昨年の100マンアクセス時(こちら⇒鹿児島交通キハ100)にキハ100形の画像と一緒に当時の画像もスキャンしたものをまとめてみました。
キハ105 83.3.6 加世田 |
加世田の車庫の風景です。
『昭和30年頃の画像です』と言い切っても疑われないぐらい、タイムスリップした光景です。
83.3.6 加世田 |
こちらは加世田駅構内の全景です。
上の写真よりも伊集院方へ引いて、枕崎方面を見ています。
左右の側線にいろいろな古典的車両が留置されていますが、ほぼ全ての車両が御用済み、放置車両です。
83.3.6 加世田 |
駅舎内側の改札口付近の様子です。
鉄道線廃止反対の掲示もどこか虚しいです。
キニ101 83.3.6 加世田 |
こちらの風景も結構来ています。
83.3.6 加世田 |
ホームの上家も凝った作りの渋いものです。
左手奥にはガソリンカーの残骸が放置されていました。
83.3.6 加世田 |
こちらは構内を枕崎方から伊集院方向を見ています。
国鉄キハ10よりも先に走り出していたキハ300形が見えます。
キハ106 83.3.6 加世田 |
構内には多くの気動車が昼寝中でした。
多分かなりの車両をすでに持て余していたのでしょう。
14 83.3.6 加世田 |
蒸気機関車も健在?でした。
解体費用が惜しくて放置していたと聞いたことがありますが、真相は如何に?
手前にはキハ100形用のTR29予備台車が一組置かれていました。
5 83.3.6 加世田 |
汽車音痴な自分には良く解りませんが、もっと古そうなのもいます。
手前の二軸車は車体部分が無くなった状態で置かれています。
多分、上は朽ち果てたのではないでしょうか?
エ4 83.3.6 加世田 |
ハフ53 83.3.6 加世田 |
木造二軸客車のハフ53。
車体が歪んでしまっており、倒壊寸前のかなりヤバイ状態です。
ホユニ66 83.3.6 加世田 |
まさに二重屋根が抜け落ちようとしているホユニ66。
良くこんな状態で放置していたものと呆れます。
管理当局から指導は入らないのでしょうか?
昔写真で見た、貧乏会社・山鹿温泉鉄道を思い出してしまいました。
この路線も国鉄直通運転をやっていたり、最後は豪雨が原因で廃止に至った点も似ています。
ホハ67 83.3.6 加世田 |
こちらはもっと凄まじいです。
83.3.6 加世田 |
加世田駅構内の全景です。
訪問したこの年の3ヶ月後の豪雨で全線不通となり、一部が運行再開したもののこの訪問から約一年後の84年3月18日で全線廃止となりました。
13 件のコメント:
こんにちわー
なんか、す、すごい画像です・・・
ここにこられる方は約一名をのぞいて上品な方ばかりですが、「ちびりそうです!!」しか言葉が思いうかびません!!
私はイヌではありません殿
おはようございわんわん!
凄いでしょ、鹿児島交通!
これは生きた化石でした。
これぞタイムカプセル、
現実版でした。
聞くところによると、解体するカネも無かったとか。
線路もメロメロで騙し騙し走っている感じでした。
ここの車両は西鹿児島で乗り入れてきたキハ300を見ただけです。あの配色(汚れも加わって)に夜行列車での眠気が一度に吹き飛びました。
学生時代の九州訪問は熊本どまり、社会人になってからは時間がとれず、行き損ねました。
過疎化とモータリゼーションの発達で、末期はかなり厳しい状況だったようですね。
キハ100は国鉄キハ07を基本に設計した車両でした。
液体化されましたが、最後まで総括制御は出来ませんでした。
夕張鉄道キハ200も同タイプでしたが、こちらは2扉化やバス窓化で大きく姿が変わりました。
古そうなSLは、昭和5年汽車会社製の5号機です、
かつてカツミが模型化しカタログに掲載されていたので、古い模型ファンには知られた機関車でした。
戦前製のガソリンカーの生き残りは、薩摩中央鉄道のキハ1でした。
特攻隊で有名な知覧へ通じていたため、戦時中も代燃化されず血の一滴のガソリンで走り続けたそうです。
キハ100以降の大形気動車に追われ、エンジンをおろし救援車となりました。
そっくりな車両を別府鉄道の車庫の奥で見かけました。
モハメイドペーパーさん
鹿児島交通晩年のカラーリングは強烈でしたね。
特にキハ300とは不似合いだった気がします。
確かに始めてみたら目が覚めそうです。
元・いきもの部長さん
鹿児島交通はなんだかんだ言っても遠いですね。
飛行機も新幹線も使わずに行った学生時代は伊集院は遠いところでした。
その分キハ100に出会えたときは感動しました。
また、加世田が凄いことは雑誌で知っていたつもりでしたが、我が目で見るとまったく想像以上の場所でした。
そう言えばあの小ちゃなガソリンカー、似たのが別府鉄道にいましたね。
すみませーん
いちばん上のはワタシですーー
自分の名前にこぴぺしたギャグを入れてしまいましたー
新年早々ぼけてますー
すでにお返事いただいてるのでこれに返事は無用ですー
失礼しましたー
青春Mさん
ありゃ~~~!!!
