古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2014年3月31日月曜日

国鉄最後の日

あれから27年目の年度末がやって来ました。
『国鉄』最後の日。
1987年3月31日です。

皆さんはどこでどんな思いでこの日を迎えられたのでしょうか?
まだ生まれていなかった方も今となっては多いでしょう。

本日は先日レポートに続き(こちら⇒27前の今日 最後の『国鉄』を見に千葉へ)国鉄最後の日当日を中心にした私なりの国鉄最後の日の記録です。

87.3.31 国鉄本社

国鉄最終日の31日は国鉄の総本山、東京駅丸の内口の国鉄本社を見に行きました。
この日の夜には外されるサインです。

87.3.31 国鉄本社
当時の国鉄本社です。
昭和12年完成の本社は第一期工事部分のみの竣工でした。
完成から直ぐに戦時体制となって、数年後には空襲を想定した耐弾層を屋上に施工をしています。
耐弾層の施工には資材難からレールも使われたそうです。
戦後に画面左手に増築がなされましたが、当初計画の姿ではなく新たな設計で建てられていますので、全く別物の建物が並んでいる感じでした。
このいかにもお役所風の建築はご存知のように売り飛ばされて現存しません。

14.3.29 東京

こちらは現在のほぼ同じ場所です。
丸の内オアゾと日本生命のビルが建っています。
27年前の写真では国鉄本社の線路を挟んだ右手にそびえ立っていた朝日生命ビルも他のビルに押されて存在感があまりなくなってしまっています。



86.7.2 東京
民営化前年の夏、丸ビル前の横断歩道付近から見た国鉄本社ビル。
左が1963年新築の新館、右が旧館です。
新館には現在は国土交通省となって霞ヶ関に移った運輸省も入居していました。
丸ビルもこの写真の背後に建っていた東京中央郵便局も建て替わってしまいました。

14.3.29 東京

現在の様子です。
今は新館部分を中心に日本生命のビルに変わっています。
背後に建つビルも結構建て変わっています。


87.3.28 国鉄本社

撤去風景が報道もされた『日本国有鉄道』の表記。
良くも悪くも重みを感じました。

87.3.31 東京
切符売り場です。
新幹線は盛岡まで。
案内看板右下には青函連絡船の寝台料金も表記されています。

87.3.31 東京
見慣れていたこの看板も今日限り。
変な一筆書きの切符を作ってもらうのに親切に対応してもらったり、憤りを禁じ得ないような酷い対応をされたりした思い出の窓口です。

87.3.28 東京

丸の内駅舎内に設置された違和感たっぷりの新会社の紹介コーナー。
JR、JH、JT、JP・・・何で民営化=英語表記なのかと思いました。
何か安直でキライです。

87.3.31 東京
八重洲口に移ります。
先日の八日市場同様、『国鉄』の表記を探して歩きました。
こちらはご存知、東名ハイウエイバスの乗り場です。

87.3.28 東京

静岡ゆきの急行バスが15分ずらして雁行しています。
当時の周遊券は鉄道とハイウエイバスが選択乗車できました。
今はどうなのでしょう?
否、その前に周遊券なんてもの自体が無くなっちゃいましたね。

87.3.28 東京
東名ハイウエイバスです。
国鉄独自開発で成長してきたハイウエイバス、国鉄時代最後の姿です。

87.3.28 東京

フロントグリルにはJNRマークが輝いています。

87.3.28 東京

八重洲口で客扱い中のバス。

87.3.28 東京

国鉄の表記とスワローマーク。
もうじき見納めです。

87.3.28 東京

古めかしいバスが国鉄表記を背に走り去って行きました。

87.3.31 水道橋ー御茶ノ水
当日は何故か水道橋から御茶ノ水界隈を歩いています。
国鉄最後の日の水道橋付近。
カナリヤの101系が行き交い、いつもと変わらない風景が展開していました。

