古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2021年3月3日水曜日

練馬高野台今昔

 中学生時代のピンボケ画像を見ていて、ちょっと今昔写真を撮ってみたくなりました。

74.10.17 石神井公園ー富士見台

こちらは1974年当時の環状8号線との踏切です。
どこにでもありそうな普通の踏切で、これが後の大動脈になるとはとても思えない踏切でした。私が高校生の頃もこの状態で、踏切越えて荻窪まで自転車で通学していました。

21.2.23 練馬高野台


こちらが今の同じ場所です。
昔の写真でおじさんが立っている場所が、今信号機の建っている場所です。
線路は高架化され、道路も片側2車線となりました。
背後にあった学校も順天堂大学病院に変わりました。


こちらは同じ踏切の反対側から石神井公園方向を見たところです。

当時この場所は梅を栽培する畑でした。その梅の間から写真を撮っています。電車は451系ですね。


今の同じ場所です。

多分左のバスのあたりが梅畑であったかと思います。バスももうじき色が変わってこれも懐かしくなるのは時間の問題です。


上の写真ではいまひとつピンと来ないかと思いますので、ホームの上から撮ってみました。若干角度は違うものの、ほぼ同じ場所です。

電車は運用離脱が遂に始まった7000系でも6本しかない10連口です。



こちらは351系の池袋行きです。右側には団地が建っていましたが、当時は駅が無かったので、決して便利な場所ではありませんでした。


こちらが現在の同じ場所。
団地は健在で、運よく駅前団地となり交通至便な立地となりました。


以上、練馬高野台の今昔でした。

2021年3月1日月曜日

新宿西口の再開発

先日東京人にお友達が現在の新宿西口を設計した坂倉建築事務所の話を書いているのを読みました。



数年後に再開発が始まるという新宿西口。いつもは通過するだけの場所ですが、ちょっとカメラを向けてみました。




既に正面にあったスバルビルは無く、明治安田生命ビルも解体が始まっています。


地下街の大きな排気口は年輪を感じさせるまでになっています。



二年後には解体が始まるらしい小田急百貨店。
右手の京王デパートはどうなるのでしょうか。



百貨店左側で建物が折れているのはその先の丸ノ内線と直角になるためであるそうです。
知りませんでした。
新宿西口は一階部分と二階部分に同線が分けられた構造で、駅前に上下をつなぐアプローチがあります。



右手の京王百貨店との間にはミロードという小路がありますが、これも無くなるらしいです。



一階部分から小田急ハルク方面を見る。



10年後、ここはどのような変貌を遂げるのでしょうか。
渋谷のような使いずらい街に変貌しませんように。


2021年2月27日土曜日

昔日の西武電車 

多摩湖線の101系に絡んでの話題をもう一つ。

友人から頂いた貴重な画像から、昔日の西武電車をご紹介します。



写真はポール時代の多摩湖線です。
おへそライトの2両編成で、撮影時期・場所などはわかりません。
背景の雰囲気からして武蔵大和駅あたりでしょうか?
でも、ホームと鉄橋の位置関係が合いません。
ホームが移動したのか?それとももしかすると多摩湖かもしれません。




こちらは車体を更新した車輌で、のちに山形交通か羽後交通に嫁いだどれかの車輌かと思われます。
サボは国分寺~多摩湖間となっています。


離合する列車。

隔世の感のある多摩湖線の画像でした。

2021年2月25日木曜日

38年前の今日 新京成線の旧型電車。

 1983年2月25日、関東鉄道の帰り道になぜか新京成電鉄の電車を撮っていました。

モハ124 83.2.25 松戸ー上本郷

モハ100形、更新を重なながら1980年代まで生き永らえていました。

モハ107 83.2.25 松戸ー上本郷

モハ100形の8両編成。
単行運転からはじまった新京成線の100形も最末期は堂々の8両編成にまで成長していました。
独特の窓割が特徴の電車でしたが、更新を重ねて表情も変化してしまいあまり食指が動きませんでしたので、数回訪問しただけでした。

モハ503 83.2.25 松戸ー上本郷

自分が見た新京成の旧型電車はこれが最後でした。

100形は比較的長寿で、1987年まで活躍をしたそうです。

2021年2月24日水曜日

多摩湖線101系ラストランWeek。

 先日一旦運用離脱をした多摩湖線の101系電車。

21.2.21 西武遊園地

その時の話はこちらにも書きました。⇒https://www.blogger.com/blog/post/edit/8227179202419793182/144223744662969268




