古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2012年7月31日火曜日

夏休み、親子旅(3) 高松琴平電鉄

松山を後に向かうは琴平、 旅館は琴参閣です。
ご存知の方はピンと来るかと思いますが、 戦前金比羅さんを目指してお客さんを取り合った三つの私鉄の一つ、琴平参宮電鉄が廃止されたあとの琴平駅跡地に建つ昔日の「コトサン」の血を引いた旅館です。

旅館の部屋からは琴電琴平の駅が一望でき、 カルダン車ながら大好きな元京急のデハ1000 形が出入りしているのが手に取るように見えます。
夜は子供のようにウキウキして寝付けぬままに、翌朝蝉の鳴き声で目を覚ましました。
琴平からはロケハンがてら仏生山を目指します。

500 10.7.31 太田
先ずは高松築港に回送される電車を待ち受けます。
太田という駅でジュースを飲んで日陰で電車がやって来るのを待ちました。
久しぶりに見る昭和一桁オールM三連の勇姿です。

回送電車を首尾良く撮影後、いよいよ本番撮影地に向かいます。
琴平ゆきの電車を30年前に撮った円座と一宮の間にある鉄橋で待ちました。

1090 10.7.31 円座ー一宮
本命通過前には京急デハ1000やデハ700がやってきました。
こちらも好きな電車なので、退屈はしません。

23+120+500 10.7.31 円座ー一宮
23+120+500 10.7.31 円座ー一宮
そしていよいよ本番、30年前に撮った鉄橋で、親子並んで30 年前に撮った電車の今を撮りました。親の立場になって親子で電車を撮るという、このようなシーンを体験するのはそれなりに感無量でありました。

810+820 81.3.9 円座ー一宮
こちらはその、30年前に訪問した時に撮った写真です。
同じ場所で撮ったつもりでしたが、ちょっとアングルが違っていました。
まあ、いっか。

デカ1 10.7.31 仏生山

目的の電車が琴平から再び戻ってくるまでの間を利用して仏生山の車庫を訪れました。
運良く、例の電動貨車が目の前でパンタを上げて構内入れ換えを始めました。
動く姿は初めてお目に掛かれました。

500 10.7.31 羽間ー岡田
炎天下の中待つことしばし・・・と言いたいところですが、実際はかなりバテた頃に目的の電車は戻ってきました。
23 10.7.31 羽間ー岡田

羽間の駅付近の築堤を通過したところをバックショットで狙います。
これにて今回の親子旅のメニューは無事終了、この後、栗林公園で折り返しの回送電車を見た後、四国を後にしました。
息子のリクエストのN700系で一路東京を目指します。
10.7.31 岡山
帰りの新幹線はぐったり。二人ともぐっすり寝てしまいました。
琴電にしても伊予鉄道にしても遠隔地であり、そうそう行けるわけではありません。
その上親子での旅となると更にこのような機会を作る事が難しいと思われます。
こんなふうに親子並んで電車を撮るというチャンスはそんなにまた巡って来る保証は有りませんので、貴重な夏の思い出になったのではないかと思います。

以上、我が家の夏休み報告でした。


2012年7月30日月曜日

夏休み、親子旅(2) 伊予鉄道


夏休み親子旅、前回からの続きです。
高浜からは元京王5000系で松山市へ。久しぶりの京王電車でした。
そして松山市から道後温泉にはやはり路面電車のお世話になって定番、道後温泉泊です。

道後温泉本館 10.7.30 道後温泉
その晩はお決まりの道後温泉を満喫後、翌朝は早起きをして名物の道後温泉の朝の開湯の儀式を見学、駅まで散歩をしました。
10.7.30 道後温泉
早朝の駅舎。
以前訪問時の洋風の駅舎は建て替えられていたものの、昔の駅舎のデザインは忠実に再現するように改築をされたようです。
2002(左)、74(右) 10.7.30 道後温泉
駅を覗いてみました。ちょうど電車が発車を待っていました。
早朝の温泉街散策は気持ちの良いものです。

