古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2013年10月31日木曜日

松本電鉄・1986年秋

松本電鉄は長く日車標準型で全車両が揃えられていた時代がありました。
日車標準型はここ松本電鉄以外に岳南鉄道、新潟交通でも活躍をしていました。


モハ10形 86.11.24 渕東
晩秋の風景をゆく。

86.11.24 渕東ー波多

 86.11.24 渕東ー波多

長閑な里山風景を走る日車標準形電車。
この電車を撮っていた当時は半鋼製電車がまだあちこちに残っていたこともあって、素っ気ないと思ったものですが、今見るとそれも贅沢な話です。

2013年10月30日水曜日

総武流山電鉄 1980年

1980年は総武流山電鉄にとっては、一つの転換点にあたる年でした。
これまで小型、中型の古い電車で運行していたところに、西武鉄道から501系の3連が投入され始めたのです。車両の交代は既に十分そのタイミングを迎えていましたし、乗客も増えてきていたのです。

モハ1002 80.6.12 流山
流山に憩うモハ1002。
後ろには入線したばかりの西武501系が休んでおり、501系入線に合わせて後方の木造車庫が取り壊されて新しい車庫が新築中でした。

モハ1101 80.6.12 小金城趾ー幸谷

沿線にはまだ武蔵野の雰囲気を残すところがそこかしこに残っていました。
モハ1101は元京浜急行のデハ400系列。
西武の501系が入線するまでは当線ピカイチの存在でした。
西武所沢でお得意の更新工事を行って、入線しています。

クハ53 80.6.12 小金城趾ー幸谷

元京浜急行の相方は元青梅のクハ53。
昭和初期の電車らしいスタイルですが、元青梅の電車は全体に窓の横幅が広めで個性があるものが多かったです。

モハ1001 80.6.12 小金城趾ー幸谷

次にやってきたのは元西武のモハ1001。
先ほどの元青梅の電車とはどこかデザイン面では共通項がある電車です。

クハ52 80.6.12 幸谷ー馬橋

幸谷の馬橋側に移動しました。
後ろを走っているのは常磐線の103系です。
103系の後方上の高架線は武蔵野線とバイパスする貨物線で、この電車を撮っているときにEF15の貨物列車などが通り抜けてゆきました。
今、ここはどうなっているのでしょうか?
きっとJR線まで見通せないでしょう。

2013年10月29日火曜日

鉄道コレクション 能勢電鉄50・60型

鉄道の日で余りまくった能勢電鉄事業者限定50形・60形。
私的には一番興味があった商品でした。

幼稚園に上がる前に阪急電車から乗り換えて能勢電で妙見にピクニックに行った記憶があります。
その時乗った電車は短い小さな電車で、びっくりするような谷を橋で渡った記憶があります。
その電車はデロだったのかこの電車だったのか記憶にありません。
でも、たしかにこんな電車が併用軌道風の田舎道を走っておりました。


能勢電鉄50・60型
焦ることなく買えた能勢電鉄コレ。
古い電車はやっぱり不人気なのでしょうか?

不人気な様子

阪急・北大阪急行、そして阪神でさえ(その様子はこちら⇒山陽電車フェスティバル)と売り切れ・・・
でも・・・
こんな感じで能勢電だけは、残っていました・・・

可愛い電車

主な違いは車体についてはポールかビューゲルの違い、下回りは主に色がグレーか黒かのようです。

ポールバージョン

こんな感じで走っていたのでしょう。

ビューゲルバージョン

能勢電の50形・60形は在来車の下回りを利用して新製車体を載せた車体更新車で、利用した下回りの差が形式を分けているそうです。
例によってウィキペディア引用しますと・・・

『・・・70形を改造したものが50形、40形を改造したものが60形である。1953年(昭和28年)に50形50・51(種車:71・73)、1955年(昭和30年)に52および60形61・62(種車:72・40・41)の順で竣工した。車体の製造は、52のみ帝国車輛で行われ、それ以外の車体はナニワ工機製である。』

