったのはご承知の通り)
モハメイドペーパーさん
80形はやはり、あの坂道対策でそう言う制御方式になったのでしょうね。
吊り掛け音が減速時もするのはそのためなのですね。
原口さん
回生ブレーキの撤去は面倒なのですね。
車輛的には地方私鉄向きな車輌ですから、興味は引いたのでしょうね。
でも、その電車の大半を再生しているのも京阪のすごいところですね。
Cedarさん
私も、同様です!
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