古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2014年8月31日日曜日

野上電車の夏

猛暑と豪雨に悩まされた8月も今日で終わり。
夏休みも最後の日ですね・・・・。

野上電鉄初訪問は1981年の8月31日でした。

残暑厳しい夏休み最後の日。
でも、大学生にはまだまだ夏休み中盤戦。
沿線で野上電車を堪能しました。

モハ24 81.8.31 紀伊野上ー動木

既に空から入道雲が消えて秋の空になりつつありました。
右手に貴志川を望む土手の上を、電車は開けられる窓を全て開けてゆさゆさとやって来ました。

モハ24 81.8.31 紀伊野上ー動木

河原に降りて涼を取りながらのんびりと電車を待ちます。
鉄橋の奥には懐かしい蔵もある、なかなか絵になる場所でした。

モハ27 81.8.31 紀伊野上ー動木

晩年の昼間の電車は富山地鉄のお下がりに独占されてしまっていましたが、この時はまだ阪神・阪急のお下がりの天下でした。

モハ24 81.8.31 紀伊野上ー動木

乗務員扉も開け放って電車はやって来ました。
手動扉だったら客扉さえ開けかねない鉄道でした。

モハ24 81.8.31 紀伊野上ー動木

貴志川に沿って走る区間は、沿線では一番風光明媚なところでした。
モハ24が駆け抜けます。

モハ23 81.8.31 紀伊野上

紀伊野上も良い駅でした。
こちらのモハ23は貴重な阪急電車の生き残りです。


モハ24 81.8.31 沖野々ー野上中

貴志川の河原では夏休み最後の日の水遊びをする子供たちがいっぱい遊んでいました。

モハ23 81.8.31 北山ー野上中

思い出に残る夏の一日でした。

2014年8月30日土曜日

西武多摩川線 武蔵境 赤電の頃

西武多摩川線が接続する中央線の武蔵境駅、高架化する前はどことなく武蔵野らしさが残っていて好きな駅でした。
三鷹までが高架複々線化されているものの、三鷹電車区を越えて一つ先の武蔵境は急に一昔前の風景が残っているという落差が面白く思えました。

89.9.23 武蔵境

どこか東京の郊外の雰囲気をまだ残していた頃の武蔵境駅前風景です。


西武多摩川線の電車。
他の西武の路線から孤立した多摩川線はいつの時代も近代化から取り残された存在でした。
そんな多摩川線の武蔵境駅での写真が本日のお題です。

クモハ369 79.1.23 武蔵境

クモハ369。
こんな編成がのんびり往復していたんですね。
今となっては不思議な感じです。

クハ1430 79.1.23 武蔵境

反対側のクハ1430。
クハ1411形には電気連結器が残っておりました。
故に4両編成になると編成中間に入ってしまいます。
おそらく、半室運転台であったことが理由だと思います。
クモハ503 79.1.23 武蔵境