・・・ということで、両車は車体を見る限り同一のようです。
私の見たときには既に本線運用は阪急の中型車の5連で運用されており、単行電車の出番は無くなっていました。
川西能勢口の朝晩運用が唯一の仕事で、余った車両は休車もしくはだるまさん化していました。


51 80.3.16 川西能勢口
川西能勢口で昼寝中の51。
既に朝晩のみの運行となっていました。

61 80.3.16 山下

山下の車庫で見つけた60形61。
既に休車扱いに見えました。

60 80.3.16 平野

60形の60は既に現役引退、平野車庫でだるまさんになっていました。

32(左)、60(右) 80.3.16 平野

奥にはもっと古い30形も鎮座していました。

32 80.3.16 平野
こちらが32号。
この電車の経歴は良く知りませんが、大正時代の電車の鋼体化のようで、基本構造は50形と変わらないようです。

106 80.3.16 平野
類似の装備で元気だったのはこちらの貨物電車ぐらいでした。

106 80.3.16 平野

サイドビュー。

527 80.3.16 一の鳥居ー平野
本線を走る電車は既に全て5連の時代となって、こんなちっぽけな電車が単行でヨタヨタ走るような出番はとうに無くなっていました。

2013年10月28日月曜日

大井川鉄道 1990年秋

季節はもう秋本番。
紅葉が見頃になる季節です。
今やよっぽどのことがないと4両編成なんて走らない(と思われる)大井川鉄道の普通電車、1990年当時は、休日ともなればどれも増結され3両から5両編成で走っていました。
そんな秋の休日の大井川風景からあんまり秋っぽくない画像ばかりですが、いくつかスキャンしました(毎度ながら汽車はありません)。

モハ1105 90.11.18 青部ー崎平
岳南からやってきたステンレス車。
貴重なステンレス試作車、その後あっさり捨てられてしまいました。

モハ512 90.11.18 青部ー崎平
西武351系+名鉄3800系。
結構違和感なく繋がるものですね。

6010系+3800系 90.11.18 青部ー駿河徳山
大井川を見ながら千頭を目指す電車。
編成は北陸鉄道+旧型国電(西武371系)。
先頭のしらさぎ号は今は里帰りしています。

モハ511 90.11.18 田野倉ー駿河徳山
西武351系に二連が駿河路をゆきます。

モハ1906 90.11.18 駿河徳山

元小田急1900を先頭にした電車で当線普通列車では最長の5両編成、金谷行き。

モハ3829 90.11.18 駿河徳山
上記編成の乗降風景です。
山間の小さな駅でもそれなりに乗降がありました。

モハ1906 90.11.18 家山ー抜里
夕暮れ間近の笹間渡付近を行く上記と同じ編成。
この場所は道の駅になって全然雰囲気が変わってしまいました。


2013年10月27日日曜日

東急旧型車の本と模型で残した3450形電車

先日、こんな本が出ました。

東急3000系の本
東急の3000系列・旧形電車の本です。
自分の大好きなデハ3450をはじめ、どうしてこんな不細工にされちゃったのか可哀相なデハ3800・クハ3850までの各形式の晩年の姿を中心に編集した本となっています。
この本に私の写真もほんのちょっとだけ載ったので、タダで手に入れられました(買うと高いので・・・爆)!

本のご紹介に合わせて折角の機会なので、私が作ったデハ3450の大井町線5連のご紹介をしたいと思います。
その前にその説明用の実物写真もちょっと。


デハ3452 86.5.24 池上
こちらは少数派の日車の中でも唯一の前パンタの非貫通車です。
日車製のデハ3450は少数派ですが、車体全幅に付けられたアンチクライマーの存在も加わってどっしりしたデザインをしていて、軽快な印象のある川崎製の多数派とは一線を画していました。
最晩年迄活躍して懐かしいツートンカラーに塗られて天寿を全うしました。