食事後は30年振りの伊予鉄訪問をしました。
郊外電車も路面電車もどちらの運転手さんも若い人が多く、私が乗った時に見た限り皆さん礼儀正しく親切で見ていて気持ちが良かったです。一生懸命頑張ろうとする企業姿勢を感じました。
新しい軽快電車が進出しているものの、概ね30 年前と同じ車輌達が色も変わらずに活躍していたのも驚きでありました。
69 10.7.30 県庁前ー市役所前

55(左)、53(右) 10.7.30 県庁前ー市役所前
松山城を見上げる大街道辺りで色々な路面電車を待ちます。
古い50形も主力電車の一角をしっかり守っていました。


57 10.7.30 県庁前
洋風のクラッシックな愛媛県庁をバックに走る。
50型には窓が二段サッシュのものとバス窓のものがあります。

D1 10.7.30 県庁前ー市役所前
坊っちゃん列車もやって来ました。
この姿、運転台内を覗かない限り、ディーゼル機関車とは思えない出来で、感心しきりでした。

53 10.7.30 木屋町
渋い50形車内 10.7.30
最後は専用軌道の区間で真夏の陽射しを避けながら電車が来るのを待ちました。
やって来たのは最古参、50形です。
車内は懐かしいニス塗り、油をひいた木の床です。
よく手入れされていて、古いながらも綺麗な車内で、尚且つ冷房完備ですからご機嫌です。
途中の電停で、前の踏切を歩いていたおじいさんが転んでしまうというアクシデントが発生、運転手さんが急いで介抱に走ったり、乗ってくるお客さんがジュースをお疲れさん、と言いながら運転手さんに渡して、それを笑顔で受け取ったりと、鉄道と地域の距離が近く、地方都市の良さを一杯感じてすがすがしい気分を味わいながらのショートトリップになりました。

松前駅舎 10.7.30 

鉄道線では歴史を感じさせる駅舎が残る二つの駅を訪問しました。
一つ目は松前(まさき)駅です。
立派な車寄せを持つ海に近いところにある歴史的駅舎です。

横河原駅舎 10.7.30

もう一つは横河原線の終点、横河原駅です。
どこか汽車時代の雰囲気を残す駅舎だけを見ると、しょっちゅう電車がやって来るような雰囲気は感じられないローカルムード一杯です。
横河原駅舎 10.7.30

かなりな年季の入っている駅舎をゆっくりと拝見しました。

767 10.7.30 横河原
元京王5000系がやって来ました。
この電車で松山市へ、そして路面電車で松山駅前に移動、
次はいよいよ高松琴平電鉄を目指します。

2012年7月29日日曜日

夏休み、親子旅(1) 広島電鉄など

一昨年の夏、勤続25 周年表彰で旅行券を貰ったのを活用して、幸か不幸か親の血を引いた鉄道好きな息子と夏休みの親子旅を計画しました。
私の目的地は動態保存されている琴電の電車が月一回運転されるのを見ることにありました。スケジュールは全てをこの運転日に合わせて、 あとは息子のリクエストもちょっとは反映して前後を組み立てました。
息子のリクエストは「寝台特急、500系とN700系新幹線、マリンライナーで瀬戸大橋を越える」等ということで、帰りは高松から飛行機で一気にと思ったらN700系新幹線の方が飛行機より乗りたいと言われましたしたので、最終的に決定したコースは、サンライズ瀬戸で岡山まで、そこから500系新幹線に乗り継ぎ伝統的建造物群保存地区の竹原を見学後、呉線に乗って広島へ、そして原爆ドームと広島電鉄を見学、路面電車で宇品からフェリーで四国は松山に渡って道後温泉泊。
翌日は伊予鉄を鉄軌道双方を満喫後琴平泊。
三日目に目的の琴電琴平線を走る電車にご対面後、瀬戸大橋を渡って岡山からN700 系で一気に帰宅と言う電車てんこ盛りの旅となりました。

