越生は八高線と東武越生線のジャンクションで手前約1キロぐらいは八高線と東武線が並行して走っています。
そんな越生駅付近に今にも泣き出しそうな6月の梅雨空の中に何故か訪問。
武州唐沢から越生まで歩いてみた時の記録です。
クハ317 81.6.13 越生ー武州唐沢 |
並走区間でそれぞれの列車を撮ってみました。
東武線は73系4連がやって来ました。
今にも雨が降りそうな天気で、今考えればこんな時行かなきゃいいのにと思っちゃいます。
キハ35903 81.6.13 越生ー毛呂 |
八高線はステンレスのキハ35がやって来ました。
モハ7315 81.6.13 越生ー武州唐沢 |
それぞれ反対側です。
東武線のモハ7300は後期更新の後ろパンタ車です。
本線ではこちら側に78系2連が連結されているケースが多く、あまりこの顔を拝むケースは少ないです。
右手の桑畑がいかにもこの地方らしいです。
キハ20323 81.6.13 越生ー毛呂 |
八高線の反対側はキハ20が付いていました。
当時すでにクロスシート車はかなりな少数派だったと思います。
モハ7848 81.6.13 越生ー武州唐沢 |
当日走っていたもう一本の東武線電車は78系でした。
93.5.23 越生駅舎 |
これは別の日の画像ですが、越生の駅舎。
懐かしい木造駅舎です。
クハ839(左)、クハ850(右) 81.6.13 越生 |
なんとか曇り空は持って越生に到着しました。
東武線の越生駅には電留線が有り、78系が休んでいました。
モハ7836 81.6.13 越生 |
電留線のモハ7836。
モハ7310車内 81.6.13 越生 |
こちらは越生停車中のモハ7310車内です。
木の床が懐かしいです。
越生からはカステラ電車を乗り継いで池袋へと帰りました。
18 comments:
伊勢崎線系統で73・78系には馴染みがあったせいか、越生線は訪問せずに終わりました。
後ろパンタの73系のお顔は珍しいし、沿線風景も良いし、行っておけばよかった~
八高線も高崎口で散々見てきましたが、これまたロクに記録していないのが悔やまれます。
異形式が手をつないで走る姿はいかにも国鉄っぽくていいですね。
後年はタラコのキハ35だけになってしまいました。
新busu-jun さん
越生線のカステラ電車はわざわざ撮りに行く人少なさそうですね。
路線的にもマイナーで、沿線もこれといったものが無いですから、東上線末端部でも寄居側のような見せ場が無いので、自分も越生線訪問は確かこれ一回だけだったと思います。
国鉄DCの凸凹編成は楽しかったですね。
残念ながらカステラ電車には乗った事はないのですが、まだ東上線に5000系が走っていた時代、八高線を使って町田から越生線まで乗りに行った事を思い出しました。
のんびりとした北関東の風景と5000系の釣り掛けモーターの音がマッチしてとてもいいひと時を過ごした事を思い出します。
ましてカステラ電車の時代だったらもっと味わいたっぷりだったのでしょうね。
2年位前、妻の治療のことで、日高市の病院まで行った時越生線に乗りました。越生線東毛呂からバスで行くとんでもない田舎に巨大な病院があり、八高線の踏切も通りました。
あのあたり、帰化人関連の古刹や山並みの集落など78形に似合う地域ですね。
越生線のカステラ電車は私も無くなる直前に訪問しました。
ホームページにもお粗末な写真を掲載しています。
皆さんの言うとおりエラく路線の雰囲気にあっていました。
「そういう縁」という訳でないのですが現在地元民です。
最近はスペシャル塗装の8000系を撮ってる人をよく見かけます。
遠い昔の自分を少しだけ思い出します。
宵闇さん
町田から八高線経由で越生というのは結構楽しそうなプチトリップでしたね。
桑畑などを見ながら吊り掛け電車の音を聞くのも良いものです。
78系のモーター音ははっきりしていて(=うるさい?!)好きでした。
Cedarさん
日高市の病衣にも行かれたりしたのですね。
電車風景を見ても気が落ち着かなかったことでしょう。
カステラ電車には似合った風景だったと思います。
てつよしさん
越生線には4輌編成ののんびりとした光景が似合っていますね。
