その時のお話はこちら⇒週末は金沢へ。
そこで、長野駅今昔をまとめてみました。
92.10.17 長野 |
夜行列車で降り立った、早朝の長野駅。
善光寺をモチーフに造られたとされる長野駅舎は1936年築。
既にこの時には駅舎の建て替えが決まっていて撮った記憶があります。
クハ68099 77.5.2 長野 |
こちらは、38年前の長野駅です。
当時のローカル列車は70系と80系が主力で、一部が客車列車という陣容でした。
ローカル列車の主力である70系電車は、小断面トンネル対応のPS23にパンタグラフを換装、クハにはスノープロウを装備した耐寒耐雪装備をして運用されていました。
また、制御車不足から奇数向きには戦前型のクハ68形が多く編成されていました。
クハ68075 77.5.2 長野 |
こちらはクハ55改造のクハ68075。
平妻クハ55二次車で、運転台直後の窓が二つになっている比較的希少な存在でした。
左手の留置線には波動用の12系客車と煉瓦の建物が写っています。
クハ76019 77.5.2 長野 |
偶数向きは基本クハ76がついていました。
こちらは初期型のクハ76019。
クハ86303 77.5.2 長野 |
70系に比べると80系は少数派でした。
主に4両編成は篠ノ井線系統に、6両編成は信越本線高崎までのロングラン運用に充当されていました。
この列車は80系最後の定期急行電車運用の438M・急行『天竜』です。
ホームの反対側の電車も80系、背後に特徴的な長野駅舎が見えます。
クモユニ82001 80.9.5 長野 |
荷物電車も当然、吊り掛け電車です。
画面左手の20系客車の急行『ちくま』も懐かしいです。
EF62 21(左)、EF64 4(右) 80.9.2 長野 |
機関車は信越線系統のEF62と中央線系統のEF64が活躍中でした。
EF64 63 80.9.2 長野 |
こちらは篠ノ井線の普通列車、中津川ゆきです。
荷物輸送維持のために止む無く客車列車で運用されていた列車で、編成は荷物車主体で、旅客車は3両、申し訳程度についていました。
夏場は正面の貫通扉を開け放ったこの姿で走っていることが良くありました。
撮る側からするとあちゃーな感じです。
まだ大らかな時代でありました。
オハフ332559 80.9.2 長野 |
この列車の殿は戦後型キノコ妻のオハフ33形でした。
この客車には各地で随分とお世話になりました。
スエ3026 80.9.2 長野 |
駅構内外れにはこんな古典的な客車が寝ていました。
17M・ダブルルーフの救援車はまだ各地に残存していました。
屋根は雨漏りしたのか、補修がされて原型の姿からはかなり変わっています。
オエ709 80.9.2 長野 |
後ろについていたのは戦災復旧車のオエ70形です。
オエ70形は戦時中に焼けた電車や客車の台車や台枠、鋼体を再利用して車体を新造した荷物車のオニ70形がルーツです。
このオエ709はモハ34形のモハ34023からの改造ということになっていますので、大糸線のクモハ12や都内を走ったクモニ13形の兄弟ということになります。
こちらのサイトに記事があります⇒http://satoyama.in/auto/sharyo/auto918.html
キハ2566 77.5.2 長野 |
飯山線の気動車もそれなりに長編成で長野までやって来ました。
5両編成は1両ごとに色が違う曼荼羅編成でした。
気動車は当時タラコ化の渦中で、先頭の初期型キハ25がタラコ、その後ろは急行色のキハ55、その次にはなぜかタラコのキニ56が挟まって、その後ろにバス窓のキハ55、最後はツートンの旧標準色のキハ25という編成でした。
それでは現在の長野駅です。
15.2.15 長野 |
現在の長野駅舎です。
新幹線北陸延長に合わせて駅舎の工事が最終段階に入っていました。
左手の茶色い建物は以前のままのようです。
クハ115-1214 15.2.14 長野 |
