古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2021年5月30日日曜日

新宿線最後のレッドアロークラシック。

5月29日の土曜日はレッドアロークラシックの新宿線最後の営業運転日でした。

前回は秩父線でお見送りをしましたが、今回がお見送りも最後かなと思いながら近場で見てきました。

21.5.29 上井草


お見送りをどこにしようか逡巡しましたが、いまさら普通の写真ばかり撮っても仕方ないので、池袋線の時と同じく人と街を入れたカットを最後に撮りたいと思い、上井草駅にしました。


運転手には嫌な駅と思いますが、興味本位でしか見ない身分からすると電車がホームからはみ出して停まる上井草駅はいつ行っても面白い場所です。



新宿線は郊外電車の雰囲気を未だに残しているのに加えて、銀色化が進む池袋線と違って黄色の鉄板率が高いのも魅力です。




そうこうしてるうちにレッドアロークラシックの送り込み回送電車が来ました。
運よく西武バスとのツーショットが記録できました。
どちらも消えてしまう西武カラーですね。

井荻ー下井草

下りの本運転は、密にならない場所と思い何時も撮っている井荻近くの踏切へ。
でも、こんな場所でもこの日は何と密になってしまいました。
でも、こういう日は仕方ないですね。我慢してレッドアロークラシックの通過を待ちました。



レッドアロークラシックの活躍は最後に西武新宿から武蔵丘への送迎運転があるらしいですが、基本的に今日まで。

私はこれを見届けておしまいとします。お疲れ様でした。

2021年5月28日金曜日

大垣から神戸へ。

 雨模様の西への出張、じわじわ西に前進します。

21.5.21 大垣

大垣駅前には懐かしい近鉄バスが競馬場にご案内。



でも、乗車するのはこちら。

柏原

建物取材で途中下車。
懐かしい中山道の街並みです。
個々には伊吹堂という、巨大な福助がいる有名なお店があります。以前はお邪魔して福助を撮影させていただきましたが、心無い観光客に嫌気がさしたのか撮影禁止になっていました。マナーの悪いのは鉄道周辺だけではないのが良く分かります。



取材後は柏原宿街道からわき道にそれて、本線列車もちょっとだけかじります。



貨物列車が旅客列車より頻繁に来ますが、どれも牽引機は桃太郎でした。



この専用貨物はインパクトありました。



ここからは一気に神戸へ向かいます。

米原

米原で3分接続の新快速へ。
心配した遅延はありませんでした。

神戸

しかしながら、途中で抑止が入って神戸に着いたのは二時間後でした。
さすがに在来線での神戸行きはきついですね。

新長田

用務後はここで降ります。


ここは不幸な震災後の新しい街並みですが、こんな古いものも残っていました。

板宿

約15分で板宿へ到着しました。


本日最後の目的地・日乃電に到着しました。


2021年5月26日水曜日

44年ぶりの養老線・室駅。

前回の続きです。

行きがけの駄賃、養老鉄道のラビットカー塗装に会いに大垣まで来ました。

21.5.21 大垣

さて、大垣駅に着きました。

以前は自由に行けた養老線ホームとの間には自動改札機が。その手前の貨車が並んでいた線路は木まで生えていました。


77.12.17 大垣

こちらは、44年前の揖斐線ホームです。

大垣夜行から降りた大垣駅は、この時も何故か雨の日でした。


一旦JRの改札を出て、外から養老鉄道線のホームへ。
そうしたら、何と京急カラーとラビットカーが並んでいました!
これは今回の鉄運を使い果たしたかと思われるラッキーです。


幌がないのが残念ですが、見れたのは嬉しい出来事です。

揖斐線の折り返し運用に入っていましたので、広々としたところで撮りたいのですが、当日は荒れ模様だったのと、次の予定を考えて室駅付近で撮ることにしました。

西大垣


でもこの電車に乗るのでは能が無いので、ちょっと西大垣駅を覗いてから行くことにして、京急カラーに乗ります。
西大垣駅ではTQ車と交換。
池上線を彷彿とさせる塗装変更をしていない編成でした。


駅舎は近鉄時代のままでした。


ここからは徒歩で室駅へ。

小さな駅舎がありました。以前もこんな感じの駅舎だった気がしますがよく覚えていません。


室駅を発車しようとするラビットカーの後ろ姿です。





同じ位置から撮った1977年の画像です。
ここに来たのは1977年以来、なんと44年ぶりです。この時の養老線は線名の通り(!)近鉄の古豪電車の牙城でした。

大垣電車区

何故この駅に降り立ったかというと、大垣電車区に訪問するために最寄り駅として利用したためで、当時は近鉄の古い電車にはさほど興味が無かった時代でした。



時は流れて、今回は近鉄電車のお古が目的の訪問とは皮肉なものです。
室駅駅前の踏切から撮ったお目当てのラビットカー塗装です。



初訪問の時撮った近鉄電車はわずかに3カットでした。
こちらがそのラストカットで、室駅脇をゆく養老線側の電車です。
こちらは建物が建て込んで、似たようなアングルでは撮れませんでした。


