古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2020年5月30日土曜日

無くなってしまった湯島の看板建築

先日ご案内しました看板建築を作るYoutubeのビデオ、おかげさまで多くの方に見ていただいているようで,感謝いたします。

ビデオの話はこちら
https://tsurikakedensha.blogspot.com/2020/05/blog-post_18.html

こちらは画像です。クリックしても動きません・・・・
ご覧になる場合は下記からアクセスしてください。
一応宣伝がてらリンクは下記になります。

前編(約5分です)

後編(約6分です・最初は広告が入ってます)


ここからが本題です。
そこで題材に使わせていただいたのは梅桜堂さんのストラクチャーキット。
看板建築シリーズ③です。
同じデザインをベースにして左端用、中間用、右端用の3種があります。
私は左端用と中間用を作りました。



仕上がりはこんな感じです。
さてこの建物、どこかで見たな?と思い調べてみたら、どうも千代田線の湯島駅前に存在する長屋がプロトタイプのようでした。
せっかくビデオを作ったのですから、現物を再確認に行ってみようと思いました。
幸い会社から歩ける距離なので、外出自粛中でもこのぐらいは許されるだろう・・・。
ということで昼休みに出かけてみることに。




これは、10年弱前に撮影したものです。
こののち、櫛の歯が抜けるようにお店が閉じていきました。
どうも嫌な予感がして、たまに生存確認をしていたのですが。。。



 
そして行ってみると。。。。
なんと、嫌な予感は当たりました。
どうもこの一か月ぐらいで壊されてしまったようです。
跡地は流行りのタイムズ。
こちらは上の写真と同じ位置です。




改めて以前の画像を見ますと、製作した中間タイプの建物はこのデザインがベースのようです。
これは数年前の撮影。
この時は既に5軒とも退去していたように見えます。




以前から5軒長屋と二軒長屋に分かれており、二軒長屋のほうだけは生き残っていました。
この手の建物は、気づくと無くなってしまうもの。
普段からこまめに記録することが大事ですね。




でも、考えてみれば、この建物の真下を走るこの電車よりは長生きしたわけですね。

2020年5月28日木曜日

古いメモ帳から。

先日、過去の編成記録を探すために久々に昔の撮影メモを引っ張り出しました。



デジカメ時代の今はGPSをONにしていれば、日時から場所まで記録され特定できますし、iPhoneなんかだと何もしなくても地図上で写真を検索できるので、記録をメモするという行為が無くなってしまい、ずいぶん怠慢になっています。
そんなもの無いアナログ時代はメモが必須でした。
現在思うのは、やはり活字で残したメモというのは大切で、過去の記録はすぐに検索できますが、デジカメになってからの記録の方が検索に難航します。
皮肉なものと思っています。

さて、そのメモ帳の話題です。




撮影メモ自体はさておき、こんなメモも取ってありました。
構内に居た電車の位置をメモしています。
左上と右上:伊那松島
左下:横川
右下:北松本
メモの意図が今となっては思い出せません。
構内配線図でもないので、写真撮れなかった車輌もメモでせめて残したかったのだと思います。




その時の画像から一枚。
でも、構内全景を撮るなんていう気の利いたことはしていません。
せいぜいがこの程度です。




これは富士電車区のメモです。
下には実車の実測寸法も。




これは八王子で観察したキハ35の床下。
これをベースに模型を作りました。





こちらは長野駅で撮影した時のメモです。
70系と80系がどんどんやってきました。
汚いメモです。。。。
でも、編成記録は今となっては貴重なので、ここにお目に掛けます。




配給電車と荷物電車の運転時刻。
これを見ながらあちらこちらでぶどう色の電車がやって来るのを待ったものです。
配給電車は平日のみの運用ですので、放課後に戻って来るのを撮るのがメインでした。
改めてみると懐かしいです。




こんな別冊も作って、どの車輌を撮ったかをチェックしながら撮影していました。
撮影した車輌には横線を入れてつぶしていました。
このメモは車番だけの時代のものですが、さらにメモはグレードアップして、電気側・空気側の撮影有無がわかるメモに進化しています。
今なら行くたびに撮影していたかどうかなんて関係なくデジカメでバシャバシャしそうですが、当時はフィルム。
学生が買える本数が限りがあり、一コマ一コマが貴重でした。

本来の目的のメモ検索よりも、それ以外の部分で懐かしく結構じっくり見返しました。

2020年5月26日火曜日

井笠バスで新山へ。

井笠鉄道の面影を求める旅、新山の保存館を目指します。

02.9.20 笠岡

鉄道線時代の路線を継承する井笠バス。
乗車したバスはおそらくこのバスだったはずですが、違うかも。
矢掛ゆきです。
田舎臭い好ましいカラーリングでしたが、ショッキングなことに会社自体がすでに廃業してしまいました。

02.9.20 新山

バスは鉄道時代のコースをなるべくトレースするように走っているようでしたが、新山ではこの駅前ではなく、集落の方にバス停があってかなり離れていました。
ちょっと迷いながら到着しました。
駅前の道路はきれいで、恐らく近年整備されたのでしょう。