というわけで、まずは初日です。

サンライズ出雲分割 10.7.29 岡山

まずは息子の一番目のリクエスト「寝台特急」です。
ブルトレ無き東海道・山陽筋、寝台特急の選択肢はサンライズしかありません。
二人個室を予約し、息子はご満悦、京都まで殆んど寝ていなかったみたいです。
岡山でのサンライズ瀬戸と出雲の分割風景を見ました。
同じような目的の親子が他にもいるのですね~。
分割作業には人だかりができていました。

 10.7.29 竹原



新幹線で三原まで500系の旅で息子を満足させてから、親の満足モードにチャンネル切り替えです。

呉線で前から行ってみたかった竹原の伝統的建造物群保存地区の見学をしました。
竹原の写真といえば、ここ。見てみたかった風景、イメージを裏切られることはありませんでした。
次は泊まってみたいなあ・・・と感じさせる街でした。

竹原からは呉経由で広島・・・の予定でしたが前日までの雨で土砂崩れを起こして不通になっており、やむを得ず三原に戻って期せずしてセノハチ越えで広島に入りました。
瀬野は当然ながら往時の機関庫もトラ塗りの茶色い機関車も居らず、ただの駅状態になっていました。知ってはいたものの、一抹の寂しさを感じました。

というわけで広島電鉄の路面電車です。
1912(左)、1909(右) 10.7.29 原爆ドーム前
1909 10.7.29 原爆ドーム前
911 10.7.29 原爆ドーム前
広島駅前で頻発する路面電車を見物後、 原爆ドームを見学。
息子にも過去の歴史の勉強をちょっとさせました。
 すぐ脇の電停で何本か電車を撮りました。ロケーションシステムで連節車か単車か案内してくれました。
グリーンムーバなどの活躍の合間にやって来る京都と大阪の電車、懐かしい姿を見れました。

3004A 10.7.29 宇品
フェリーに乗る時間が迫ってきました。宇品へ移動です。
宇品は改良工事を受けて、電停はフェリーターミナルの目の前でフェリーとの接続は良好でした。

10.7.29 松山観光港
フェリーで松山まではおおよそ一時間。
穏やかな瀬戸内の船の旅を楽しみます。

船の中を息子と右往左往しているうちに松山港に到着しました。
ここから直接道後温泉ゆきのバスも出てはいますが、やはりここは電車で行きたい・・・。
そこで連絡バスで高浜に行き、そこからは元京王5000系で松山市へ。そして松山市から道後温泉にはやはり路面電車のお世話になることにします。

10.7.29 高浜
高浜の駅舎が夏の夕陽を浴びていました。
歴史のある伊予鉄道らしい駅舎です。
近くにあった三津の駅舎は残念ながら取り壊されました。

モハ726 10.7.29 高浜 
連絡バスで高浜まではすぐに到着します。
駅の外れには懐かしい京王電車が一両ぽつんと出番を待って夕陽を浴びながら未だ昼寝中でした。
左の線路、良く見ると線路のど真ん中に電柱が立っている上に手前の線路はぐにゃり曲がっています。
それはさておき、元京王電車で市内に向かいました。

2012年7月28日土曜日

電車庫モジュールの製作(12)

地面と電車庫が概ね出来てきたので、周辺に並ぶ建物のほうの製作を進めます。

周辺建物は取り敢えず場所取りのために四方の壁を立ち上げただけの状態までしか作っていませんでしたので、屋根をまずは被せたいと思います。
一般の商店建物に先行して鉄道関係の詰所等に屋根を被せます。

