古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2013年9月30日月曜日

名鉄モ400、地鉄版で作る 8

名鉄モ400地鉄版、いよいよ佳境です。

試運転

全体のアッセンブル作業に入ります。
先ずは動力装置の調整ですが、何故かギヤが空回り、急遽別のパワトラを調達・整備しました。
整備後、下回りだけの試運転で連接部分の動作確認をして無事走行することを確認してひとまず安心。
その後車体を載せての再度試運転の様子です。

幌の製作その1
試運転も無事終了。
こうなると気になってくるのがパックリ空いた広幅貫通路をどうするかですが、面倒でも幌を作るしか解決策はありません。
ということで、面倒ながらも幌を作ります。

作り方は、先輩諸氏がなさった方法と同様で、私も過去に製作経験済みです。
・・・なのですが、幌を過去に作ったのは20代の頃のこと。
作り方、すっかり忘れていました。
備忘録を兼ねて、作り方を記録しました。
幌の素材は柔らかいペナペナな紙が柔軟に動くので適当です。
これを単純に言えばジグザグに折るだけです。
・・・但し、実際は思ったより寸法取りや動きを見ながらの検証が必要で、一発ではなかなかうまくいきません。
今回の幌も3回作り直しました。
先ずは、紙に折り目の筋を入れます。
これは並行・直角厳守、尚且つ寸法誤差厳禁です。
それは折りたたんでみると明白に解ります。

幌製作その2
折りたたんだ幌本体。
こんなので大丈夫か?
と思っちゃいますよね。

幌製作その3

車体幌受け台座と接着幌上部に折った紙を挿入します。

幌製作その4
出来上がり状態です。
全体をグレー塗装しました。

幌製作その5
片側の車体の幌枠に仮止めします。

幌製作その6
幌装着、完了です。
動かすと、実車の幌みたいにゆらゆらしながらしなやかに動きます。

ジャンパ線はこれで
連接車ならではの部分として、通常車両とは異なる位置でジャンパ線がつながっています。
車両の性格上その部分が目につくので、これも再現したいものです。
そこで、このプラグコードを使って再現することにしました。

ジャンパ線繋ぎ状況
先ずは、屋根上でのジャンパ線を繋ぎました。

エアーホース部分
空気側はエアーホース、電気側には補助回路のジャンパ線を繋ぎました。
これで、ほぼ全行程を終了しました。
あとは最終調整のみです。



2013年9月29日日曜日

叡電 市原から二ノ瀬 

1992年の連休最終日に叡電のデナを求めて鞍馬線を訪れました。
今回は市原から二ノ瀬の山に分け入ってゆく区間から鞍馬までの区間を訪問しました。


デナ21 92.5.5 市原ー二ノ瀬
春の陽を浴びてのんびりと走るデナ。


デオ605 92.5.5 市原ー二ノ瀬
デオ 600形もやってきました。
最初の頃は600形は鞍馬まで入線しませんでしたが、この頃はそういう区別は無くなっていました。


デナ21 92.5.5 市原ー二ノ瀬
デナを再び。
春の陽を浴びて快走してゆきました。

2013年9月28日土曜日

お知らせ~新刊本、『昭和の鉄道施設・東日本編』、発売になります!

お知らせです。

悲願の本、完成!


9月30日、拙著『昭和の鉄道施設・東日本編』が発売になります。
既に一部書店では発売になった模様です。
手元に出来たてホヤホヤの本が届きましたので宣伝します~。

内容は最初から最後までひたすら駅舎をはじめとした駅構内構造物とその駅周辺の各種建物を中心にしたストラクチャーばかりの写真集です。
この写真集を作ったきっかけは、簡単に言うとこの種の本が世の中に見当たらないなら、自分が作ろうと思ったからであります。
そして本を作るなら地面派モデラー向けに、現在まとまった資料が皆無と言って良い国鉄民営化前後の昭和の鉄道を取り巻くストラクチャーを概観出来る資料を提供したいと言うことにありました。

