場所は宿泊した旅館からは徒歩で行ける善光寺下から地上に線路が出る踏切です。
ここには過去にも2000系電車を撮りに二度訪問したことがあります。
そこで今回は都合三回の同じ場所での写真から纏めました。
改めて以前の画像を調べてみると期せずして全て冬の訪問ばかりでした。
デハ8513 15.2.15 善光寺下ー本郷 |
雪をべっとり付けてやって来たのは田園都市線。
形式も呼び方もTQ時代のままなのですね。
なんか、ちょっと安直と言うか、元気を感じませんね。
以前OSカーのOS01なんて付番していた頃の覇気は何処かに行ってしまったのでしょうか?
ちょっと残念ですね。
モハ3612 15.2.15 善光寺下ー本郷 |
次にやって来たのはマッコウクジラ。
3本あった3両編成も気がつけば既にこの一本を残すのみとなっています。
ステンレスの電車も50歳。
淘汰の対象になるのも致し方ないでしょうね。
クハ3652 15.2.15 善光寺下ー本郷 |
デハ8501 15.2.15 善光寺下ー本郷 |
トンネルから出てきたトップナンバーのデハ8501。
半蔵門線でしょっちゅう見ているので、まったく新鮮味がありません。
デハ8506 12.1.21 善光寺下ー本郷 |
この間抜けた埴輪顔、最初は先頭改造車とは知らなかったので???でありました。
よく見たら貫通扉は安物模型のようなダミーの幌枠で体裁を繕った非貫通車なのですね。
まあ、この種の先頭改造車の中では頑張った方でしょうか?
改造ついでにスカートも付けたのでしょうか?
オリジナル先頭車には無いのもちょっと不思議。
モハ2007 12.1.21 善光寺下ー本郷 |
こちらはトンネルを出た来た2000系D編成。
最期の活躍の頃です。
モハ2008 12.1.21 善光寺下ー本郷 |
振り向いて撮ったモハ2008。
この色、この顔、格好良いです。
モハ2008 11.1.22 善光寺下ー本郷 |
こちらはさらに一年前の2000系。
変な名産品の唐辛子のヘッドマークがついていました。
モハ2007 11.1.22 善光寺下ー本郷 |
反対側にはもっと変なのが・・・・。
クモハ169-6(左)、モハ2008(右) 12.1.21 屋代 |
2012年訪問の時はこんなイベントがありました。
クモハ169-6(左)、モハ2008(右) 12.1.21 屋代 |
数年前なのに激変しちゃいましたね。
8 comments:
こんにちは
ワタシはクジラも8500も馴染みないので新鮮です。
白い世界に赤のラインがすごくいいです。
撮るの寒かったでしょうね・・・おつかれさまです
2000はかわいいですねー
青春Mさん
それが、意外と寒くなかったんです。
地元の人も雪が降ると暖かいと言っていましたが、結構そうだなと感じまた。
2000はなかなか可愛いです。
兄貴分とも言える名鉄5000はやや気難しい顔をしていますが、長電2000は呑気面で好感が持てますね。
叔母の家が信濃吉田にあり、子供の頃、初代OSには良く乗りました。こんな田舎に20m4扉なんて必要なのか、などと長野に失礼なことを思ったものです。
その頃の長電長野駅は変な作りをしていた記憶があります。ホームの途中に踏切があった様な・・国鉄との貨物連絡線もありました。
シグ鉄さん
高度成長期に誕生した2000系はまろやかなお顔で魅力的な電車ですね。
OSカーは私も4ドア車が要るのかなと思いましたが、結構輸送需要が旺盛だったみたいですね。
長野駅の地平時代の写真を撮らなかったのは今でも悔やまれます。
長電もオリジナル車両が消えてしまいさみしくなりましたね。2000系、OSカー、更新車1100など、素敵な電車が懐かしいです。
バラエティ豊かだった長電もさびしくなりました。
2000系やOSカーのような大手私鉄に負けないようなオリジナル車両はもう望めないでしょう。
話はそれますが、OSカーは前面がEF53のような庇つきで珍しかったですね。
当時のバスでは一般的なデザインでしたが、電車では京阪の5ドア車5000系くらいでしょうか?
Cedarさん
オリジナルの電車が無くなって、都会のお下がり電車だらけになって詰まらなくなりました。
今の旅客数では致し方無いんでしょうね。
元・いきもの部長さん
オリジナル電車を造れないのは仕方ないのでしょうね庇付きデザインは確かに少数派ですね。
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