屋根板ベース部分の製作

ひとまず屋根板ベース部分を切り出して被せます。
こんな感じです。

屋根仕上げ板製作
引き続きトタンや屋根瓦を取り付けますと、ぐっと実感的になってきます。

商店関係の屋根製作中

一般の商店関係についても屋根を被せます。
B級建築の集合体なので、屋根回りも安普請にしました。

一杯飲み屋の看板製作
角の一杯飲み屋は看板がキモになりそうですので、デザインをあれこれ考えてみましたが・・・
PCで適当にフォントをいじりながら製作。
まあ、こんなものかという感じのデザインに収まりました。

一杯飲み屋と小料理屋、看板取り付け
まだまだ調整が必要ですが、看板を付けた飲み屋の外観はこんな感じです。
のれんも同じデザインで作ってみました。
もつ鍋あたりを食べながら、ちょっと一杯・・・という感じになってきました。

小料理屋もそれっぽくなってきました
奥の小料理屋はこんな看板をつけてみました。
昔は綺麗だったであろう静かな女将がカウンター越しに料理を作ってくれそうな感じです。

2012年7月27日金曜日

富士急行の今を見てきました

梅雨らしくない梅雨が明けていよいよ夏本番、子供たちは夏休み。
ということで、週末の渋滞を避けて子供に負けずに(?)一日夏休みを取って、JRの電車が入って元京王の5000系電車の先行きに暗雲が垂れ込め始めている、富士急行の今を見に行ってきました。

モハ1305 12.7.25 三つ峠ー寿
三つ峠から寿間は昔からの有名撮影地、30年ぶりに訪問しました。
どの程度変わっているのか、お得意になりつつある今昔レポートです。
まずは夏らしい画像から。
例の水戸岡氏デザインの富士登山電車を農家のおじさんにお願いして、畑の中に咲いていた向日葵を入れて夏っぽく撮ってみました。

この区間は勾配がきつく、Wの字型に線路が迂回しながら高度を稼いでいます。
上の向日葵の場所のちょっと上にある踏切から昔元国鉄のクモハ14を撮っていたので、今はどうなっているか見てみたくなりました。
モハ7031 79.9.29 三つ峠ー暮地



これがその時の写真です。
年齢的に国鉄時代に見ることが叶わなかったクモハ14ことモハ32を始めて見たときの嬉しさは忘れられません。午前中は二編成バラバラで運用されていたものが、運良く4漣になって大月を目指して坂を下っていきました。
当時は「寿」駅ではなく「暮地」駅と言う名称でした。
聞くところによると「墓地」と良く言われていたことから改称したとの話を聞いたことがあります。
まだ寿駅周辺には「クレチ薬局」のように、昔の名前が生きています。
モハ1002 12.7.25 三つ峠ー寿
そしてこれが現在の同じ場所です。
昔の雰囲気がそれなりに残っていて一安心です。

モハ3102 79.9.29 三つ峠ー暮地

次は一つ三ツ峠寄りの踏切に行ってみました。
以前の訪問時はオリジナルの初の高性能車、3100形をここで捉えています。

モハ1101 12.7.25 三つ峠ー寿
邪魔物が意外と多く、少しズームして同じ場所を撮ってみました。
丁度、リバイバルカラーの電車がやって来ました。
手前の畑が荒れているのがちょっと淋しいです。
このような農地の荒廃は全国的に見られており、日本の農耕文化が弱体化している気がしてなりません。

モハ1101 12.7.25 三つ峠ー寿

同じ電車の折り返しを少し寿寄りに移動して撮りました。
ずっと線路に並行して道路が作られていて、最後の仕上げ状態でした。

モハ7032 82.4.1 三つ峠ー暮地
こちらは有名な築堤を俯瞰気味に撮れるポイントです。
ここの今はどうなったでしょうか?