それが、なんと期間限定でラストランを行うことになりました!
ラストランWeekとして運行されたのは2月18日から22日までの5日間のみ。
でも唐突に運用離脱した101系をこのような時勢の中でも走らせてくれたのはありがたいことです。
そこで、出かける用件があった日曜日に行き掛けの駄賃で、見に行ってきました。



前回訪問ではついでに記録した、ダイヤ改正で駅名が変わる多摩湖周辺の記録も折角なので改めてしてきました。



まずは、西武遊園地駅で赤電をお出迎え。


当たり前だったこの風景も今日を含めてあと2日。



武蔵大和から八坂の間は複線区間で、本数の多い朝の時間帯はこの複線区間で上下列車がすれ違います。
こちらでやって来るのを待ちました。



次を待っていたら、やって来ません。
萩山折り返し運用に移行してしまったようなので、場所を移動。
青梅街道駅でパチリ。



沿線ではお名残りで写真を撮っている人もちらほら。
でも、よくあるラストラン騒ぎになることも無く、平和に最後の姿を見れたのが良かったです。



奇麗に咲いた梅とツーショット。



線路の近くでは菜の花が咲きだしていました。


この列車にて見納めとして、次の目的地に向かいました。

なお、この赤電はこのまま廃車ではなく西武園線に移動して走るみたいです。

2021年2月22日月曜日

東武伊勢崎線末端区間をみる。

 前回私鉄最長距離路線として東武伊勢崎線の新田~蒲生間を紹介しましたが、その末端区間の現状を見てきました。



30年ぶりの館林駅です。
東西連絡通路と橋上駅舎ができましたが、旧駅舎も残されて駅舎機能も継続しているのは嬉しいですね。このようなパターンでは容赦なく壊されるのが通例なので東武さんもなかなかであります。



現在伊勢崎線は概ねこの館林で運転系統が分断されています。
ここから先、伊勢崎までは8000系を改造したワンマン対応の3両編成が運転されており、一般車両で伊勢崎まで乗り通すことはできません。



こちらの列車はもちろん直通しています。
この電車も新しいと思っていたら既に代替が始まっているようですね。
北舘林で錆びついたのも見てしまいました。


今回の訪問の目的は前パンタの850系を見ることです。
東上線系統では末端区間でも4両編成ですので、3両編成・前パン電車は興味があります。
館林駅のお隣、多々良駅に来ました。
こちらの駅舎も木造建築が残っていました。


当日は850系と800系が半分半分走っていました。
多々良と県間の田園風景が広がる場所で待ちます。
雪をかぶった山を背景に関東平野を婆さん電車が走ります。


遮るもののない田んぼをゆく東武電車。
長閑な気分になります。



りょうもう号もパチリ。



東武線では良く見かける架線柱も良いです。



無粋な丸太棒の襲撃もこの付近ではどこ吹く風、っぽいです。


締めは前パン電車を桜田順光で収めて終了としました。

2021年2月19日金曜日

武蔵野の風景が残っていた東武線 新田~蒲生間

 東武線は現在複々線区間が北越谷駅まで伸びて、民鉄の複々線区間としては最長距離区間になっています。

しかしながら、複々線化前の新田~蒲生間は実にのんびりとした武蔵野の風景が残っていました。

81.12.22 新田ー蒲生

駅の中間地点付近には綾瀬川を渡る鉄橋があり、その前後区間は畑が残るのどかな風景でした。


当時は荷物列車や貨物列車も走っていました。

綾瀬川、遠目から見ればきれいですが近づくとごみだらけで、決して褒められたものではありませんでした。

この写真でもドラム缶などが浮かんでいたりします。



さまざまな列車が走る中、お目当てはこちらのカステラ電車。
当時は普通にばんばんやって来ました。
因みに伊勢崎線は路線延長114.5Kmで3セクを除く民鉄では営業距離最長だそうです。
私はてっきり近鉄大阪線かと思っていましたが、こちらは108.9Kmでわずかに及ばず。
ただ、複線での最長距離は大阪線に軍配が上がります。



貴重なリバーサルフィルムではDRCやりょうもう号などは被写体になっておりません。
そちらはモノクロフィルムでは一応記録はしております。


空っ風が吹き抜ける約40年前の記憶です。