501系も一本入線していました。

クモハ369 80.1.7 武蔵境

武蔵境駅に停車中のクモハ369。
背景左側には何も遮るような建物はありませんでした。

クモハ368 80.1.7 武蔵境

編成反対側のクモハ368。
冬の日差しを浴びた電車の風景はどこかのんびりした雰囲気でした。


クモハ100-801(左)、クモハ452(右)
 79.12.28 武蔵境

似たようなスタイルの電車の顔合わせ。

クモハ451 79.12.22 武蔵境

こちらは武蔵境に進入するクモハ451。
ホームの高尾方は長閑な風景でした。
右手には中央線普通列車のクモニ83が迫ってきています。

クモニ83814 79.12.22 武蔵境

右に振り向いて山スカの先頭に立つクモニ83をパチリ。
こんなことができるのも武蔵境のいいところでした。

 89.9.23 武蔵境

上の写真から10年後。
電車は赤電から401系に変わっていました。
でも、周辺の雰囲気は変わりません。

2014年8月29日金曜日

名鉄岐阜市内線 千手堂あたり

今は無き名鉄岐阜市内線、千手堂付近を散策した時の画像です。

モ513 94.7.14 千手堂

揖斐線直通の黒野ゆきの丸窓電車が岐阜駅前からやって来ました。
ちょうど信号で停車、ここから右折します。

モ513 94.7.14 千手堂

右折シーンを連続写真でどうぞ。

信号が変わり、ゆっくりと右折開始。

モ550(左)、モ513(右) 94.7.14 千手堂

市内線専用のモ550とタイミング良くすれ違いました。
モ550は北陸鉄道からやって来た細身のボギー電車です。

モ513 94.7.14 千手堂

ググッと直角に曲がります。
鉄道線型のボギー車2連が交差点を曲がるシーンは中々の迫力です。

モ512 94.7.14 千手堂

曲がりきって振り向いたところです。
後は忠節橋まで直線コース。
スピードを上げて黒野に向かいます。

モ551 94.7.14 西野町

市内線モ550の活躍風景は思ったよりも記録していませんでした。
この時に撮った西野町あたりの走行シーンです。

モ556 94.7.14 西野町

モ550が後方のバスよりも細身なのがわかります。

 94.7.14 西野町

こんな懐かしいボンネットトラックもやって来ました。

2014年8月28日木曜日

京成電車、真夏の荒川駅あたり

京成電車押上線の荒川を渡る四ツ木から荒川の区間は、都心直通の幹線的存在なのにどこかローカルな雰囲気が漂っていました。
本日は真夏の真昼間の暑い日に所用で四つ木に行った帰り、その両駅の間をカメラ片手にうろついた記録のご紹介です。

93.7.27 四ツ木

こちらは四ツ木駅の風景です。
誰もが汗をかいて暑そうな光景です。

デハ1207 93.7.27 四ツ木

やって来た電車は京急電車。
方向幕からはみ出してしまいそうな『千葉ニュータウン中央』ゆき、懐かしいですね。

93.7.27 荒川

こちらは荒川対岸の『荒川』駅です。
現在は橋梁改修・高架化されて駅名も駅の場所も変わってしまいました。
なんとも長閑。
気の抜けたような駅風景です。

93.7.27 荒川

荒川駅は当時の押上線で一番乗降客数の少ない駅でした。
開業当初から長い間『荒川』という駅名を名乗っていました。
駅名の由来は単純に荒川の土手上に位置していたことだそうです。
しかしながら、墨田区にあるのに『荒川』という駅名は荒川区と紛らわしいという理由から、地元の請願により、『八広』という駅名に1994年に改められました。
「八広」という町名は、住居表示実施に伴い従来の8地区が合併して新たな町域が成立した際に、縁起の良い「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名されたもの、だそうです。


デハ1340 93.7.27 荒川

こちらが荒川駅の構内です。
構内踏切も健在で、構内踏切のすぐ横が公道ですので、ワルサしようと思えばできそうな構造になっています。
背後では既に高架化工事が始まっていました。

デハ1143 93.7.27 荒川ー四ツ木

上の写真の場所で振り向くとこんな感じで電車が写せました。
まさに荒川を発車した特急崩れの青砥行き。

デハ1337 93.7.27 荒川ー四ツ木

こちらは集中冷房のデハ1000形。
行先も未だ『羽田』ゆきです。
まだ空港まで乗り入れていなかった時代ですね。
この鉄橋は水面からも近く、鉄橋脇の柵も工事現場みたいなお粗末なものでした。

こちらの鉄橋には1991年タンカーが衝突し、上下線ともレールが折損するほどの事故が発生しています。
この時は四ツ木から荒川駅間が数日間にわたって運休になり、両駅でそれぞれ折り返し運転となるという事態が発生しました。
この事故を契機に、以前から協定・調査段階であった荒川橋梁掛け替えおよび四ツ木駅 - 当駅の高架化が最終決定され、工事が開始されることとなったそうです。

93.7.27 荒川ー四ツ木

京急デハ1000形とは似たような構造なのに魅力的でない京成電車は気合なく、この1枚しか撮っていません。
形式もわかりませんし、編成のお尻も切れちゃってます~。

93.7.27 荒川ー四ツ木

こちらの都営車の方が好きでした。
でも非冷房で暑い電車でした。
この写真見ても殆んど空っぽ。
みんな暑い電車を避けたのでしょうか?