私自身、『地鉄電車』を創るにあたってネット検索なんて存在しなかった当時、その参考資料集めに大変苦労をしました。
その時に手元に置いて役に立つ資料の必要性を痛感しておりましたが、現実的には色々な記事に埋もれた何気無い情景写真をこまめにスクラップした資料以外は、自分の足で集めた写真やその時感じた臨場感が頼りでした。
その資料集めのための取材旅行がいつの間にか建物巡り自体を楽しむ自分の趣味の一分野と化すようになりました。
そしてその約30数年の蓄積がそれなりのボリュームになってゆきました。
今回の本はライフワーク的になってきたストラクチャー探訪の成果を纏めたものです。

本文部分はこんな雰囲気です


上記のような理由から、本書はモデラー目線をコンセプトにしていますので、例えば駅舎にしても格好の良い正面からの『絵になる』画像は勿論あるものの、あまり格好のよくないホーム面や側面等、できるだけ四方の様子がわかるように心がけて編集をしたのが特徴です(上の写真の感じです)。

駅舎をサンプルにした基礎データも掲載

また、建物を設計・製作するのにネックになる最低限の実物の基礎知識と製作するのに役に立ちそうな図面や各種寸法や傾向的な数値データも合わせて掲載をすることで、模型製作の一助になればという思いもあります(同じく上の写真のような絵入りでの解説をしてみました)。

この本、実は構想から約20年以上かかって実現に至りました。
実現までの道程は長かっただけに出版に漕ぎ着くことができたことは感無量です。
名取編集局長のご配慮で、内容は基本的になるべく削らない様に東日本と西日本の2冊に分冊にしようとの提案を受け、喜んでお願いを致しました。
今回はその前編・東日本編です。

過去の資料も抜粋


上記の話しと若干ダブりますが、モデラーの目から見た鉄道関連の施設・ストラクチャーの参考書といえば河田耕一氏の『シーナリーガイド』が何と言っても一番のバイブル本で、尚且つ空前絶後と言っても差し支えない状況です。
そしてその後に続くものは中々出ないままに現在に至ってしまっています(モデラーからの視点という点ではアプローチが若干違うもので次に参考になる本としては大正出版刊『鉄道風景懐古』があります)。
そのバイブル本『シーナリーガイド』もかなり前から入手不可能(改訂版のような存在の『鉄道風景30題』は入手できます)な状況になっています。
鉄道趣味の中でも余り顧みられないというか陽の当たらない分野なので致し方ないのかもしれません。

河田氏のガイドは蒸気機関車が元気だった1960年代までの鉄道風景を氏特有の文章と共に綴られており、読み物としても楽しめる内容となっていますが、その後の国鉄民営化前後を挟む1970年後半から2000年頃までの鉄道風景も急速に過去のものになりつつあります。
有名な駅舎は市民運動で保存が実現したり近年は産業遺産の認識が少しづつ芽生えてきたことで以前よりは古い建物類に対する意識は若干改善したものの、日本全国大半の懐かしい鉄道施設はそんなことを顧みられる事もなく、いつの間にかこの世から消え去ってしまっています。
特に、国鉄民営化後は合理化によって遊休化した建物に対する税金対策から、急速に不要なものは撤去される傾向が顕著になってきています。

そんな鉄道施設の記録を後世に残すことは鉄道システム全般の記録として陽の当たる車両等と同じレベルで大切なことではないかとChitetsuは思っております。
そこで、誰もやらないなら河田氏の著作の『その後版』を、不肖私がやりたいなと大胆にも思ったのが約20年前のことです。
そしてその想いを理解してもらえるのはきっとネコ社であろうと考え、スタッフに自分の気持ち伝えることから始めました。
そして写真や資料整理・ラフ原稿を作成するなどの作業を開始、実際にその一部が具体化したのは12年前の2001年に発売になった『地鉄電車慕情』でしたが、こちらの本は私の作った模型の世界が大半を占めるものでした。
本当はその時に私は地鉄本よりも今回上梓することができたストラクチャー本を出したかったものの、ネコ社スタッフからは売れ行きの懸念等から先ずは先行で地鉄本から発売をして様子を見るのがベターだろう、という経緯で了解していたのでありました。
ただ、地鉄本発売時点では既に原稿はあらかた書き終えていましたので、それからの諸事情で干支をひと回りしてしまった訳であります。

