その150万アクセス時に、150という形式が意外と少ないとのお話をしました。
その時に『150』に因む車両で最初に頭に浮かんだのはこだま形ではなく、この電車でした。
ということで、150マンに続けて151マンアクセス記念プチ企画・伊豆箱根鉄道モハ151形電車とその仲間をお届けします〜。
モハ151形は伊豆箱根鉄道大雄山線に在籍していた電車で、基本的には17M級旧型国電をルーツとしており、一部存在した急曲線が起因して長きにわたって同線は旧型国電タイプで統一されていました。
同形式は電動車が151形、制御車・付随車は181形とされ、大きくは国電型車体を残すグループと、相鉄時代にオリジナル車体を載せたグループに大別できます。
1回目は国電型車体を残した151~158の4編成・8両のご紹介です。
モハ151形3並び 79.5.5 大雄山 |
大雄山駅で顔を合わせたモハ151形。
どれも良く似ているのですが、微妙に異なります。
モハ151 79.5.5 大雄山 |
モハ151。
国鉄50系電車の焼け電叩き直し電車の生き残りです。
張り上げ屋根を残す50系電車は国鉄側では例外を除いて早いうちに消滅、ここの151,152号車以外ではこの当時は西武から転籍した弘南鉄道のモハ1120形1両の合計3両を残すのみとなっていました。
屋根のグロベンが2個しかないのも珍らしいです。
モハ152 79.5.5 大雄山 |
モハ152。
モハ151同様の叩き直し電車です。
モハ151がクハ65改造に対し、こちらは電動車のモハ50形改造です。
この2両は他の電車よりも老朽化が進んでいた模様で、この翌年に廃車になっています。
モハ153 79.5.5 大雄山 |
モハ153。
こちらは国鉄時代に更新を受けたクモハ11を譲り受けた電車。
モハ154 79.5.5 大雄山 |
モハ154。
同じくクハ16を譲り受けて電動車化したものです。
雨樋等、原形を留めている部分が多いです。
モハ155 79.5.5 大雄山 |
モハ155。
こちらはクハ65時代に譲り受けた車両で、屋根のベンチレーターが製造時の面影を残した3列タイプです。
モハ156 79.5.5 大雄山 |
モハ156。
モハ153とペアを組んだ車両で、クモハ11時代の譲受です。
モハ157 79.5.5 大雄山 |
モハ157。
似たような姿に見えますが、出自は異なります。
こちらは西武鉄道からやって来た電車です。
こちらの前身は西武クモハ314。
クモハ314は木造の焼け電に50系スタイルの車体新製して載せたものです。
窓サッシュや客用扉も西武時代の更新で施工されています。
モハ158 79.5.5 大雄山 |
モハ158。
モハ157とペアを組む西武譲受車です。
西武時代の車番はクモハ315。
こちらはモハ50の焼け電を叩き直した電車で純国電車体ということになります。
モハ157、クハ186 80.5.4 相模沼田 |
相模沼田で交換するモハ157。
反対側は相鉄からやって来たクハ186。
モハ156 80.5.4 飯田岡ー穴部 |
すっきりとまとまった17M国電の3両編成。
このような姿はここと弘南鉄道でしか見られませんでした。
モハ158 80.5.4 飯田岡ー穴部 |
こちらは、西武編成です。
モハ156 80.5.4 飯田岡ー穴部 |
未だ農村風景の残っていた飯田岡付近にて。
こんな電車が1日中行ったり来たりする大雄山線はパラダイスのような線区でした。
モハ157 80.5.4 飯田岡ー穴部 |
沿線風景は平凡で、これといったポイントが無いのが玉にキズでした。
モハ158 80.5.4 飯田岡ー相模沼田 |
古い車体に列車無線アンテナがミスマッチです。
モハ65 85.1.2 飯田岡ー相模沼田 |
末期の頃には駿豆線から転籍組も走っていました。
モハ157 79.8.1 小田原 |
12 comments:
151マソ、お呪い申し上げますっ!
130.9マソわんわん殿
お呪い、ありがとうございますっ!
今週末も藁人形になります〜。
151Mアクセス おめでとうございます。
当方、長らくガラケー所持にて、chitetsuさんブログは、自宅PCにて数日分まとめて拝見しておりましたが、
4月からタブレットを追加しましたので、毎日見させていただいております。
今では会社出社後の楽しみになっており、今後とも、期待しております。
150万アクセスおめでとうございます。
幼いころ家族旅行で湯河原に行っていた時小田原駅で見ていたり、帰りに家族に付き合ってもらったりして大雄山線の旧型電車はしょっちゅう乗っていました。
この時代の江ノ電と大雄山線と出会ったお蔭でワタクシもコアな旧型電車マニアになってしまいました。
160型の最終日は最後の最後まで見送った事を覚えています。
大雄山線の電車は、東海道線や小田急から良く見えるので気になっていた路線でしたが、初めて乗ったのは昭和50年代に入ってからで、その頃は写真にあるように、まさに旧式電車の天国だった時代でした。路線名・駅名の由来である、「道了尊」の名で親しまれている大雄山最乗寺にも、駅からバスに乗り継いで行ったのですが、巨大な鉄の下駄?には圧倒されたのでした。
大雄山線に新車が入り、古い電車が引退したのは、昭和の末期だったかと記憶しています。数年前、社用で南足柄市に行ったことがあり、大雄山線にも久々に乗ったのですが、やはり昔に比べて魅力が薄れた印象でした。その新車だった5000系、まだ新しそうに見えるのですが、もう走り始めて30年近くたったのですね…。
その5000系も、同一形式でありながら鋼製車があったり、クロスだったりロングだったり、ロングとクロスだったりと、微妙なバリエーションで楽しませてくれるのは、伝統のイズッパコ・スピリッツなのでしょうか?
151萬アクセスおめでとうございます。
600V時代は元買収国電などもいましたが、昇圧後は17m級旧型国電系で統一されました。
赤電塗装もあって西武の支線のような雰囲気でした。
また、前面貫通式だった旧モハ50系を非貫通に改造したため一寸変わった印象を受けました。
永年中古車を揃え続けた大雄山線が全てオリジナル自家発注車になるなど、当時は想像すらできませんでした。
そういえば、ステンレス車体+青帯の採用はこちらが親会社より先でしたね。
北マトさん
ありがとうございます。
ようやくタブレット導入ですね。
これからもアクセスアップに寄与くださいませ〜^o^。
宵闇さん
ありがとうございます。
首都圏近郊では一番見に行きやすい電車のひとつでしたね。
それなのに、自分は何故か晩年はあまり見に行っておらず、勿体無いことしました。
伊豆之国さん
新車で更新されるとは思いませんでした。
でも、その新車ももう30年とは早いものですね。
赤影さん
一気に更新しなかった(できなかった?)分色んな形になったのでしょうが、試行錯誤なのか思いつきなのか分かりませんね。
元・いきもの部長さん
600V時代はバラエティー豊かだったようですね。
ステンレス+青帯、そう言えば本家よりも早かったですね。
Post a Comment