第一のグループが前回ご紹介した国電車体をベースにしたグループですが、今回ご紹介するグループは、前所有者の相模鉄道時代に車体を更新したグループです。
このグループにもいくつかのスタイルがありましたが、伊豆箱根鉄道が譲受した車両は基本同形態のものに統一されていました。
相模鉄道で更新された国電はルーツは様々な形態をしたいたものの、更新された車体のデザインは何故か17M級国電の中では一番野暮ったい30系電車の寸法を踏襲してリファインされたものになっています。
モハ161 79.5.5 大雄山 |
モハ161。
相鉄オリジナル車体になったモハ2000形を譲り受けています。
モハ162 79.5.5 大雄山 |
モハ162。
中間電動車とペアになっています。
モハ163 79.5.5 大雄山 |
モハ163。
モハ161と基本一緒ですが、車体端部の裾の仕上げ方に差異がみられます。
モハ164 79.5.5 大雄山 |
モハ164。
モハ165 79.5.5 大雄山 |
モハ165。
こちらの乗務員扉は木製のままですね。
モハ166 79.5.5 大雄山 |
モハ166。
車体裾がストレートです。
モハ163 80.5.4 飯田岡ー穴部 |
長閑な風景をゆく元相鉄編成。
モハ161 80.5.4 和田河原ー塚原 |
架線柱が私鉄らしいですね。
モハ165 90.11.9 五百羅漢ー穴部 |
国鉄スタイルのグループが淘汰された後も、相鉄グループは生き長らえました。
最終的には1996年まで活躍をつづけました。
6 comments:
東武7300系とともに時代遅れの新製車体乗換でした。
既存車との互換性をしたのでしょうが、不可解です。
大雄山線にとっては良い買い物になり、おかげで長生きできたのは事実ですが‥‥
元・いきもの部長さん
そうなんですよね。
あの時代にしては古臭い車体を載せたのは不思議ですね。
もうちょっと明朗なデザインに出来たでしょうに・・・
私も昭和60年頃に数回訪問しました。シルエットは17m国電なのに、のっぺりした車輛が多かったのはそうゆう事情があったのですか。旧車だから撮りに行くか、と思い立って行ったもののあまりにも野暮ったいので写真を撮っていてもあまり気が乗らなかった思い出があります。でも、今から思えば履歴だけではなく塗装や行き先の看板など関東地方私鉄の特徴を最後まで残していた貴重な路線だったのですね。
道草人生さん
仰るように、どうものっぺりしていてイマイチ写欲が湧かないのは私も一緒でした。
後から思えばもったいないことしたと思うのですが・・・。
はじめまして。
私の実家は大雄山線沿線でまさに写真をとられていた
飯田岡ー穴部間の飯田岡よりに住んでおりました。
懐かしい写真の数々拝見させていただきありがとうございます。
昔、モハ151形は相鉄から大雄山線に移動した
当初、先頭車は貫通型をしていたのをご存知でしょうか?
昔の私鉄電車の本
「子供向けのもので小型の電車図鑑のようなもの。題名失念」
にありました。
私が記憶しているのはすでに非貫通の写真の姿ですが
貫通型姿で大雄山線を走っている写真は見たことがありません。
私が幼い頃(1973年生まれ)は大雄山線も2両編成が
たまに走っておりました。
タカヒロさん
はじめまして。
訪問当時は畑が広がっていましたが、今はどうなっているのでしょうか?
相鉄の電車、貫通型先頭車が入線していたとは知りませんでした。
相鉄でも両方のスタイルがありましたね。
コメントありがとうございました。
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