そこで、その若林の今昔写真を集めてみました。
16.8.11 若林 |
うだるような暑さの若林、到着です。
16.8.11 若林 |
駅前の街並みもそれなりに懐かしいですが・・・
94.10.9 若林 |
向きは違いますが、同じ場所の筈です。
デハ307B 16.8.11 若林 |
最初は環七踏切です。
こちらは言わずもがなの今の様子。
デハ76 94.10.9 若林 |
電車以外はそんなに変わっていないですが、やはり空が狭くなっています。
デハ76 94.10.9 若林 |
この電車にこのライトは可哀相です。
このライトになって、すっかり行く気が萎えました。
デハ301A 16.8.11 若林 |
こちらはなんちゃってペコちゃん。
デハ153 94.10.9 若林 |
16.8.11 若林 |
デハ81 85.2.18 |
これは随分印象が違いますね。
16.8.11 若林 |
今の雰囲気も嫌いではないですが、やっぱり昔の風景がしっくりきます。
デハ301A 16.8.11 若林 |
駅の先の踏切からは私の好きな風景です。
デハ83 94.10.9 若林 |
デハ83 94.10.9 若林 |
ファッションは着実に変化しています。
デハ301B 16.8.11 若林 |
松陰神社前からの坂道。
夏の夕陽を浴びた姿は今の風景でも好きです。
84.1.30 若林 |
最後は涼しそうな写真で。
残暑お見舞い申し上げます。
以上、若林レポートでした。
12 comments:
デハ76の写真の右手、中華一番の後ろに、2年位前まで素敵なアパートがあったのですが、今はなくなりました。世田谷の街並みもどんどん薄っぺらになっていきます。
「玉電」若林駅周辺は、全体的な雰囲気として大して変わっていないように見えて、実は結構いろいろなところでこの数年の間に変化が起きています。下高井戸行き電車が駅を出て、松陰神社前方面に向かって上り坂になっている左手には、植木屋さんの森が広がっていたのですが、その森の大半が伐採されてデザイナー風?のアパートが建てられ、三軒茶屋行きホームの横にあった銭湯は取り壊され、やはりマンションに化けてしまっていました。環七との間にあった小林医院は、隣の薬局と共に店じまい、環七の角のラーメン屋さんが入っていたビルには、今はクリーニング屋さんが入っているようです。
デハ81が写っている駅の写真、周りの景色からして、宮の坂駅ではないでしょうか?
80形引退の日も大雪だったことを思い出します。
子供の頃は150形はステンレス車だと信じていました。リブ付軽量車体の路面電車は名古屋や呉にいましたが、あれだけ立派なコルゲートの付いた路面電車は他に無い個性だったと思います。
よた(世田)電の運転を見ていると、大きな踏切の手前ではノッチオフ、擦れ違いの時も減速。なんのための専用軌道なんだといいたくなります。阪堺の爪の垢、もらってこないといけません。
「惰行運転を活用しましょう」の有名な貼り紙(笑)
20数年前、住んでいた若林、しかも沿線に通勤していたにもかかわらず、その頃1枚も撮ってないという事実、、、orz
Cedarさん
その節はお疲れ様でした。
変わってい無いようでも街並みはどんどん平板化していますね。
残念ですが現実ですね。
伊豆之国さん
ご指摘ありがとうございます。
若林とずっと思いこんでいましたが、宮の坂駅ですね。
訂正いたしました
みかんさん
そう言えば雪の中の引退レポートがありましたね。
150形は良くわからない人にはステンレスか?と思っちゃいますよね。
フリーの電車みたいなインチキ電車でした。
モハメイドペーパーさん
本当に何のための専用軌道なのでしょう。
信号機付けるのをケチっているのでしょうか?
赤影さん
まるで戦後の疲弊した時代のような話ですね。確かそれは西武もやっていた気が。
当時の写真撮っていないのは赤影さんらしくない〜。
東急車両製のなんちゃってステンレスかー?には、定山渓鉄道モ2300形もいました。
旧車の機器流用の上、非冷房なのに固定窓とい安普請が災いしたのか、廃線後の譲渡もなく僅か5年の命でした。
三等急電さん
あれは空調機器も無いのに何故固定窓にしてしまったのでしょうかね。
寒冷地とは言え、その位分かりそうなものですが。
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