仕方なく、踏切の反対側のカットです。

ちょうど線路が二手に分かれるところですね。


これを撮ったら揖斐線の電車が一時間無かったので、散歩しながら大垣駅に戻りました。

2021年5月24日月曜日

こんな時期ですが。。西へ。

 先週、緊急事態宣言中にもかかわらず関西に出張してきました。

関西方面への用事については一旦はスケジュールをリセットしたものの、宣言がどんどん延長されてしまうと仕事面で原稿に穴が開くなどして立ち行かなくなるので、家族を含めてまわりからいろいろ言われながらも、意を決しての関西出張と相成りました。しかしながら、折角行くとなったらいろいろな予定が狂ってしまい、結構な空き時間が出てしまいました。

そこでスケジュールを変更して、行きがけにえらくご無沙汰をしている養老鉄道の今をみつつ~、あわよくばラビットカー塗装を見てみようと考えました。一本しか在籍しないラビット塗装に会えるか会えないかはイチかバチかですが、思い付きでの隙間時間訪問ですから会えない時はそれまで、ということで向かうことにします。


21.5.21 東中野


お天気は予報通り西は大荒れ、東京も雨です。
まあ、仕方ないですが何となく気分が上がりません。

御茶ノ水

御茶ノ水で快速に乗り換え。
やって来たのは209系でした。
この電車は何度となく見かけてはいるものの、乗るのも撮るのも初めてです。
これは、もしかしてラビットカー塗装車に会えるかも、という予感がよぎったりします。

東京


折角なので、東京駅でパチパチ。
運用情報見ればいつでも撮れるのでしょうが、そこまでして撮る気も無いという微妙な存在です。でも、据え膳喰わぬは何たらです。



今回はのぞみの自由席にしました。
どうせ混んでいないのなら、自由に席を選べる方が気分的に安心な気がしたからです。
案の定、品川出てもこの状態でした。



朝食です。
最近出張した知り合いから東海のラッチ内はアルコールが置いていないということを聞いたので、東のニューデイズで購入。こんなものまで規制されちゃうんですね。。。まあ、車内で酒飲んで大声で喋られてはたまったものではない、という気持ちはわかります。



今回の最終目的地は神戸。
名古屋からはケチケチコースで在来線で行くことにしました、

名古屋

叩きつけるような雨の中、名古屋に着きます。
名鉄電車も赤いのが減りました。



名古屋駅に降りてみると、中央線中津川以遠や高山線の山間部も運休中とのこと。
かなりひどい雨なのですね。
行く先も奈良線やおおさか東線が運休との話。
先行きが心配になってきました。
こんなご時世に寄り道なんかするという不埒なことを考えたバチかな?とか思いながらも、先に進みます。

西枇杷島

新幹線車窓からも確認していた改修後の西枇杷島駅を在来線車窓からも確認しました。
普通の駅になってしまいましたね。

尾張一宮

尾張一宮駅に着きました。尾張一宮駅舎は昭和の国鉄建築っぽい建物で、それなりに良かったので撮影したことがあります。でも今回見たら建て替わっていました。


以前見たこの駅舎はすっかり変貌を遂げていました。

大垣

大垣駅に着きました。

果たして一本しかないラビットカー塗装車に会えるでしょうか?

続きます。


2021年5月22日土曜日

どっちが幸せな老後? それとも,どちらも?

 蒲原鉄道は廃止の時期が比較的遅かったので、多くの車両が現在も保存されているのは喜ばしいことではあります。

その中で、古参のオリジナル電車3両のうちワンマン化されなかった2両は今も保存され、見ることができます。ただ、その保存の状態は?というと残った2両共に決して褒められたものではありません。



こちらは村松市の城址公園に保存されているモハ11。


ちゃんと屋根が被さっているものの、各部の腐食が進んで状態は良好とは言えません。


こちらは1993年7月の訪問時です。奇麗な姿をしています。

この頃は屋根がありませんでした。


さて、もう一両の仲間です。
こちらは五泉からほど近い阿賀野市の安田民俗資料館に保存されているモハ51です。



かなり荒廃が進んでいるものの、屋根が無く、冬場は積雪がある場所での長期保存であることを考えると予想外の軽程度の痛みとも言えます。同所には村松の旧駅舎なども保存されていますが、今は残念ながら休館になっています。



道路側から見たモハ51号。
ある意味屋根のあるモハ11号より傷んでいないようにさえ見えます。




完全に艶が落ちた電車の雰囲気、これはこれでグッとくるものがある気もします。。。
でも、このまま朽ち果ててしまいそうな予感はします。

85.3.2 村松

こちらはまだ車籍があったころのモハ51号です。
この車輌もモハ11もワンマン化されなかったことから後年は殆ど走っていなかったようです。

ともあれ生い立ちも同じこの2両の現状を見ると、電車に心があったとしたらどんな風に思っているのだろう~。と、なんだか微妙な気持ちとなりました。


同型車のこっちもかなり荒廃している様子ですし。。

やはり車両の保存というのか難しいですね。管理者でない人間がとやかく言うべきことではないかとも思いますが、やはりなんか書きたくなります。



今に生き残ったこの2両の愛すべき小型電車の今を見ると、果たして幸せな老後であったのでしょうか?