87.3.31 水道橋ー御茶ノ水

緩行線には201系も配属され、カナリヤ色で走っていました。
試作編成(登場時の姿はこちら⇒国鉄201系電車 誕生の頃)もバラされて黄色くなって走っていました。

87.3.31 御茶ノ水

最近駅舎周辺のバリアフリー化改修工事が始まった御茶ノ水橋から見た中央線の201系電車。

87.3.31 水道橋ー御茶ノ水

『さよならJNR』のヘッドマークがついていました。
このマークをつけた電車は各線に数本ずつ走っていた記憶がありますが、なぜか記録したのはこの1枚だけで終了しています。

31日当日の夜は東京、上野両駅から分割する各社に向けての旅立ち号が発車し、空前のフィーバーとなりましたが、私は自宅のテレビでその様子を見るのみでした。

あれから27年。
変わった部分も変わっていない部分もありますが、全国統一の『国鉄』という名称がかつての『省線』という言葉がそうであったように忘れ去られるのも時間の問題になってきたと言えるでしょう。

2014年3月30日日曜日

新鶴見の電車

鶴見線の電車を見に行く折に、京浜東北線のホームから見える所にたまにクモハ12形が止まっていることがありました。
これは新鶴見機関区の職員輸送用の電車で、鶴見の駅外れと新鶴見の間を中原電車区のクモハ12を使って電車が往復していました。

クモハ12013 79.5.9 鶴見

こちらが、京浜東北線のホームから見た様子です。
専用のホームに停車をしていたようです。

クモハ12013 79.5.9 鶴見

こちらは、新鶴見に向けて走行中の写真です。
いつ、どの線を走るのか最初は見当がつきませんでした。

クモユニ74 79.5.9 鶴見

クモハ12が動くのを待ち構えている間には、色々な電車が通過します。
本線にはこんな電車も走ってきました。


二枚とも クモハ12013 78.7.31 新鶴見

夏のある日、夕暮れの構内を走るクモハ12。
新鶴見構内は更にどの線を走るのかが、初めての訪問では見当がつきません。

クモハ12013 81.4.3 新鶴見
貨物列車に混ざって、単行でのんびり走るクモハ12。
ちょっと不思議な光景でした。

2014年3月29日土曜日

27年前の今日・・・最後の『国鉄』を見に千葉へ


あれから27年・・・
国鉄分割民営化から既に27年の歳月が流れました。

当時の私には国鉄が分割民営化されることは以前からの報道や様々な動きから目で見てそれなりに解ってはいても、実際に『国鉄』が無くなるということ自体が現実にはやはり理解できていない気がしていました。
どちらにしても趣味人から見ても大きな節目であることは間違いなく、体質などがそんなにすぐ変わるわけはないものの、世の中からは時間の問題で目に見える表現としての『国鉄』が無くなるのは間違いないので、その『国鉄』の最後の姿を記録したいと思った方は多かったのではないでしょうか?

とかろが実際に『国鉄』という表現がされているものを記録しようとしたら、意外と少ないことに気づきました。
先ず、一番記録したい車両には『日本国有鉄道』の銘版は妻板にあっても、それ以外には車体に『国鉄』とはどこにも書かれていません。
せいぜいが特急車のJNRマークですが、こちらは存置との話を聞いていましたので、意外と記録を残しにくいものでした。

そこで思い出したのが国鉄バスです。
こちらには車体に『国鉄』としっかり書かれています。
そこで、当時ハイウェイバス以外で都内から最も近いと思われる国鉄バスの拠点である千葉の八日市場に行くことにし、合わせて駅貼りのポスター類などを記録するプチハイクを企画しました。
本日はその時の記録です。

87.3.29 八日市場
当日最初のカットは、車両ではなく何故かこのカットでした。
八日市場駅の出札窓口です。
巷にたくさん貼られていた『さよなら国鉄 こんにちはJR東日本』のポスター、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
『こんにちは』の車両が100系新幹線だったのも時代を感じさせます。
 