93.7.27 荒川ー四ツ木

この区間、私的にはどこか阪神北大阪線とダブってしまいます。
20年ぐらい前の暑い夏の一日のお話でした。


2014年8月26日火曜日

配給電車の工作 (クモル24 実物編)

配給電車の工作時に参考資料でスキャンした画像を整理しました。
前回同様メモ帳代わりレベルですが、何かの役に立つ知れませんのでアップします。

その二回目はクモル24020です。
旧31系改造のクモル24は少数派で全部で3両、東京には1両のみの配置でした。
他の番代のクモル24は例えばこちら(⇒中野電車区で見た配給電車)。

クモル24020 79.9.4 恵比寿

この屋根上が分かる画像は撮った記憶が完全に消え去っており、屋根の配管を悩みながら工作した後に発見しました。
結果は自分の想像で作った配管とは異なっていましたが後の祭り。
今更直せない段階に来ていたので、知らなかった事にしました。
これから作る方は、こちらをご覧下さい。

クモル24020 79.4.13 新宿

電気側です。

クモル24020 80.12.16 大崎

こちらは空気側です。

クモル24020 80.12.16 大崎

このように切り取ると旅客電車時代と変わりませんね。

クモル24020 80.12.16 大崎

大崎を後にして帰らぬ旅路につくクモル24。

2014年8月25日月曜日

配給電車の工作 (クモニ13 実物編)

配給電車の工作時に参考資料でスキャンした画像を整理しました。
メモ帳代わりレベルですが、何かの役に立つ知れませんのでアップします。

完成画像はこちら(⇒配給電車の工作・完成編)。
最初から見ちゃおうという殊勝な方はこちら(⇒配給電車の工作・その1)。


一回目はクモニ13形です。

クモニ13016 79.4.18 三鷹電車区

三鷹電車区で昼休み中のクモニ13016。
他のクモニ13より前照灯が低い位置についています。

クモニ13002 78.6.3 三鷹電車区

こちらはクモニ13002。
扉の形状や通風器の有無など細かいところに各車特徴がありました。

クモニ13 78.4.15 東中野ー中野

東中野の桜の下をゆくクモニ13。
快速線を飛ばして来ました。
恐らく13002と思われます。

クモニ13002 80.2.26 駒込

配給電車で運用されているクモニ13002。
でも、表示は『荷物電車』。

クモニ13002 80.2.26 駒込

上のカットを撮影後、運良く信号停車。
追いかけて撮影しました。

クモニ13002 80.2.26 駒込

屋根周りもバッチリ。

クモニ13002 80.2.26 駒込

パンタまわり。

クモニ13005 79.9.3 秋葉原

今回のプロトタイプに選んだクモニ13005。
正面に通風器が付いています。


クモニ13005 79.7.7 秋葉原

こちらは空気側。


クモニ13006 79.4.18 目白ー池袋

こちらは常磐無線のないクモニ13006。

クモニ13030 78.6.12 荻窪ー西荻窪

鋼体化改造のクモニ13は東京地区には030と033の2両のみの配置でした。
その上、私が知る限り荷物電車には運用されたケースは見たことがなく、配給電車ほぼ専用でなかったかと思います。

この13030号は他の車両と異なる部分が目に見えるところで2つ存在します。
① ジャンパ栓受けが古い箱型の木箱がついていること⇒私は現役国電ではこれしか見たことがありません。
② パンタ母線が木製のカバーで覆われている⇒これは数例だけ見ているだけです。
この車両についての記事はヒナさんのこちらの記事が大変参考になります(こちら⇒ナナサン顔の荷電を作る)。


また、こちらのサイトにも昔の姿が掲載されています(⇒こちら)。


クモニ13030 79.4.6 大塚

逆光でどうにもならない画像ですが、13030号車のパンタ側画像はあまり検索しても出てきませんので参考までにご笑覧ください。
因みに常磐無線の位置が他の車よりも離れて配置されており、ベンチレーターが間に3個あるのもイレギュラーでしょう。

クモニ13033 79.4.12 大塚

こちらはクモニ13033号。
こちらのほうが普通の姿です。
常磐無線の位置もこちらが自然な位置です。

クモニ13033 78.12.8 原宿

今や懐かしの103系を追い抜くクモニ13。