向かった先は富士急行の定番ポイントです。
そこで撮った小田急電車そこをまとめてみました。
89.1.28 寿ー三つ峠 |
雪の風景に富士山。
バッチリ撮れたかと思ったら、ずいぶんと富士山はくっきりと写っていないは、電車のお面はつぶれているわでガックリ画像になってしまいました。
89.1.28 寿ー三つ峠 |
吊り掛けの電車の多くはこの小田急車グループで置き換えられて、この頃は主力電車になっていました。
89.1.28 寿ー三つ峠 |
こちらも同じ場所からです。
89.1.28 寿ー三つ峠 |
89.1.28 寿ー三つ峠 |
この頃の電車にはスノープロウがついていました。
近年の車輌にはついていませんから、降雪量も減ったのでしょうか。
89.1.28 田野倉ー壬生 |
富士急行の小田急電車の活躍は1982年から1996年までの14年間でしたが、撮影に出掛けたのは僅かでした。
8 comments:
カルダン車の先陣として1976年から1900形8両が富士急に移籍しています。モーターは4000形に流用するので抜かれましたが、富士急在来車からの転用で、結局同じモーター(MB146、但し、ギア比は異なる)に落ち着きました。写真を撮りに行こうと思っているうち、カルダン車グループに置き換えられ、富士急でのご対面はできませんでした。
モハメイドペーパーさん
今日はありがとうございました。
1900形はこれらの車輛よりも短命に終わってしまいましたね。
今考えれば、もっと行っておけばよかった・・・。
わたしはほぼ同じ時期に富士急線を乗りつぶししてきました。
スノープラウは他の車両ではオリジナルの5000系に国鉄車両なみの本格的なものがついていました。
3100形はどうだったかはわかりません。
そういえば最近は小田急線のお古が譲渡車両して走るという話がありませんね。
旧2200系は新潟交通にも1本入っていたのを覚えてます。
富士急の小田急・・Cedarもかの鯨川君と撮影に行ったことあります。狭窓の2300もいましたよ。
taiitisさん
最近の小田急車は大きくて使い勝手が良くないからかもしれませんね。
新潟のも晩年は持て余し気味でしたね。
Cedarさん
わざとなのか偶然なのか各タイプが入線していましたね。
見る方にしてみると楽しかったです。
富士五湖方面の雪は、「大正時代と昭和初期を比べても減った」という記述があります。
富士急行の究極の前身ともいえる「御殿場馬車鉄道」等の大月から御殿場にかけての馬車鉄道は、現在はRPアーカイブスにも収録されている「私鉄車両めぐり」の「富士急行」でも、多くの記述があり、他の馬車鉄道の記述も多いのですが、この中で、山中湖から須走方面の情況だったか、「大正時代はしばしば積雪が3尺を超えていたのに対し、昭和になってからは積雪が3尺に達することが無くなった」との記述があります。
原口さん
日本中、雪は減っていますね。
積雪地青森でも赴任当時話題になっていました。
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