87.3.29 八日市場
八日市場駅駅舎です。
重厚なスタイルの駅舎が総武線沿線には多く残っていました。
駅前のバスや自家用車も懐かしいデザインです。
 
87.3.29 八日市場
徒歩で国鉄バス八日市場自動車営業所を訪問しました。
来意を告げて構内を見学しました。
この事務所の表札もあと数日の命です。
 
87.3.29 八日市場
構内に待機していた国鉄バスです。
バス窓のバスが活躍していた最後の時期でした。
個人的には、これこそバスという気がするスタイルです。
国鉄バスの塗装デザインはすっきりしていて、気に入っていました。
 
87.3.29 八日市場

当日は生憎、小雨混じりのどんよりとした天候でした。
水たまりに映ったバスの表情が何となく印象的でした。
 
87.3.29 八日市場

電車と違ってしっかり車体に『国鉄』と書かれています。
スワローマークも良いですね。
 
87.3.29 八日市場

動輪マークと国鉄表記。
どこか誇らしげなこのエンブレムだけで、バスに詳しくない鉄道好きにはワンクラス上に見えた気がします(実際はそんなこと無いんでしょうが)。
 
87.3.29 八日市場

事務所にお礼を言って八日市場駅に戻りました。
ここからは113系の車内の人となって千葉へ向かいました。
小雨の降る寒い一日でした。
 
クハ111-132 87.3.29 千葉
千葉に到着しました。
当たり前すぎた113系の姿を1カットだけ撮っていました。
その時は何とも思わずに撮ったものですが、大目玉・非冷房の姿、もうちょっと真面目に撮っておくべきでした。
 
87.3.29 国鉄千葉駅前
この日のもう一つの目的の訪問先がこちら。
京成電鉄の国鉄千葉駅前駅です。
大手私鉄のクセにまるでバス停みたいな駅名は以前から気になっていましたが、当然これは駅名変更対象と思い、記録をしました。

87.3.29 国鉄千葉駅前

千葉駅にやって来るバスの行先も『国鉄千葉駅』。
バスが京成バスなので、敢えて行先に『国鉄』を追加していたのでしょうか?
こちらもそのうち変わるはずなので、解りやすいところでパチリ。
 
87.3.29 成東
途中の成東駅で見つけたポスター。
ポスターのキャッチコピー、果たして実現したんでしょうか?


2014年3月27日木曜日

桜と登山電車

3月も最終週。
もうじき桜の便りが聞かれる頃となりました。
ということで、今回は箱根登山鉄道の桜の写真です。

106 09.4.7 大平台ー宮ノ下

定番のように訪れる大平台付近の風景ですが、桜が咲くとまた雰囲気が変わります。


108 09.4.7 大平台ー宮ノ下
金太郎塗りの108号がやって来ました。

106 09.4.7 大平台ー宮ノ下
今年ももうすぐですね。

2014年3月26日水曜日

日の丸自動車法勝寺鉄道のフ50

早朝の米子の街並み。
まだ寝静まっている街並みを早朝散歩しました。


14.3.11 米子

この古い米子の街並みの中に明治時代の貴重な客車が保存されています。
米子から法勝寺を結んでいた小私鉄・日の丸自動車法勝寺線の保存客車を久しぶりに見にゆきました(以前の訪問記はこちら⇒日の丸自動車法勝寺線の保存電車)。

フ50 14.3.11 米子(以下同じ)

そんな街並みの中にぽっかりと地上げされたかのような空間があり、そこに件の客車は鎮座しています。



しっかりとした説明看板があり、車両も綺麗に整備されています。
コンスタントに塗替えもされているのでしょう、以前訪問時よりも綺麗になっていました。




いかにも明治時代の客車らしいサイドビュー。
1887年英国バーミンガム製の古典客車と案内看板にも書かれています。


折角なので床下も覗きました。


手ブレーキの無い側から望む

床下の様子をじっくり見られるのも保存車ならではで、千歳一隅のチャンスです。

復元バネまわり

ブレーキ装置は空気ブレーキの装備は無く、手ブレーキのみです。

少し上から

手ブレーキハンドルから伸びたロッド(写真左上)がどのようにつながっているかが良く解ります。


下から

同じ部分を下から見上げます。

手ブレーキ付近

こちらは手ブレーキが床下に下りるところです。