デハ3493 86.5.24 池上
オーソドックスだった川崎製のグループ。
貫通幌を装備したこの顔は私にとっては一番痺れるスタイルです。


デハ3450 79.11.15 二子玉川ー上野毛
そして模型化をしたのはそのデハ3450形が5連で疾走していた頃の田園都市・大井町線の姿を再現しました(上の写真を含めた実物イメージはこちら⇒東急大井町線のデハ3450)。
3450形は結構配置替え・編成替えをしながら各線間を行き来していましたので、これなら田園都市線の4連や3連にして池上線にすることも可能ですので、いろいろと楽しめそうです。

大井町線の5両編成
ど~ん!!
大井町線~田園都市線を走った4M1Tの5連です。
流石にこれは『地鉄電車』化はしていない、スケールモデルです(笑)。


デハ3450、4態
左から日車製デハ3450、同デハ3459、川崎製デハ3497、同デハ3479、そして車体新造のクハ3773です。
時代設定は1970年代前半、車体にあのパンツマークが貼られる前の『T.K.K』時代です。
この5両で実際に編成を組んだかどうかはかなり怪しいのですが、車番の選定には自分の欲しい車両を作ることの方をウエイトを置きましたので、あまりそのあたりは気にしていません。

両運転台のデハ3450を中心に
こちらはデハ3450の向きを変えてのショット。
3450号は屋根改修前の初期車の特徴でもある予備パンタ台が残っている姿にしました。

以下、各車個別紹介です。

デハ3459とデハ3450
日車製デハ3450二両。
こちらはかなり以前に発売された篠原のキットを組んだものです。
車体と屋根が別々の構成のキットで、真鍮キットとしては珍しい構成でした。
古い製品ですが、内容的には大変凝った内容で今の製品と比較しても決して遜色がありません。
ただ、製品は日車製のみで終わってしまい、結局川崎の電車は出ませんでした。
私としては川崎の電車と組んで走らせたかったので、いつかはどこかで出るだろうと淡い期待をして、購入後延々と17年間も眠り続けてしまい、U-TRAINのキットが出るまで棚の肥やしとなっていました。
今回の製作にあたっては、キットを生かしつつも、細部の構成をU-TRAIN製の製品に合わせての改造や部品の差し替えをして、違和感の無いように気をつけました。

デハ3450 79.9.6 緑が丘

デハ3450は言わずと知れたトップナンバー。
屋根更新前、テールライトも骸骨テールの時代の最末期です。
パンタを5つ上げたパワフル編成が田園都市線の風景を走る姿は忘れられません。

デハ3459 79.10.9 御嶽山

デハ3459は日車の貫通顔で唯一風を切って走った車両です。
川崎製の軽快な印象の顔とはかなり違ったどっしりとした印象のお顔です。
乗務員扉上方のドアヘッダー位置が低く異端です。


デハ3497とデハ3478
川崎製デハ3450二両。
こちらは近年発売のU-TRAINのキットの組立です。
台車が3450形専用のものを作らないと様にならないことがネックだったためと思われるのですが、この電車はポピュラーな私鉄電車の割に過去なかなか製品が発売されなかったので、まさに『待ってました!』のキットでした。
問題のBLWタイプの台車もロストでバッチリ再現されています。
この2両は方向が違うので正面の装備品が違うのですが、それ以外にもパンタグラフ、テールライトほか細かい点が異なっています。

デハ3497 79.9.6 緑が丘

デハ3497。
3450形片運車のラストナンバーです。
写真の時代にはテールライトが埋込みに改造されていますが、屋根に過去にあったベンチレーターの跡が残っています。