復活塗装、正面がアレなので見ていないのですが、35年後の越生を見に行ってみるのも良さそうですね。
八高線にはキハ20やキハ40が連結され「喫煙車」として使われていたようです。
*キハ30系は川越線との兼ね合いから禁煙でした。
東武越生線は1981年当時、春の観梅と沿線にある病院に親戚が入院していた関係でたまにですけど利用していましたので懐かしく感じます。
7300系は1960年代前半に車体が改造されましたが、ほかの路線の車両と比べると車内は見劣りがしますね。
東武7800は最初期車を除き、金網の網棚でしたが7300はホーロー製(?)のプレス板用いていましたね。
木の床に塗布する防腐剤やら、ペンキ塗装内装など今からすれば化学物質ダダ漏れの車内環境だったかもしれません。
でも、そのカオリにあふれた空間に足踏み入れたくなるのは人間の性でしょうか。それだけ歳取った証でもありますが。
梅雨らしい写真ですね。
越生は梅で有名なので尚一層梅雨はお似合いかもしれません。
73・78系は東上線でツートン時代から何百回と乗ったせいか、吊り掛け時代の越生線は訪問せずに終わりました。
カステラ電車の末期には撮影する人がそれなりに居たと、鉄ちゃんでない越生線利用者から聞いたことがあります。
80年代に入ると非冷房の73・78系は次第に東上線末端部と越生線に押し込まれ、池袋口の冷房化100%を実現しました。
モハ7300の顔を撮れたのは貴重ですね。4連で運行する越生線ならではの光景でした。
カルダン車置き換え後も今世紀初めまで運行された越生線直通列車は4連で、10連主体の池袋-坂戸間では珍しい短編成でした。
taiitisさん
クロスシート車はそう言う用途で残っていたのですか。
今の時代では考えられないことですね。
12号線さん
古い車両は現在のアコモデーションとは全く違う質感でしたね。
古臭いと言ってしまえばそれまでですが、温かみを私も感じました。
三等急電さん
東上線末端部と越生線に古い車両が押し込まれるのは今も昔も一緒ですね。
末期はそれなりに撮影する人がいたのですね。
私はカメラ向けている人は一度も会ったことがありません。
長い吊り革に板張りの床。
今見るととても懐かしい、典型的な旧型電車の車内ですね。
独特の匂いやコンプレッサーの音、板バネの縦揺れの記憶が蘇って来るようです。
でも見たところ、東武線の旧型電車は国鉄73系と違い、
床を黒っぽい油で拭いてないないようですね。
地元の根岸線では、最後まで残った板張りの旧型電車は、
ハマ線から乗り入れて来るサハ78でした。
中学生の頃の友達はこの電車のことを、
「ウッディー横浜線」とか「ワンドア・板張り」とか呼んでいました。
ジモティーさん
いかにもな昭和の半鋼製電車の内装ですね。
おっしゃるように、国電の床とは違って黒っぽくないですね。
でも、どんな色だったかはすっかり忘れてしまいました。
確か京王線もこんな感じの床だった記憶があります。
国電の場合ですが、木製の床は防腐のために「床油」という物を定期的に塗っていました。この「床油」ですが、どのようなものだったか、かなり前の「我が心の飯田線掲示板」で話題になりました。鉱物油に何らかの防腐剤を溶かし込んだものらしいのですが、防腐剤と溶剤が何だったのか、今となってはわからなくなっており、色々な組み合わせで再現を試みた方もいるのですが、結局不明瞭なままで終わっています。建物の木製の床の管理にはよく「ワックス」を塗り、木製の床が残っているがっこぷの風物詩になっていますが、「床油」はこの「ワックス」とは別物です。防腐剤の方の1つの可能性は「クレオソート」で、これは木製の枕木の防腐剤として使われていました。
木製の床は「水で濡れても滑らない」のが利点で、北海道の車はかなり遅くまでの新製車(少なくとも昭和40年代のキハ24,46型、711系まで)が木製の床板を導入していました。
原口さん
木製の床は独特の臭いがしましたね。
クレオソートほど臭いがきつくないので、何かを混ぜていたのでしょうか?
バスの車内もかなり後年まで同じでしたよね。
北海道の気動車が後年まで木製床だったのは経験済みでしたが、711系も木製の床だったのは知りませんでした。
Post a Comment