背景のヤードは新幹線になってしまいました。
クハ183-1528 15.2.15 長野 |
扉を開けて発車待ちのEF64の場所は恐らくこの辺りでしょう。
すっかり様変わりしています。
クハ183-1528 15.2.15 長野 |
今回乗車した国鉄特急色の妙高号の回送です。
以前に80系の急行天竜号を撮ったのと同じ番線のはずれですね。
キハ112-212 15.2.14 長野 |
飯山線の列車はホーム途中で線路がしなの鉄道線と分断された飯山寄りに封じ込められていました。
キハ112-212 15.2.14 長野 |
分断された線路。
寂しい光景です。
久しぶりに電車で降り立った長野駅。
新幹線で到着した夜の在来線ホームは人気が無い印象が強かったのですが、それは夜だからと思っていましたが、翌日もほぼ同じ印象でした。
新幹線にお客が流れたせいもあるのでしょうが、そのせいだけでも無い気がしました。
鉄道利用者は確実に減っているのでしょう。
10 comments:
スエ30の屋根に飛び出しているのは、ストーブの煙突でしょうか。
寒冷地ならではのユニークな装備かと思われます。
国鉄色に戻った183系の先頭はATC搭載車であった1500番台ですね。
房総特急増発時に用意されたものですが、次の改正で房総方面の列車削減と聞かされると仰せの「鉄道利用者は確実に減っている」が現実のものとなっているのでしょう。
ええええええええええええええええ
こんなことなってんのん~~!?
そういえば40年ちかく降りてないわ(糞爆)。
クハ180、乗りたいなあ(大糞核爆)~
社会の窓が開いたEF64ですが・・
長野駅は3面5線(1番線が1線という国鉄パターン)だったと記憶しています。
となると2番線の位置から考えて、EF64列車は1番線で北長野方向を向いているのでは。
中津川から着いた列車ではないでしょうか。
あくまで推測で自信はありませんが・・・
12号線さん
スエ30の屋根の突起物は煙突っぽいですね。
どんな用事の時に活躍したのでしょうか?
千葉の特急削減は何となく納得できる気もしますね。
高速も整備されて来たし、鉄道輸送も厳しいのではないでしょうか。
犬に轢かれて残工事参りどの
自分も最近は車で出かける場所になって、長野駅前に降りたのは久しぶりです。
どこも同じような駅前風景になちゃってツマランです。
シグ鉄さん
正直、私も自信がありませんが、篠ノ井線の客車列車は私が見て限り松本基準で長野方に旅客車が編成されていたので、多分中津川行きではないかと・・・。
でも背景のアンテナとかを見ると1番線にも見えます。
う~む、わかりません。。。。。
chitetsuさんが訪ねた前年、大学鉄研の夏合宿で長野へ行きました。
その時の長野駅の様子が懐かしくよみがえりました。
帰りに荷物車主体で旅客車は3両という列車に乗りました。
入線する編成を見たときは驚きました。
補修されたダブルルーフを見ると、別府鉄道の2軸客車を思い出します。
クハ68099の前面窓は珍しい組み合わせですね。
『我が心の飯田線!』掲示板によれば、昭和41年5月アカ→カキ移動とありますが、この時期まで関西にいたのに球形通風器は装備しなかったことは意外でした。
長野と言えばやはりあの駅舎でしたね。
越後屋と並ぶ悪徳商人Tのせいで、やらなくていいオリンピックのために建て替えられてしまったのは残念。
元・いきもの部長さん
中央西線の客車列車は大畑越えの混合列車ほどではないものの申し訳程度の旅客列車でしたね。
長野のクハ68はどれも個性豊かでしたが、クハ68099の窓はヘンテコでした。
助手席側窓の状態が悪くていじったのでしょうか?
飯田線風味も混じっています。
Cedarさん
慶太と双璧の悪徳商人も色々やらかしていますね。
既存駅舎を活用した開発も出来たと思うのですが、残念。
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