モハ1205 12.7.25 三つ峠ー寿
こちらは随分と撮りにくい状況になっていました。
手前に道路ができ、電柱も林立しておりそれをカットすると同じアングルでは撮れませんでした。
富士登山電車が登ってきました。
車内は平日にも拘らず結構な賑わいでした。

モハ1202 12.7.25 三つ峠ー寿
その新設の道路から撮ったリバイバル色第一弾。
この色、似合っている気がします。

モハ1205(左)、モハ1001(右) 12.7.25 河口湖

河口湖にも行ってみました。
リバイバル第二弾と富士登山電車が並んでいました。

モ1 12.7.25 河口湖

駅前に置かれている創業時の電車、モ1は塗装工事中でした。
上田交通時代の写真はこちら(⇒二日酔の上田交通訪問)。

暑い一日でしたが、まだまだ元京王5000系が主力で活躍中で、見てみたかった元京王の電車各種が一通り見れて、まずは満足できた富士急行ハイクとなりました。

2012年7月25日水曜日

2012年春、北陸電車巡り 福井鉄道

北陸に現在も残る4私鉄のうち一番変貌を遂げたのは福井鉄道でしょう。
いろいろな旧型車両が広告をつけて走っている風景はほぼ一掃されて、殆んど名鉄美濃町線のようになっていました。

二枚ともモハ201-2
12.4.19 越前武生
今回の北陸私鉄巡りの目的はもともとこのモハ200形電車がいよいよ引退するとの話を聞いたので、最後にもう一度見ておきたいと思ったことから始まりました。
ネットで調べると、どうも朝晩の輸送力列車にしか充当されていない模様でしたので、久しぶりに車夜行運転で早朝の武生を目指しました。
久しぶりの600Km単独運転はかなりきつく、それなりに歳をとったのかなあと感じてしまいました。
さて、途中仮眠しながらも夜明け前の武生に無事到着、明るくなるのを待ってモハ200形電車を眺めました。

モハ201-2
車両の銘版を見ると昭和35年製、自分と同級生・・・ということは車齢51年になるのですね。
以前はまだまだ新しいと思っていた電車もさすがに歳は隠せないご様子でした。
全国的に見てもこの辺の電車は殆ど引退していますし、そう考えると引退止むなし、なのでしょうかね。

12.4.19 北府
モハ200形を眺めたあと西武生に行きました。駅名は北府に変更され、渋い駅舎は徹底的にリニューアルされて福井鉄道博物館のようなギャラリーになっていました。これは、町おこしの一環みたいでした。
駅前の木が桜だったことに今回初めて気づきました。
因みに、元の佇まいはこちら(⇒西武生、再訪)。

デキ3 12.4.19 北府
車庫の脇には名鉄電車のお古に混じってデキ3が健在でした。以前訪問した時には蔦が絡まってかなりの荒廃ぶりで再起するとは思えない状態でしたが、しっかり整備されて復活していました。
直線的なスノープロー、あまり見たことのない格好をしています。

モハ602 12.4.19 北府
元名古屋の地下鉄の電車でしょうか?
二扉、両運転台に以前の急行色を纒っていました。イベント用のようでした。
模型のフリーの電車みたいでこれもまた良し、でしょうか。

12.4.19 家久
始発電車が動き出したので家久駅に行ってみました。濃霧の中、元名鉄電車同士の交換風景です。名鉄600V線や広島電鉄の鉄道線の風景を思い出しました。

モハ201-2 12.4.19 家久
モハ201-1 12.4.19 家久
霧が晴れないので、家久の駅で電車を待つことにしました。
やがて目的の電車がやってきました。7時代前半の福井方面行きは3本が鉄道線形の在来車が運用について多客対応をこなしている模様でした。
代替車は何になるのでしょうか?

モハ201-2 12.4.19 サンドーム西ー家久

モハ202-2 12.4.19 サンドーム西ー家久
霧が晴れたので沿線で福井からの戻り電車を待ちます。
正に桜満開の気持ちの良い天候の中モハ200形が二本戻っていました。
この新福鉄色は年寄りの厚化粧みたいで、どうもいただけませんね。

長々とアップを繰り返してきた北陸電車巡り、ひとまずこれで全て終了と致します。
お付き合いいただいた方(いらっしゃればの話ですが)、ありがとうございました。