只見線・会津宮下

磐越東線・大越

津軽鉄道・金木

栗原電鉄・若柳


南部縦貫鉄道・坪川


内容が内容ですので万人向けではありませんし、本の値段も3,000円超と高いものになってしまっているのがなんともですが、息の長い書物になってくれればと期待をしております。
もし宜しければお手にとって眺めて頂ければ幸いです。

(ほぼ同内容の記事で写真違いバージョンを姉妹ブログにも掲載しました⇒こちら

2013年9月27日金曜日

名鉄モ400、地鉄版で作る 7

塗装編、第二回目です。
全体塗装後の細かいタッチアップ作業等を続けます。

屋根周りのタッチアップ

インレタ貼り付けに続いて、こちらは屋根周りの灰色のタッチアップ終了の図です。
灰色タッチアップにはポスカを愛用しています。

ウエザリング

一通りのタッチアップ作業後、ウェザリング作業に入ります。
ウェザリングにはハンブロール62番をメインに全体的にメリハリをつけながら吹き付ける感じでいつも行なっています。

床下ウエザリングひとまず終了

床下のウェザリング終了した様子です。
今回は少しキツめにしました。


屋根上機器装着終了
ウエザリング時にはパンタグラフは装着しません。
これは、一体でウエザリングすると、しつこくなりすぎるからです。
こちらはウエザリング終了後にパンタ装着・ライトレンズ装着後の画像です。

ここでもまた文句をひとこと。

今時ヘッドライトがパーツとして入っているのに、そのヘッドライトレンズが添付されていないなんて、有り得ません!

手持ちのレンズから合うのを探しましたが、すでに廃盤品パーツしか合いませんでした。

この廃盤パーツなかったら画竜点睛を欠くというものです。

レンズぐらい入れてくれ!

冷たいなあ〜(ブーブー)。


シートの塗装

シートは艶消しクリアーを吹いた後、腰板を塗り分けます。

天井板装着

内装工事に入ります。
こちらは天井板を貼り付けをした状況です。


吊り革の工作

吊り革はガソリンカー改造クハと同じです。
いよいよ完成が近づいてきました。

2013年9月26日木曜日

名鉄モ400、地鉄版で作る 6

ようやく塗装工程です。
まずは塗装の準備に入ります。

塗装準備中

各種塗装色に合わせて部品の塗装準備中の図。

プライマー塗装直前

これからプライマー、塗ります。

プライマー、塗りました

最近はプライマーにはいさみやの色付きプライマーを使っています。
隠ぺい力もありますし、下地の確認もできるので一挙両得です。
もう、プライマーはコレしか考えられなくなっています。

下回りは黒のプライマー

下周りにも同じくいさみやのプライマー・黒を使います。
プライマー塗るだけで、概ね下回り塗装終了に近いところまで行けるのも塗膜を薄くする面でも有利です。
これはいさみやさんらしいアイデア商品です。

車内ニス塗り塗装

車体の塗装、最初は車内にニス塗りカラーを塗ります。


マスキングして車体塗装

車内をマスキングの後、車体にグリーンを塗ります。
車体色は、悩みました。
地鉄標準色にするのが順当ですが、実車のイメージは個性的すぎて濃厚で何を塗ってもモ400にしか見えないと判断、『地鉄創業時塗装』の緑一色仕様にしました。
これなら名鉄モ400みたいなものです。
但し、こちらのグリーンは『名鉄グリーン』では無く、『地鉄グリーン=南海グリーン(濃い方)』です。

下回り塗装

車体が乾く間に下回りの塗装をします。
黒のプライマーでほぼ色が着いていますので、仕上げ吹き程度で終了です。

車体マスキング

車体をマスキングして、屋根の塗装です。
屋根の塗料もいさみや製『屋根色』が御用達です。

屋根塗装

屋根の塗装。
無難にこなします。

基本塗装完了

一先ず、基本塗装終了しました。

小物塗装

乾燥の間合いを使って小物も塗りました。

特製インレタ

次は楽しいインレタ貼り付け作業です。

2013年9月25日水曜日

拙い写真で回想・房総の電車~1975年

先日の辣腕Nゲージャーミーティングで拝見して卒倒しそうになった千葉局のNの73系電車の模型群(こちら⇒Nゲージ辣腕モデラー集会乱入の巻)を見ていて、厨房時代の房総の73系電車初訪問の思い出が甦ってきました。