02.9.20 新山

駅舎です。
鉄道時代のままの雰囲気です。



1号機関車。
前照灯が大きすぎるのが玉にきず。




ホハ1。
1913年、日車製です。



ホワフ1。
1914年、同じく日車製です。

02.9.20 鬮場

帰りがけは鬮場でバスを下車。
廃線跡を歩きながら笠岡に戻ります。




 廃線跡と街並み散策を楽しみながら笠岡に戻りました。


2020年5月24日日曜日

笠岡に井笠鉄道の遺構を見にゆく。

ずいぶん前のことですが、福山に所用があった折の帰りがけに井笠鉄道の遺構を見ることにしました。


02.9.20 笠岡(以下同じ)

笠岡駅構内です。
画面左側の保線車両と車が止まっているあたりが井笠鉄道の笠岡駅跡です。



駅の周りも散策しました。
駅前のアーケード街が堪らなく昭和でした。





貨物列車の背後には漆喰つくりの建物が並びます。
笠岡は歴史のある街なのですね。



ローカル電車の主力は115系。




目的の気動車・ホジ9は以前訪問時よりも奇麗に整備されていましたが、それでもかなり荒廃はしています。



その気動車の脇には渡し船の事務所が。
どことなく信号場を感じさせる味わいのある建物でした。




なんとなく海べりを感じさせる洋風建物。



直ぐ脇には山陽本線の線路。
具体的にどこだ、とは言えないのですが~ちょっとしたところにどこか瀬戸内の風情を感じます。




いろいろ見ていたら日が傾きかけました。
一本電車を撮って本日の宿に向かうことにしました。
そこでやって来たのは意外にも103系の播州赤穂ゆき。



来た車輌も行先も意外な出会いで、印象に残りました。



2020年5月22日金曜日

吉良吉田 1983年と2003年。

1983年と2003年の三河線の旅で立ち寄った吉良吉田駅の風景を今昔対比します。


83.3.1 吉良吉田

まずは1983年、電車で到着した吉良吉田駅です。


83.3.1 吉良吉田

折り返しは1983年当時は碧南までの海線末端区間の折り返しのみではなく知立まで行っていたのですね。
ちょうどサボを入れ替えていました。





蒲郡線のホームは大きくカーブしています。

92.1.15 吉良吉田

反対側から見るとこんな感じ。
奥が蒲郡方向です。
ホーム上屋は申し訳程度しかありません。

83.3.1 吉良吉田

1983年に見た蒲郡ゆき電車。

03.12.22 吉良吉田

同じ場所の2003年です。
電車と背後の看板以外はほぼ変わらないようでした。




三河線のホーム。




三河線の線路が蒲郡線と集束する部分です。
折しも蒲郡線電車がやってきました。

92.1.15 吉良吉田
こちらは1992年の吉良吉田駅。
偶然約10年に一度立ち寄っていたようです。

03.3.22 吉良吉田

双方の線路に挟まれたような場所に駅舎は建っていました。

2020年5月20日水曜日

知立から碧南経由吉良吉田へ 2003年の旅。

三河線の旅、山線の次は海線です。
三河線は知立を境に完全に分断されています。
そこでひとまずは知立に戻ります。

03.12.22 知立

知立では復刻塗装になった5500系電車に運よく会えました。
この塗装は現役時代に見ておりませんので新鮮です。

03.12.22 知立

知立からはたぶんこの電車で碧南に行ったのだったと思います。




知立駅はホーム上屋が独特で、他では見たことのないものでした。
これも電車と合わせてしっかり見ておきたかったものでした。
この後、このホームも改修されたと聞きます。

03.12.22 碧南

20年ぶりの碧南駅です。
駅入り口の上部によくわからない装飾がついています。

03.12.22 碧南

碧南からはディーゼルカー・キハ32がお出迎え。

92.1.15 三河旭ー中畑

ここで、ちょっとタイムスリップします。
こちらは1992年の海線です。


92.1.15 三河旭ー中畑

海線きっての名所、矢作川を渡る鉄橋です。
走る車輌は初代LEカーです。

92.1.15 三河旭ー中畑

二軸車独特のジョイント音を響かせながら走り去りました。
10年前にはここをモ809でそし、そして今回はキハ32で渡ります。


03.12.22 吉良吉田

ということで、電車時代の記憶が戻らぬままに吉良吉田駅に着きました。
山線区間は電車時代の設備も撤去されて完全に非電化線になっていましたが、吉良吉田駅構内のほうは電車時代の設備も一見そのままで、いつでも電車が走れそうな感じです。



03.12.22 吉良吉田

でも、構内を外れるあたりからは架線はすぐになくなってしまいます。
吉良吉田駅からちょっと歩いたところで、折り返しの碧南ゆきを見送ります。

03.12.22 吉良吉田

三河線海線はこれが見納めとなりました、