勘違いしちゃいましたわんわん!!
で、でもちびってしまいそうになってくれてウレシイです~!
今年もよろしくお願いします
末期の鹿児島交通は路盤の劣化がより深刻だったようで、振動が激しかったそうです。振動はかなりのもので、「乗り物酔いをする」というレベルではなく、「駅に列車が到着した途端、ホームに駈け出して胃の中のものをすべて吐き出してしまう」という話を聞いたことがあります。
揺れの激しかった車両としては「高速で走るオハ61系鋼体化客車」が知られており、昭和50年代以前の旧型客車の現役時代に客車列車を乗りこなした方々の多くが「あれだけは勘弁してほしかった」との思い出を紹介しています。オハ61系の振動はジェットコースターにも例えられるほどで、他、「鹿島鉄道の気動車」に例えている人もいました。「鹿島鉄道の気動車」は私もキハ431形の「ポンポンと弾むような」揺れを経験しているのですが、鹿児島交通の揺れはこれを大きく上回ったようです。
先ほどの入力ですが、名前をミスタイプして入力してしまいました。
「原口 悟」です。
一昨年の夏に鹿児島方面へ出張した時に指宿枕崎線を使って枕崎駅まで行きました。
枕崎駅は最初南薩鉄道の駅ができて、その後昭和30年代に入って指宿枕崎線が伸びてきたために、駅本体は鹿児島交通が持っていて国鉄が間借りしている形になっていました。これが現在の枕崎駅の構造にも影響を及ぼしていて、旧枕崎駅跡の再開発によって指宿枕崎線の枕崎駅は少し東に寄った簡素な駅になっています。鹿児島交通の枕崎駅の跡地はスーパーマーケットになっていて、旧駅前広場の形態が元の駅の位置を示しています。
原口さん
本年もよろしくお願いします。
鹿児島交通の揺れ方は尋常じゃありませんでした。
見ていて良く脱線しないと思ってしまうぐらいでした。
オハ61の高速時の揺れは体験していない(他の車両に逃げた)ですが、鹿島のキハ431は独特の揺れでしたね。
枕崎の駅は移動していたとは知りませんでした。矢鱈と大きい駅舎と草むした構内が印象に残っています。
こんばんは。
鹿児島交通のお写真、大変貴重なものですね。楽しく拝見させていただきました。
この路線が廃止されてもうだいぶ時間が経ちましたが今でも写真を見ると一度は訪ねてみたかったと思います。
私は指宿枕崎線の途中駅までしかこちらの方面には行ったことがありませんが、枕崎も駅の場所が移転し、だいぶ雰囲気が変わってしまったようですね。
地方の私鉄はどこも経営が厳しいものと思いますが、それぞれの路線の表情豊かで、それぞれの地域が活性化している姿を見たいと思ってしまいます。惜しまれつつ廃線になったたくさんのローカル線、今改めて振り返ると切ないものですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
風旅記さん
こんにちは。
ブログ拝見しました。
色々と出掛けられていますね!
鹿児島交通はやはり遠いですね。
自分は友人とレンタカーで行って、結局乗車することなく終わってしまいました。
枕崎の駅は鹿児島交通管理の大きな駅が虚しかった記憶があります。
毎日走っていたものがある日から走らなくなるというのは切ないものですね。
今後ともよろしくお願いします。
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