場所は道立洞爺少年自然の家の敷地内でした。
電動排雪車 89.7.28 洞爺少年自然の家 |
こちらは無番号の電動排雪車です。
元を正すと旭川市街軌道のササラ式「排1型」除雪車のようです。
電動排雪車 89.7.28 洞爺少年自然の家 |
パンタグラフは雪にやられたのか壊れてしまっていました。
電動排雪車 89.7.28 洞爺少年自然の家 |
反対側から。
画面奥に洞爺湖が見えます。
コハ051 89.7.28 洞爺少年自然の家 |
横に並んでいたのは国鉄キハ05を購入したコハ051です。
国鉄から購入時は気動車として認可を受けたものの、エンジンの老朽化が著しく付随客車として設計変更した、とされています。
コハ051 89.7.28 洞爺少年自然の家 |
ベンチレーターが湘南形タイプになっているのがこの車輌の特徴でした。
コハ051 89.7.28 洞爺少年自然の家 |
床下機器は一切取り払われていました。
この地にはこれ以外に電車のモハ103とモハ501も保存されていたようですが、私が行った時にはこの二両しかありませんでした。
何故か残されたのは電車では無くラッセル車と客車であったのは不思議です。
12 comments:
旭川電気軌道には一度だけ訪問して、コハは東川の路面区間で撮影しています。しかし保存というより放置とらいう状態ですね。
Cedarさん
現役時代を知らない私は放置車体でも興奮しちゃいました。
以前は電車も保存されていたようですが、良かるパターンで維持しきれなくなったのでしょうね。
日本の保存に対する意識はこんなもんですね。
嗚呼。。。。
コレ、保存って言ってたの?!
トーシローなボクは知らない車両ですがどっちもむちゃくちゃ魅力的やなー!
今度は89年の旭川へ逝って後悔したい!
コハ犬どの
こりゃ保存とは言わず放置と言うものでしょう。
どうせ逝くなら70年に逝きたいです〜。
この電動排雪車はkatoのチビ客車に見えたのは私だけ? 窓割りがよく似ています。
電動排雪車の製造時の写真がありました。
下記URLの一番下をごらんください。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/asakura/kisha2.htm
ポール1基をパンタグラフに変更した以外は、晩年まで原型を保っていました。
旭川市街軌道時代の昭和29年の旭川国体の時に排2が、昭和42年には本車が花電車となっています。
http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/asahikawa.html
夏には出番がないので、好都合だったのでしょう。
コハ051は蒲原や新潟と異なりTc化されませんでした。
ラッシュ時専用だった、日常的に貨車牽引を行っていて違和感がなかった、モハ101-103が直接制御だったなどの理由が考えられますが、実際はどうだったのでしょうね。
国鉄時代末期のキハ0512だったときの写真を見ると、既に湘南形タイプのベンチレーター改造されていました。
北海道仕様の改造だったようですが、確認できたのはこの1両だけです。
WIKIPEDIAの車両の解説にあるように、終戦後に国鉄の木製客車車体を載せた急拵えの付随客車がいました。
手持ちの本にはパンタ化後のモハ103に牽かれた姿が写っていますが、もう少し前なら羽後交通雄勝線のようなポール電車が自分より大きな木造客車を牽引する姿が見られたはずです。
どうせ逝くなら50年代前半に逝きたいです 。
匿名さん
なるほど、確かにチビ客車と良く似ていますね。
改造ネタに出来るかも、ですね。
元・いきもの部長さん
製造時の排雪車の写真見ると、基本的には最後まで原形を保っていたみたいですね。
電車が気動車改造の客車を牽引して路面をのそのそ走る様子は是非見てみたかったです。
コメントありがとうございました。
日本の保存車両に対する意識なんてこんなもんでしょうね。
今まで色々な廃止になった路線の保存車両を見てきましたが、結局ほぼ放置でボロボロになって解体というお決まりのコースを辿っていますね。
今だったら保存会が立ち上げてピカピカに見違えるようになっていただろうと思うととても残念です。
宵闇さん
そうなのだと私も思います。
歴史的なものに無頓着な国民性が悲しいです。
キハ41000マニアを自認しながら、この廃車体のことは知りませんでした。
昭和52年夏に撮影旅行を始めて、残存するキハ41000のなれの果ては
すべて撮影したつもりでしたが、このコハ051を逃したのは残念です。
また、美唄鉄道のキハ103も情報を得た時点の1年前には解体されていて、
悔しい思いをしました。
Tomiiさん
洞爺湖畔には何両も保存車がありましたが、有効活用されぬまま廃棄されたのは残念です。
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