デハ3478 79.10.9 御嶽山

デハ3478。
標準的な川崎製電車の姿です。

クハ3773
焼け電の車体載せ替えのクハ3770形。
シンプルで詰まらない・・・
と言ってしまえばそれまでですが、個人的にはスッキリしたデザインに幌の付いた顔が締まっていて好きな電車でした。
こちらはできれば篠原のキットから作りたかったのですが、なんぼ探しても入手はできず、板厚をはじめ全体にタッチが違うので躊躇していた谷川製のキットの組立です。
部品や表現はなるべく合わせる努力はしたものの、完成まで浮いてしまうのではないかと心配をしていましたが、結果的にはそんなに違和感なく仲間入り出来た感じで、ホッとしています。

クハ3773 79.7.3 目黒
田園都市線から目蒲線に移ったあとの姿で、幌撤去、客用扉の交換が行われてからの姿です。
このタイプは前照灯の位置や大きさに複数の種類が有り、これはその中でも飛び出して付いているタイプです。


川崎製の屋根上(左)と日車製の屋根上(右)
バラエティ豊かな屋根上。
良いですね。
来年にはU-TRAINから日車製電車をはじめとした追加リリースが発表されています。
また緑の電車が増えそうな予感です。

2013年10月26日土曜日

大井川鐵道の京阪電車

京阪3000系、第二の人生シリーズの2回目は大井川鐵道です。

先日の藤枝での軽便展示撤収(⇒こちらけ~べんノスタルジー終了)は3連休の最終日、折角の連休ですのでご近所の大井川鐡道に今回も訪問することにしました(前回はこちら⇒大井川鐵道つまみ食い)。

クハ3507 13.10.14 新金谷

電車好きChitetsuの訪問の目的は一般的な汽車ではなくて、やはり電車です(汽車が嫌いということでは、ありませんが)。
それも南海のズームカーの活躍+京阪特急が目的でした。
でも電車であっても正直、近鉄特急は興味対象外です。
・・・がっ。

モハ21004 13.10.14 新金谷

南海ズームカーは編成ばらされて二本ともアウト・・・。
嗚呼・・・・。
悲しいです。


モハ21002と21003 13.10.14 新金谷

こんな写真や。。。

モハ21002 13.10.14 新金谷

こんな写真が撮れたのも役に立つかも・・・
と負け惜しみです(でも、今更連結面撮っても既に模型は作った後ですので、資料としても役に立ちません・・・)。

FS-17A モハ21003
FS-17 モハ21002

因みにこの2編成、台車が異なっていることに初めて気付きました。

その上なんと、京阪特急は金谷⇔新金谷折り返し運用に入って、奥に来ません。
嗚呼、悲しい・・・。
これでは折角来た意味が限りなくゼロです。

家山の杉田屋旅館

ということで、地元の秋祭りをのんびりと見て(こちら⇒家山の秋祭り)、早々に予約していた家山の旅館に投宿して当日はのんびりと和風旅館を味わうこととして、根拠なく明朝の活躍に期待をすることにしました。
この旅館についてはこちらをどうぞ(⇒家山の杉田屋旅館)。

モハ3008 13.10.14 家山ー抜里
明朝の上り一番電車です。
期待通り、京阪特急がやって来ました。
写真奥に一部写っているのが今回宿泊した杉田屋旅館さんです。
徒歩50歩、実に安直な『朝練』です。

クハ3507 13.10.14 家山ー抜里
食事時間を折り返しの京阪特急に合わせて摂って、下り電車をまたもや安直に撮影。
この安直さ、好きです。

モハ3008 13.10.14 家山ー抜里
満腹になって、親切な女将さんにお礼を言って、ハイキングがてら抜里へのちょっとしたサミットを歩いて、有名なポイントで京阪特急を待ちます。
お茶畑と京阪特急。
不思議な組み合わせです。

モハ3008 13.10.14 家山ー抜里
近づいてきたところをもう一回。

クハ3507 13.10.14 家山ー抜里
振り向いて鳩のマーク側を撮って終了。


クハ3507、いぶき501、C11190 13.10.14 新金谷
新金谷でもこんなショットが撮れました。
いぶき501号、502号についてはいろいろな経緯があったようですね。
またなにかの機会にまとめたいと思います。