当時通っていた中学では鉄道のクラブなどは存在せず(私の息子などはクラブの鉄三昧・・羨ましい限り)、たまたま話の合った友人を探すので精一杯でした。
そんな友人とどういう話をしたのか忘れてしまいましたが、1975年のゴールデンウイークの一日、千葉の電車を二人で見に行くことになりました。
本日はその時の思い出を超ヘタクソな写真で綴ってみたいと思います。


75.5.1 千葉
最初からこれかよ・・・レベルの写真でスミマセン。
メーデーの早朝、どうやって千葉まで行ったのか記憶にありませんが、最初のショットはこちらからです。
当時は結構あちらこちらで未だ見られたロクサン改造のクモハ73形です。

75.5.1 千葉
こちらは今は無きピカピカの新車時代の113系とのツーショット。
300番代のクハ79もまだ矍鑠としていました。
奥には黄色い101系も居ます。

クハ79314 75.5.1 千葉
発車待ちのクハ79314。
クハ79300番代の初期車です。
左手に同行の友人の姿が写っています。

サハ78510 75.5.1 千葉

どういう考えで写したのか分かりませんがこんなカットが残っています。
電装解除をしたサハ78510に続くのは近代化改造を受けたモハ72。
何故こっちをちゃんと撮っていないんでしょうか。

75.5.1 千葉
こりゃ、ひどい写真ですね。
でも、こんな電車も撮っていました。
この頃にして未だ非冷房のままの153系の急行『水郷』です。
それなりに今となっては貴重な写真であったりして。

75.5.1 千葉

・・・という感じで千葉駅での撮影は終了。
自分にとっては憧れのこの電車で外房に向かいます。
当時の千葉局の73系電車の行先表示はサボ受けは使わずに運転席内にこのように掲示されていました。
理由は、大阪からの電車が転入してきたことで彼の地の電車にはサボ受けが無かったからです。
でも何故成東行に乗ったのでしょうか?

キハ17191ほか 75.5.1 勝浦

行先から考えて当然に途中の大網で乗り換えたんでしょうが、全くそのあたりの記憶がありません。
そして厨房二人連れは勝浦で下車しました。
当時の勝浦には木原線(現・いすみ鉄道)の気動車基地がありました。
大原から出ている木原線の車庫が沿線に無いのも不思議です。
今もいすみ鉄道で走っている国鉄気動車の車体の所属区所表記が「千カウ」なのはこれに拘った訳です。
勝浦を訪れた目的も既に忘却の彼方ですが、このディーゼルカーを見たかったのかもしれません。
東京からディーゼルカーを見に行くとすれば千葉の2路線か八高・相模線ぐらいしか当時の日帰り旅行では思いつきませんでした。
写真に写っている車両のうち3両はキハ17系列ですね。
キハ30との凸凹編成も懐かしいです。

キハ17191 75.5.1 勝浦

こちらはこの日帰り旅行で唯一まともな写真、木原線のキハ17です。

 75.5.1 勝浦ー鵜原

そして、最後はナナサン電車の走行写真に挑戦です。
当時の厨房にはまだ走行写真についての基礎知識はなく、どうやって撮るのか手探り状態でした。
当時どうしても海と茶色い電車を組み合わせたかった見たいです。
駅から1キロ弱を歩いてなんとか勝浦湾を望む山に辿り着きました。
やって来たのはロクサン改造クモハ73を先頭にした73系6連。
写真を見る限り車内はガラガラです。

75.5.1 勝浦ー鵜原

ひとまずは拙いながらも目的は達成したようです。
この後の帰りの記憶はほとんど消失、唯一三段窓の電車の唸りとその中でウトウトしていたことだけが記憶に残っています。

以上、お恥ずかし画像で綴った房総の茶色い電車の日帰り旅行記でした。
誠にお粗末さまでした~。