モハ7847 82.7.20 上板橋ー下赤塚 |
82.7.20 上板橋ー下赤塚 |
クハ815 79.1.17 下赤塚ー東武練馬 |
正面の窓の寸法が一回り小さく、側面の窓は木製でしたので、雰囲気が異なります。
モハ7847 82.7.20 上板橋ーときわ台 |
73・78系もそろそろ先が見えてきた頃の写真です。
ED5014 82.7.20 上板橋ーときわ台 |
82.2.9 朝霞ー朝霞台 |
旧型車の8連はそれなりに見応えがありました。
ここの区間は今も開けていますが、当時は河川改修もなされていなくて、実に長閑な風景が展開していました。
82.2.9 朝霞ー朝霞台 |
クハ317 82.2.9 朝霞ー朝霞台 |
ここも複々線化で随分と雰囲気が変わりました。
モハ7837 82.2.9 朝霞ー朝霞台 |
すでに8連化された末期のカステラ電車。
この年が本線のカステラ電車最後の年になりました。
クハ9101 82.2.9 朝霞ー朝霞台 |
東上線にも新しい時代が近づいてきた頃の写真です。
この時撮った9000系も今年30歳、早いものです。
10 件のコメント:
東上線の30年前は朝霞あたりがこんな田舎っぽかったんですね。
1980年なんて、ついこの間だと思っていましたが、近郊の変貌は著しいですね。
80年代になると、朝霞駅も保線車両の留置線を除き棒線化されてしまいました。
それ以前は退避可能な配線となっていましたので、貨物列車が電車をやり過ごす光景も見られたものです。
Cedarさん
1980年って本当、つい最近のような気がしてしまいます。時の流れは早く、しっかり自分はおじさんになっています…
当時の東上線はなんとも垢抜けせず、成増を過ぎると風景は一変して武蔵野の郊外風景になっていました。
匿名さん
朝霞の構内がどんな感じだったのか私は忘れてしまいました。ご教授ありがとうございました。
東武線は本線系もそうでしたが列車型の構内を持っている駅が多かったような気がします。
すばらしいカステラ電車の画像を拝見させていただき、ありがとうございます。
9mmゲージではありますが、近々、彼らの模型を整備したいな、と考えております矢先でしたからたいへんうれしいです。もちろん当時は何度か乗りましたが、鉄休止期間ゆえ、真剣に見ているわけ78の後ろパン改造車はどれくらいあったのか、とか貫通4連の比率は73/78それぞれどんな感じで存在したのかなど知りたいこともたくさんあります。またぜひ教えてください!
イヌ7300さん
モハ7300のパンタの前・後ろは更新年度の差で、1959年更新の4両だけが前パン、1960年以降更新の車両は全て後ろパンで、前パンの方が全然少ないです。
私も鉄コレ73系をきちっと整備したい気分です。
朝霞台→朝霞は毎日7800系で帰宅していました。夕暮れの中、大きな1つ目のヘッドライトが近づいてくると何とも言えぬ安堵感がありました。
ちょうどこの写真を撮影された頃でしょうか、見慣れぬステンレスの車両に置き換わったのは。9000系ももう30歳ですか。いやはや、時が経つのは早いものです。
窓夜さん
>夕暮れの中、大きな1つ目のヘッドライトが近づいてくると何とも言えぬ安堵感がありました。
そうですね、この感じ良くわかります。
車内も今とは全く違った木質感に包まれた雰囲気にどこか安らぎを感じました。
おっしゃるように、ブログの写真の撮影時期は東上線にステンレスカーが初めて入った頃で、時代が変わりつつある時でした。
正確には大きな1つ目のヘッドライトではなく2つ目でした(遠くから見ると1つに見えますよね)。
朝霞に住んでいたので、静かな夜は上り坂をフルノッチで駆け上がっていく吊り掛けサウンドがよく響いていました。
いつの間にか東上線からカステラ電車がいなくなると吊り掛けサウンドに対する郷愁が強くなり、各地の旧性能電車を追うようになりました。
確かに前照灯は早い時期に二灯化されていました。
私の住んでいた場所でも、東上線からはそれなりに離れていましたが、冬の夜にはカステラ車の音が聞こえました。
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